猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

環境問題を論じるにマルクスに学ぶ必要があるのか

2019-11-03 20:27:27 | 自然環境

10月30日の朝日新聞《オピニオン&フォラム》の『再びマルクスに学ぶ 気候変動や格差 資本主義の代償だ 若者たちは訴える』は悩ましいインタビュー記事だ。マルクスに学ばないと、資本主義がわからないと、環境問題が論じられないならば、私のように厚い本を読めないものは困ってしまう。斎藤幸平がインタビューで本当にこう言ったのだろうか。

ここでは、あえて、フリードリヒ・エンゲルスの『空想から科学へ』(新日本出版社)を読んだだけの知識で、この記事を検討してみる。

16歳の環境活動家、グレタ・トゥンベリさんの国連でのスピーチは「資本主義システムが深刻な異常気象を引き起こしており、経済成長が必須の資本主義のもとでは気候変動問題に対処できないというメッセージ」だ、と斎藤は言う。

ここでの問題は、「資本主義システム」とは何か、気候変動問題に対処できないのは、「資本主義」のためなのか、「経済成長が必須の資本主義」のためなのか、そして、「資本主義では経済成長が必須」なのか、である。

『空想から科学へ』で、エンゲルスは、「資本主義」を「生産手段の私的所有」としている。『資本主義』では生産手段の所有者どうしの競争の結果、機械化が歯止めなくすすみ、労働者が職を失い、賃金が低く抑えられる、と言っている。

しかし、斎藤は、「資本主義では経済成長が必須」と思っているようである。マルクスの『資本論』でも丁寧に読めば、その言葉が発見できるのであろうか。

斎藤は、「『足るを知れ』といった精神論ではありません。行き過ぎた資本主義を人間と環境を破壊しない形に変えよう、という議論なのです」と言う。

「経済成長が必須」というのは「人間の思い込み」ではないのか。ところが、「精神論」ではないというから、やはり、「資本主義」が「経済成長」を必須とすると斎藤が思っているようでもある。

また、ここで「行き過ぎた資本主義」という言葉がわからない。適度な「資本主義」なら良いと言っているようにも聞こえる。

ところが、斎藤は、「資本主義ではこの人間と自然の関わり合いが徹底的にゆがめられ、両者の破壊が起こります。これは資本主義である以上、不可避だというのがマルクスの主張です」という。

「不可避」だとすれば、どうすれば良いのだろうか。

エンゲルスの『空想から科学へ』は、当時の組合運動を批判するために書かれたものである。賃金などの労働環境の改良運動ではだめで、プロレタリアート革命で権力をにぎり、生産手段の私的所有から国家の所有に変えるべきである、と主張している。

この主張は、生産を国家が計画的に管理すれば、問題が解決するとの仮定にもとづく。ことは、そんなに簡単なものだろうか。計画を立てるのは誰なのか。頭の良い奴を信頼して大丈夫だろうか。

斎藤は、旧ソ連の誤りが「成長第一主義」で「政策で『上から』経済を成長させようとした」からだという。

しかし、みんなが貧しければ経済成長はしかたがないだろう。「『上から』経済を成長させた」ことが問題でなく、「プロレタリアート独裁」が問題である。

「プロレタリアート」は、語源では、古代ローマ帝国の市民の最下層をいう。当時の市民の90%以上は「プロレタリアート」、奴隷ではないが、何ももたず、セックスしか生きがいがなかった、という。古代では「労働」は奴隷の仕事である。

現代では「プロレタリアート」は貧民のことをいう。とくに、「マルクス主義」では生産手段をもたない、雇われの貧民のことをいう。

斎藤は、「資本主義」に替わるものとして、「グリーン・ニューディールです。公共事業で各産業分野での再生可能エネルギーへの転換を後押しし、新しい雇用を生みだそうとします。生活に欠かせないものは気候変動対策の観点から『公有化』していく」という。

ここで、またまた、わからなくなる。まるで、頭の良い誰かが科学的に政策を立てていけば良いように、斎藤が思っているように見える。

私は、贅沢をするより、働かないことを好む。エネルギーを使わない、知的な楽しみにふけることを選ぶ。
私の子ども時代とくらべ、生活が十分に豊かである。大変だった冬の洗濯も電気洗濯機によって楽になっている。また、私の子どものときは、母親が夕方市場に出かけ、半分傷んでいる食べ物を買ってきて、傷んでいるところを取りのぞき、食べさせてくれたが、いまの私は、そんなことがなく、餓えに直面してもいない。
車を使わず、公共交通を使うにも賛成である。そもそも、私は運転免許をもっていない。

しかし、しかし、……。

現在の温暖化を止める運動の問題点は、人間の行為によって温暖化が進んでいるのだ、という意見を、多くの人が信じていないことにある。政治は、生産手段の所有体制によって変わるというものではなく、集団としての人間がどう思うかに依存している。

社会の多くの人間が、頭の良い人間のいうことは信用できない、と思うのは理解できる。いつも、いつも、口のうまい人間にだまされてきたからだ。したがって、マルクスに学ぶと言われると、かまえてしまう。

温暖化の予測もみんなが本当だと思ったら、規制に向かうはずである。トランプ大統領は、温暖化を信じられない人々を政治基盤にしている。

私は物理で博士号をとったが、私も、じつは、心の片隅では、人間が温暖化を起こしたとか、炭酸ガスCO2を規制すれば解決する、というのが今一つしっくりこない。多くの科学者がそういっていると、ますます疑ってしまう。

温暖化ガスが夜間の熱放射を抑え込むから、温暖化ガスは温暖化の一要因であることは、うなずける。しかし、科学者たちの温暖化の速度の予測が互いに一致しているのは、納得いかない。本質的には、モデル計算しているにすぎないのに、たんに答えが一致しているのは、彼らが、答えが合うように、パラメータを調整しているからである。頭の良い奴らは信用できない。事実よりも、自分の属しているコミュニティに意見を合わせるからだ。そういう奴らは人を裏切る。 

また、温暖化ガスの制御する政策も信用できない。地球の炭酸化ガスは、古代には今よりはるかに多かった。それを植物が、吸収し炭水化物として固化し、死んで埋没して、現在の石炭や石油になっている。したがって、植物を育てるというのが、水資源の多い、日本がとるべき政策である。

横浜市では、緑道や公園が多い。しかし、実際には道路幅が大きすぎる。二人が、ようやく、すれ違うだけ幅があれば十分なのに、車が通れる幅がある。そして、周りの草を年に何回も刈り取るのだ。刈り取った草はトラックに詰めてどこかにもっていって焼却してしまう。あきらかに、これは、造園業者にお金がいくように、すなわち、選挙対策のために、利権を配っているのだ。

横浜市には、ノアサガオが自生していて、大輪の鮮やかな紫色の花を、初夏から秋の終わりまで、次々と咲かせる。ところが、これらの造園業者は、人を雇って草を刈るだけで、野の草花を愛していないから、ノアサガオを刈り取ってしまう。

マルクスだなんていう前に、書斎から町に出て、汗をかかないと、頭のいい奴は信用されない、と私は思う。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