英語の天使 angel (エンジェル)は、ギリシア語聖書のἄγγελος(アンゲロス)から来ている。
ギリシア語のアンゲロスは、誰かが誰かに何かを伝えるための「使い」を意味する。
知っての通り、ギリシア神話には「天使」なんていない。たくさんの神々がすでにいるから、「天使」なんて居場所がない。だから、もともと、アンゲロスには「天使」なんて意味がなかった。
神様が一人で、妻もなく、子どもなく、友達もなく、孤独な「存在」のとき、神様に仕える「存在」として、「天使」に居場所ができる。だから、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教には「天使」がいる。
約2300年前、ユダヤ教の聖書(ヘブライ語)がギリシア語に訳されたとき、
“מלאך”(マラゥク)の訳語として、アンゲロスがあてられた。このヘブライ語マラゥクも「使い」の意味だ。「人間の使い」にも「神の使い」にも「悪魔の使い」にも マラゥク が使われた。
このヘブライ語聖書は、キリスト教では、旧約聖書と呼ばれる。
人間が人間にメッセージを伝える「使い」の例を、1つ、旧約聖書から紹介しよう。
『創世記』27章から33章にかけての物語だ。
* * *
弟ヤコブが、母の言葉に従って、兄エサウの振りをし、目がよく見えなくなった父イサクから、祝福を受け、家督相続権を兄から奪いとる。
ヤコブは、怒った兄から逃れるために、母の親族が住んでいる地に逃亡する。しかし、そこで何十年働いても下僕の扱いしか受けず、妻や子供や使用人や多数の家畜を連れて再び逃亡し、兄エサウの住む地に戻る。
このとき、兄に殺されるのを避けるため、自分には争う意図がなく兄に羊の群れを差し上げますとの「使い(マラゥク)」を自分の先に行かせる。
兄は贈り物をもらって、弟にその地をゆずり、家族や家畜とともに去っていく。
* * *
この弟のヤコブが、イスラエルの民の父祖となる。私は、弟を許した兄エサウのほうが偉いと思うが、ユダヤ人にはそうでないようだ。
なお、『創世記』25章29節から34節の伝承では、空腹のエサウは「パンとレンズ豆の煮物」のために、ヤコブに家督相続件を与えた、とある。
もちろん、マラゥクが「神の使い(天使)」のこともある。ヤコブが母の親族の土地に逃げるときのことである。
「すると、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたち(マラケ、マラゥクの複数形)がそれを上ったり下ったりしていた。」(『創世記』28章12節 新共同訳)
この天にとどく「階段」は、ヘブライ語聖書で一度しかでてこない“סלם”(スラゥム)である。口語訳では「はしご」と訳されている。砂漠で暮らし、神殿を見たことのないヤコブには「はしご」であるべきだ。
青い天空から、縄ばしごが何本もぶらさがり、白いスカートのような服を着た天使が、いそがしく降りたり、登ったりしていたのだ、と思う。
「天使」の素晴らしい視覚的イメージだと思う。ぜひ、有元利夫のタッチで絵にしてみたい。
この夢から、昔、天使には羽がなかったことがわかる。天使か天使でないかは外見からは分からない。
羽の生えた天使は14世紀の絵画から現れる。神様には羽がなく、天使には羽があるのは、妖精を信じたヨーロッパ人が抱いた「神の使い」のイメージなのだろうか。