猫じじいのブログ

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暴力装置の自衛隊を民主制社会がコントロールできるのか、安倍晋三の傲慢

2022-12-04 23:09:34 | 思想

軍隊とは国家が所有する暴力装置(組織)である。国民の税金で、軍隊は人殺しのための兵器を所有し、人殺しのための訓練を日々行う。幹部は敵国を想定して戦争のシミュレーションを行う。

民主制社会が軍隊を抱え込むとき、その取扱いに特別の慎重さが必要となる。虎やライオンを家で飼うと同じようなリスクを社会が冒すことになるからだ。

最近、自衛隊という日本の軍事組織の動きがオカシイ。それをとがめるのは、共産党、社民党、れいわ新鮮組だけである。ほかの政党の政治家は何を考えているのか。

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(1)政権与党が、その使途の具体性もなく、軍事費を2倍にすると言う。そればかりか、敵基地攻撃を能力をもつと、自民党と公明党が合意した。安倍晋三は、今年の2月27日にテレビ番組で、4月3日の山口市内の講演で「相手の軍事的中枢を狙う反撃力」を主張した。

(2)現役の防衛省職員や元自衛隊幹部がテレビ番組のゲストとしてウクライナ戦争や防衛体制について解説する。軍隊(自衛隊)が国民の代表たる国会にコントロールされているなら、自衛隊内の不正告発以外、彼らが直接国民に向けて向けてメッセージを送ってはならないはずである。

(3)安倍晋三の「家族葬」に陸上自衛隊の儀仗(ぎじょう)隊が参列した。陸上自衛隊幕僚長は9月6日に「大臣レベルで判断された。我々は指示をいただいたので、粛々と任務を遂行した」と述べた。大臣とは当時の防衛相の岸信夫(安倍の実弟)である。自衛隊は個人の所有物でないはずである。

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1945年の8月の日米戦争での敗戦以前も、日本は軍事組織を抱えこむことに苦労していた。結局、コントロールできなかった。

加藤陽子の『天皇と軍隊の近代史』(勁草書房)によると、武装集団(サムライ)を抑え込むために、日本政府は徴兵制を敷いたとある。また、それが特定個人の私兵にならないよう、政治家からの独立性を保つために、明治憲法では、軍隊は政府の指示を受けず、直接、天皇に属することになった。いわゆる政治と軍事との分離である。

しかし、結局は、軍部はつぎつぎと戦争を起こし、日米戦争で破滅した。軍部の尊厳する「天皇」とは、肉体をもった個人(昭和天皇)ではなく、「皇位」であった。1932年の陸軍士官学校の卒業式に、安全上の理由から昭和天皇が出席できなかった。

明治憲法の規定にもかかわらず、明治天皇も大正天皇も昭和天皇も軍部をコントロールできなかった。

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戦後、日本は、新憲法で軍隊を放棄したのにも関わらず、自衛隊という名の軍隊をもった。

いっぽう、安倍晋三が「戦後レジームの脱却」というとき、民主主義の廃棄と、国際紛争の武力による解決を意味していた。憲法の改正である。

戦後、日本社会が自衛隊をコントロールできていたのは、1つは、国民に二度と戦争をしたくないという思いがあったことだ。もう1つは、自衛隊を米軍のもとに置くことで米国政府がコントロールしたことだ。

米国の力の衰退とともなって、この2つが「革新右翼」の安倍晋三のもとで、崩れてきた。

安倍晋三が殺害されたため、彼の本心をいま問い詰めることはできない。彼は、歴代の天皇もできなかった、軍人のコントロールを自分ができると考えていたのだろうか。そうなら、彼はあまりにも傲慢で軽薄である。



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