猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

愛すべき子供たち、ダウン症の子は天使だ

2019-03-18 15:13:59 | 愛すべき子どもたち

私には、たくさんの、大変だがユニークで、愛すべき子供たちがいる。最初は大変だったが、今でも大変である。
ダウン症の子からも、私はいっぱい学んだ。ダウン症の子は天使のようだとよく言うが、本当にそう思う。

私は人に強く言えない性格である。たとえ、子どもでも威圧的に出られない。NPOでその子の指導を任されたのは、彼が中学2年の終わりの頃である。

その子はヒラカナが読め、書ける。今、考えると、ヒラカナを教えた先生は偉い。

私は、その子の発音が不明瞭だったので、親の同意を得て、矯正しようとした。特に濁音が発音できないと思ったので、「でかい こえ、でかい いぬ。げんきな こえ、げんきな いぬ。でかい かべ、でかい なべ」などという、教材を作り、声をだして読まそうとした。
大失敗だった。とても、いやがり、席をたって、ひとり遊びをしだした。

私には席を立つことを止めることができない。ダウン症の子も人間であり、自由なのだ。いやなことは強制できない。

私は子どもに必要とされなかったのだ。私は自分を恥ずかしく思いながら、その子との関わりを、時間をかけて作り直すことにした。
ともに遊ぶことから始めた。

ゆっくりと観察すると、言葉がなくても、ほかの子どもたちとコミュニケーションができている。身振りである。ほかの子どもたちと遊ぶことができている。
とにかく、わたしはその子と遊んだり、学校の宿題を助けたりすることで、簡単なことばの学習ドリルを一緒にできるまでに、関係を改善した。

わかってきたのだが、その子は、人の話しコトバが音として聞こえるが、音節の並びとして聞き取れない。答えを言っても、聞き間違って、書きとる。また、単語の中の音節の並びがひんぱんに逆転する。耳によって学べないので使える語彙は少ない。

今は、数行からなる簡単な物語を読んで、問いに答えるまでになった。数行からなる物語をイントネーションや声の大小を変えて、気持ちをこめて楽しそうに読み上げるようになった。
もちろん、昔と変わらず、発音は不明瞭である。しかし、気持ちをこめて話すことで通じることが世の中にいっぱいある。

その子は、とにかく、女の子たちに、もてるのだ。
誰かが髪の毛をセットしたり、服装を変えたりすると、チャンと気づき、「かわいい」というのである。社交性がある。

乱暴な子が油断していると小突いたり、殴ったりする。相手が怒ると作り笑いをする。立派な社交性である。
トランプゲームをすると、負けたくないので、「ずる」をする。立派な社会性である。
いやなことはいやだ、と私には威張って言える。立派な社会人である。

電車の中で、母親と一緒にいるのに偶然出会ったが、シャキッとして、母親を守っているような態度をした。

いまは、疲れた、疲れたと言いながら、元気に作業所に通っている。

そのダウン症の子は、社交的で、賢くて、天使なのである。

愛すべき子供たち、コトバの出て来ない子の思い出

2019-03-18 00:17:46 | 愛すべき子どもたち

私の愛すべきNPOの子どもの一人が、今年、成人式を終え、いま、元気に作業所に通っている。その子の母親と道で出会っても、表情が明るい。うれしいことだ。

NPOでその子と初めて顔を合わせたのは、14歳のころである。顔をあげず、つぶやきながら、1人で簡単なドリルを黙々とやる子であった。ミスると、ブブブーと言って、後頭部に手をやって、頭を守る子であった。

ある日、いつもの指導を終えると、その子は「ニラ、ニラ」と叫び、飛び跳ね始めた。びっくりした私は、彼と会話できていないのに気づいた。

母親に聞くと、「今晩ニラを食べたい」か「ニラを買ったか?」か「ニラを買いに行こう」かだろうと言う。

NPOでの前任者から引き継ぎで、助詞の使いかたに問題あると聞いていたが、それだけでなく、動詞や形容詞が使えないことに気づいた。

それから、彼と私の間に会話が成り立つよう、努力してきた。

この子は文字が書けるのである。毎回、指導で、起きたこと、これから起きることを書かすようにした。
初めは、関心のあることを、すべて名詞だが、東急線、プラレール、だんご三兄弟、仮面ライダー、ウルトラマンの父と、次々と書きなぐるだけであった。
私が、「きのう、どこに行ったの」、「誰と行ったの」、「何を買ったの」、「何を食べたの」を聞きながら、文になるよう、助けて、書かした。
動詞がくっつき、文の形で書けるようになった。文がいくつもつながるようになった。
毎回、母親に見せるようにした。

もう一つは、この子が独り言をいうのに着目した。

彼の独り言は、過去に誰から言われた禁止命令のオウム返しであった。
「乳母車に載ったら壊れちゃうよ」、「ベランダで騒いだら近所迷惑」、「人のプラレールを取ったら泥棒」、「**先生のブラジャーみたらエッチ」、「おへそのゴマをとったらエッチ」、「ガマンガマン」、「お母さんは泣いちゃうよ」、などなど。
私は、その子の独り言に介入し、強引に、彼と会話した。
私は、「ベランダから落ちちゃうから、アブない、アブない」とか、「黙って取らないで貸してくださいと言うんだよ」とか、「おへそのゴマをとるとお腹がいたくなるよ」と言って、独り言に介入した。

そのうちに、その子も、発語が自然にできるようになった。「風邪ひいた」と言ったのを初めて聞いたとき、とても、うれしかった。

ところが、その子が18歳のとき、突然、自分の後頭部を思い切り殴り出し、椅子から立ち上がり、大きな声で叫び回った。
それは、「仮面ライダーのDVDが映らない、壊れた」と言ったのに、私が「つらいね」と介入したときだ。
私は介入に失敗した。自信を失った。また、一瞬、恐怖も感じた。彼は、私より10センチも背が高かかった。
そして、私は思った。
自分の心を強くし、自分の都合で現実をごまかさず、もっと注意深く観察し、彼との穏やかな人間関係を成立させないといけない。逃げられない親はもっと大変な思いをしているのだ。

あとで、母親から聞くと、このとき、養護学校の先生との間に問題があったようだ。そういえば、この後、養護学校の授業がなくなり、実習が続くようになってから、気持ちが落ち着いて、頭をたたくようなことはなくなった。養護学校では、授業と実習の内容は、かわらないはずだ。担当者が叱るか叱らないかの差異ではないかと思う。

思い出すと、この子のピョンピョン跳ねるのはまことにみごとであった。
同じ場所から飛び、同じ場所に降りる。ちゃんと膝を曲げ、衝突の衝撃をやわらげている。体操の技を見ているようで、今は懐かしい思い出のひとつだ。