2日前から、ハンナ・アーレントの『新版 全体主義の起源』(みすず書房)の第一巻「反ユダヤ主義」を読み始めた。ここで「新版」とは2017年の「新しい訳」と言う意味であって、ハンナ・アーレントは1975年に死んでいる。彼女がもし、この2013年に生きていて、現在のシオニストの国、イスラエルのやっている残虐行為をみたら、何と言うのか、興味がある。
以前、7年前と思うが、読みづらくて本書の読破を断念した。再挑戦である。
今回も読みづらく、困って、ネットで手がかりを探していたら、NHKの『100分de名著』のハンナ・アーレント『全体主義の起源』のときの「プロデューサーAのこぼれ話」が目についた。それによると、彼女は英語が不得意で、雑誌「ニューヨーカ」の特派員としてアイヒマンの裁判の報告書を書くが、このとき、編集長に何度も書き直しを求められたという。これは、彼女が英単語や英文法を知らないと言う問題ではないと、私は思う。すなわち、彼女は、ドイツ語圏の著者特有の、長文で屈折した文章を書く癖があったのではないかと思う。英語圏の人は屈折した表現や長文を好まない。はっきりと簡潔に言うことを好む。
じっさい、『イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』は私にも読みやすかった。
みすず書房の『新版 全体主義の起源』は、初版が英語にもかかわらず、わざわざドイツ語版から翻訳しているのだ。読みづらいのは自分だけではないと覚悟したら、時間がかかるが、意外と楽しく本書が読めるようになった。
気づいたのは、第1章を飛ばして、第2章から読んだ方が読みやすいことだ。いや、第4章、第3章、第2章、第1章の逆順に読んだ方がわかりやすい。ドイツ語圏の著者は自分に酔っていて、論理をわかりやすく構成しない。文体の問題だけでないだ。読み手が著作を再構成して理解する必要がある
それに、みすず書房の訳もおかしい。たとえば、第1章の冒頭の1節に
「全世界のユダヤ人に対する追求、最後にはその絶滅を、単なる口実、および安っぽい宣伝の手口と見なす」という句がある。
ネット上にたまたま、英語版の『全体主義の起源(The Origins of Totalitarianism)』(pdfファイル)が無料であったので比較すると、ここでの「追求」は英語版では「persecution」となっている。「迫害」と訳した方が良い。
また、同じ第1章に「ヨーロッパの国民国家体制が崩壊した時点」は英語版では「when the European system of nation-states and its precarious balance of power crashed」となっている。崩壊したのは、「国民国家間のヨーロッパのシステムと不安定なパワーバランス」であって、国民国家(nation-state)そのものが崩壊したのではない。
そもそも、第1章のタイトルは、日本語訳では、「反ユダヤ主義と常識」となっているが、英語版では「Antisemitism as an Outrage to Common Sense」となっており、まったく意味が違う。第2章以下を合わせて読むと、ハンナ・アーレントはantisemitismにそれなりの要因があったと、ユダヤ人や知識人の警告を与えているのだ。
残念ながら無料のドイツ語版「全体主義の起源(Elemente und Ursprünge totaler Herrschaft)」がネットに上がっていないので、ハンナ・アーレントがドイツ語でどう書いたかは、私は確認できていない。
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