猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

メルケル首相がいう、新型コロナ感染症対策が「人口の60から70%が感染する」こと……

2020-03-19 22:30:20 | 新型コロナウイルス

きょう、3月19日10時50分から、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の発表があった。静かに都市部で感染が蔓延しており、これから爆発的に患者数が増加するとのことだった。国民の80%が感染すると予測されるという。

下記は、この発表の前に書いたもので、ちょっと色褪せしたが、読んでいただきたい。

1週間前の3月12日、ドイツのアンゲラ・メルケル首相が「免疫も療法もない中、ドイツ人口の60から70%が新型コロナウイルスに感染する可能性がある」と語った。

これに対し、一部の報道で、メルケルは物理学出身だから、政治家として言うべきでないことを言ったとの批判があった。「60から70%が感染する」と言ったことへである。

私は、出てくる対策の理由として、政府がどのような予測をしているのか、明確に述べることは良いと思う。

この報道の後、ウイルス学者の岡田晴恵をはじめ、テレビを出てくる多くの感染症研究者や医者が、「流行が収まるには人口の60から70%が感染する必要がある」と言い出すようになった。どうも、これが、感染症の専門家や医療従事者の共通理解らしい。「集団免疫」というらしい。

私は専門家でないので、どうして60から70%なのか、どうして100%でないのか、疑問をもつ。もしかした、普通の風邪のコロナウイルスへの免疫力を持つ人のなかに、新型コロナウイルスに抵抗力を持つ人がいるから、100%でなくても良いのかもしれない。かかっても無症状の人がいるのも、この普通のコロナウイルスへの免疫力のおかげかもしれない。

イギリスのボリス・ジョンソン首相も「人口の60%が新型コロナウイルスに感染する」と言っている。

   ☆    ☆    ☆
メルケル首相は、「ウイルス対策は医療システムに過度の負担を掛けるのではなく、感染を遅らせることに軸足を置くべき」と言っている。日本政府が、「医療崩壊をまねかないように」と言っているのに通じる。

残念ながら、報道では、「分散的な方策で今回の危機に対処する」以外、どのようにしてドイツ政府が「感染を遅らせる」のかが欠けている。

その後の報道はつぎのようである。

「メルケル首相は3月16日、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、全国に適用する行動制限措置を発表した。大半の商店やバーなどを閉鎖。休暇目的での国内外の旅行の自粛も求めた。」
「食料品店や銀行、薬局、ガソリンスタンド、新聞販売所、レストランなど生活に必要な店舗を除き、大半の商店が閉鎖される。レストランの営業も午後6時まで。宿泊施設は観光目的では利用できない。すでに学校や保育所は大半が閉鎖されている。」
「このほか、人が多く集まる劇場や映画館、博物館、バー、クラブなどが閉鎖されるほか、教会やスポーツ・教育施設などでの会合も禁止される。」
「16日から、国境を接するフランスなど5カ国との間で国境管理を始め、物資の移動や通勤を除き、移動の自由を制限している。」

「行動制限」と言っているが、かなりの制限にみえる。とくに、「教会やスポーツ・教育施設などでの会合も禁止」というが、この「会合」は「集会」の翻訳ミスではないか。小規模なミーティングの禁止は「感染を遅らせる」に不要だと思う。

人口の60から70%を新型コロナウイルスに感染させるには、逆に、無症状や軽症の感染者を増やす必要があるのではないか。老人は知恵があるはずだから、死にいたる危険を政府が明言すれば、自分から「教会やスポーツ・教育施設などでの会合」に参加しないはずである。

   ☆    ☆    ☆
3月18日、立憲民主党の山尾志桜里衆院議員が、自身のツイッターで離党届をだしたことを明らかにした。

山尾は、3月12日の衆院本会議での新型コロナウイルス対策のための特別措置法改正案の採決で、賛成の党方針に従わずに反対した。彼女は「国会の承認を盛り込むべきだ」と主張し、与党と妥協した党執行部を公然と批判した。彼女の処分を執行部が検討していたらしい。

どうも政治家の主流は、新型コロナウイルス対策に、「個人の権利や自由の制限」が必要と考えているようだ。もしかしたらそうかもしれない。しかし、本当にどこまで必要なのか、緊張感をもって、具体的に、おおやけに、議論されるべきである。

立憲民主党執行部にその考えがないとは、私もがっかりする。

   ☆    ☆    ☆
3月18日の朝日新聞に『新型コロナ 緊急事態 宣言は必要か』という見出しで、新型コロナウイルス感染症専門家メンバーの岡部信彦へのインタビューがのっていた。

この特別措置法に基づく「宣言」は単に危機を述べるということではなく、都道県知事や行政機関の長に「個人の権利や自由の制限」をもった対策をとる法的権限を与えるものだ。

そこで、岡部は「新型コロナはそこまでのものではない」と言っている。私も同感である。フランスではエマニュエル・マクロン大統領が軍隊まで主導させて外出を制限しているが、やりすぎだと思う。

