猫じじいのブログ

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岸田文雄首相は「ぬえ」なのか「ルイ・ボナパルト」なのか

2022-01-19 22:20:52 | 政治時評

きょうの朝日新聞の編集委員、高橋純子のコラムを読むと、世論調査をすると、岸田文雄首相をよくわからない人だと見ている人びとが多いらしい。産経とか日経は、岸田政権の支持率が上がっているとか報道しているが、事実はそんな簡単なものではないという。

もっとも、中庸というスタンスはそんなものかもしれない。

高橋は、たとえるなら、ぬえ(鵺)だという。「ぬえ」は伝説上の怪獣で、「頭は猿、胴は狸(たぬき)、尾は蛇、手足は虎に、声はトラツグミに似ていたという」のことをいう。

岸田がよくわからないという思いが みんなにあるのは、岸田は安倍晋三と戦っているとか、新型コロナで経済優先の勢力と戦っているとか、のイメージがあるからである。岸田を支えないと安倍の発言力が増し、保守派の強権政治が進行し、日本が戦争する国となると恐れるからである。

しいていうなら、現時点の国民の気持ちは、夫に暴力が振るわれても本当は優しい男だと思って別れられない女の人の心理状態に似ている。

岸田は施政演説で「官民」の一体化を唱えているが、「官民」とは ずいぶん古臭い言葉で、官僚と実業界とが協力して日本を統治することを指す。こんな言葉がでてくるのは、ハト派でもリベラリストでもなんでもなく、戦前の身分制社会から抜け出ていない時代錯誤の政治家にすぎない。

そして、きょうの朝日新聞に、岸田政権が、炭素ゼロのゼロカーボン社会の実現のために、原子力発電を推進するというニュースが出た。

考えてみるに、岸田が安倍政権で外務大臣のとき、敵基地攻撃の能力をもつことを主張していた。北朝鮮を攻撃する能力を日本がもたねばならない、というのである。

岸田は安倍と同じスタンスの人である。違いは、岸田は人の声に耳を傾けるポーズができるが、安倍は耳を傾けるようなポーズをしたら弱い政治家と見られると思い、ポーズさえ拒否したことにある。

憲法学者の石川健治は先見の目があった。去年の10月に朝日新聞紙上で、岸田を「民主的皇帝」と呼んで、19世紀のフランスで起きた革命騒ぎのなかで出てきたルイ・ボナパルトに たとえた。強者と弱者との両方から支持され、皇帝になった男である。

カール・マルクスは『ルイ・ボナパルトのブリュメールの18日』のなかで、ルイ・ボナパルトの出現を「歴史は繰り返す、一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」と書いたのである。私は、この「喜劇」をフランスの国民の愚かしさをさしていると思う。

石川健治は、この寄稿で、《これ(再生エネルギーによる発電)に対して、経産省・トヨタ・電力会社による猛烈な巻き返しが行われ、その受け皿になったのは岸田文雄現首相である》とちゃんと書いてある。岸田は、腰が低くとも、安倍と同じ戦前型の保守政治家である。日本政治を喜劇にしてはならない。

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