岡部は言う。
「医療がある程度保たれていれば、致死率はそんなに高くならい」「日本での致死率は1%前後でおさまるのではないでしょうか」

この「1%」は、インフルエンザの0.1%より十分高いのではないか。

インフルエンザの公式の死亡者数は数百人で、推定される死亡者数はその10倍ほどで、推定される患者数はその1000倍と言われている。インフルエンザの死亡者数が1万人といわれているのは、多いときの推定値である。

収束するまでに日本の人口の60%、8千万人が新型コロナに感染すると、致死率1%で80万人が死ぬことになる。ぜひ、0.1%に下げてほしいものだ。

岡部は言う。

「各地の衛生研究所は一生懸命検査しています。こうした高精度の検査とは別に、スクリーニング的な検査は民間とは別に、スクリーニング的な検査は民間でもっともひろく実施すべきと言ってきました」
「今回はウイルスが早く見つかり、すぐに公開された塩基配列を使ってPCR検査もすみやかにできるようになりました」

1月28日に地方衛生研究所に出したPCR検査の通知では、集団感染の1例目では、シーケンサーで塩基配列を決定し、公開塩基配列と95%の一致で陽性と判断し、2例目から電気泳動のバンドのパタンで陰性か陽性か判断して良いとなっている。

すると、どうしてPCR検査がなかなか行われていないのか。

厚労省と国立感染症研究所の利権かと私は思っていたが、ワクチン開発ではいつもこの利権が表に出るが、これに加え、新型コロナを法定感染症としたため、検査の結果、陽性となった患者の隔離先がないからであるらしい。省令で、隔離先をその症状に応じ、一般病棟、民間宿泊施設、自宅待機とするしかないだろう。

どうも、事実を究めないで、国民の60から70%を新型コロナに感染させようとは、医療として不都合を生じるのではないか。熱がでるのは、別に新型コロナだけではない。早く検査して救える命を救って、感染の流行を収束させるべきではないか。

医学、医療の専門家は事実にもとづいて発言し、政治的な配慮を優先させるべきではない。

[追記]
3月19日、ドイツの感染者数は1万千人弱で、死亡者数は23人である。致死率は0.2%弱となる。
いっぽう、厚労省の発表では、日本では、クルーズ船を除くと、感染者数は924人で、死亡者数は33人で、致死率は3%強である。日本の医療技術がとくに遅れていると思えないから、新型コロナの検査をしないからではないか。日本の感染者数は、報告の10倍の可能性がある。

[追記]
19日の新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の記者会見は非常に真摯なもので、その説明は科学的で私にとって納得できるものだった。記者質問は深夜の12時になってもまだ続いているが、どの局も放映していない。非常に残念だ。この記者会見の内容を、政治家や役人に尊重してほしい。

判決のステレオタイプな批判は無意味、津久井やまゆり園殺傷事件

2020-03-17 13:49:38 | 津久井やまゆり園殺傷事件


きのう、3月16日、津久井やまゆり園殺傷事件被告の死刑判決があった。

この裁判は、裁判員裁判のため、裁判所のもとに検察側と弁護側の論点整理が事前に行なわれたため、争点が、被告の「責任能力」に絞られたことは、まことに不適切で不幸なことだった。

きょうの朝日新聞が『視/点』や『論説』で「なぜ犯行が解明されていないのか」と批判していたが、それが「動機」の解明を意味するなら、本来、裁判で行うべきことではない。それに、判決文に理解可能な被告の「動機」が十二分に書かれている。

今回の裁判の問題は、判決文にそれしかないことである。

ひとがおこなった行為に対して、ひとはひとを裁くべきである。刑法199条に殺人罪があり、これにもとづいて裁くべきである。被告は2016年7月26日に「19名を殺害し、24名に傷害を負わせた」のである。

もちろん、裁判のもう一つの役割は、類似の犯罪が行われないように、社会にメッセージを発することでもある。

しかし、裁判で個人の内面に踏み込んで、何か、意味あるメッセージを社会に送ることができるのであろうか。個人の内面に踏み込むことは、自分の心の動きから相手の心の動きを憶測することであり、いまだ科学的に行えない領域である。

それより、もしかしたら、犯行を防げたかも知れない点が幾多とある。そこに集中すべきである。

今回の事件で驚いたことは、被告が津久井やまゆり園での犯行を予告したにもかかわらず、有効な手段がとられなかった、あるいは、とることができなかったということである。

判決文によれば、「午前1時43分頃から同日午前2時48分頃までの間に、本件施設内の各居室又はその付近において、いずれも殺意をもって、利用者43名に対し、それぞれ、その身体を柳刃包丁等で突き刺すなどし」とある。被告が、邪魔されることがなく、1時間以上にわたって、犯行をおこなったのだ。しかも、5人の職員が結束バンドで拘束され、遅い者は午前4時まで解放されなかったのである。誰が職員を解放したかは、判決文に明記されていないが、とにかく、セキュリティ会社ALSOKの警備体制がまったく役に立たなかったことは事実である。ALSOKはテレビで過大広告を行っているのではないか。

また、被告は、仲間と日常生活のように、大麻を服用していることにも驚いた。芸能人の大麻使用に厳しく処罰しているのに対し、それ以外は野放しになっているのではないか、という疑問をもった。大麻がそんなに手に入りやすいのか。

もう一つ、今回の裁判で明らかになったことは、刑法が殺人を禁じていることを、被告は意に介していないことである。裁判官も被告人質問でこの点を確認している。これは、殺人犯を厳罰に処さないからということより、法の権威が、そして民主主義の理念が、日本社会で崩れていることを反映していると思われる。この問題に関して、判決文は言及していない。

   ☆   ☆   ☆
判決文は、ネット上に全文が載っている。それを読むと、非常に丁寧に「責任能力」について論じている。「当裁判所は、犯行時の被告人が完全責任能力を有していたと認めた」との結論に私は納得できる。もちろん、死刑が妥当とは思わないが。

判決文では、「意思疎通ができない重度障害者が不幸を生む不要な存在であり、安楽死させるべきであると考えるに至った」根拠を、是認できないものであるが、理解可能と指摘している。噛みつくなどの重度障害者の行動、その家族の心の揺れ、介護職員の態度、また、政治家の言動、テロの存在、社会のお金への崇拝など、被告の「妄想」を形成する要因があるとしている。

判決文は、また、犯行の5ヵ月前の2月15日に衆議院議長に渡した被告の手紙を引用している。非常に論旨の通った論理的な手紙である。そして、違法行為を行うことを被告は意識している。刑法39条の「心神喪失」あるいは「心神耗弱」の状態では、こうは書けない。

判決文では、また、精神鑑定の中身に踏み入って論じている。この部分はとても良くできている。判決文 曰く、

「本件証拠上、本件犯行に相応の影響を及ぼした可能性があるといえる精神障害は、工藤鑑定が指摘する動因逸脱症候群を伴う大麻精神病のみであるが、動因逸脱症候群を伴う大麻精神病は、工藤医師自身もこれまでに接したことがなく、日本国内で確認された例もない稀有な症例とされており、その病像や診断基準等について、工藤鑑定が確立した医学的知見に依拠したものといえるのかは証拠上必ずしも明らかではない。」

これって、弁護側のために精神鑑定をした工藤行夫を、裁判官が「ののしっている」のである。

私は、精神科医は裁判に関与すべきでないと考えている。アメリカ精神医学会の診断マニュアルDSM-5にも、このマニュアルを裁判で使わないようにという前書きがある。

精神医学は学問として いまだ成立していず、しかし、治療を願う患者やその家族のために、仮説にもとづいて薬を使ってみたり、患者の周辺の人間関係を変えたりしてみているのが、現状である。精神医学を、死刑か無罪かの判断の基準に使ってはならない。

判決文 曰く、

「しかしながら、このことのみから、精神医学の十分な専門的知見に基づくと認められる工藤鑑定を直ちに排斥することはできない。そこで、以下、工藤鑑定のいう病像や診断基準等に照らして、犯行時の被告人が、工藤鑑定のいう動因逸脱症候群を伴う大麻精神病にり患していた疑いが排斥されるか否かを検討する。」

そして、裁判官は、精神医学の「権威」にあえて踏み込み、「完全責任能力を有していた」と判定したのである。

「動因逸脱症候群」とは私が聞いたことがないが、判決文によると「持続した高揚気分、あるいは意欲の異常亢進等能動性が逸脱した状態」のことをいうらしい。「動因」とは “motive”の訳で「逸脱」とは “deviation”の訳と思われる。「症候群」とは、病因をいうのではなく、そういう症状がみられる集まりというのに過ぎない。そのことと、「意志疎通のとれない重度障害者は死ぬべき」とは、つながらない。裁判官が「工藤医師自身もこれまでに接したことがなく、日本国内で確認された例もない稀有な症例」と言うように、「責任能力がない」根拠に まったく ならない。

とにかく、今回の判例をもって、今後、他の裁判でも、弁護人が、刑法39条の「心神喪失」あるいは「心神耗弱」を法廷戦術に利用するのは やめてほしい。

老夫婦の静かな、しかし、至福の時間、ハンス・アンデルセン

2020-03-15 21:49:14 | 童話

ハンス・アンデルセンの童話に、老夫婦が屋根裏部屋から半分眠りながら手をつなぎ外の陽の光を見る物語がある。岩波文庫の『完訳アンデルセン童話集 2』で読んだかと思う。ふつうの物語に期待される展開はない。静かに時間が流れるだけである。

アンデルセンは結婚しなかった。あるいは結婚できなかったのかもしれない。しかし、老年の優しさと思いやりの混じった二人の時間にあこがれていたのではないか。そして、すべての苦労を忘れ、若いときの二人のいちずの愛をともに思い出すと考えたかったのだろう。

アンデルセンは、最近、よく「発達障害」とか「自閉症」とか言われる。これを、そのまま、受け取っていいのかと私は思う。

アンデルセンは、デンマークの地方都市の病気がちな貧しい靴職人の息子で、11歳で父を亡くしている。19世紀の裕福な市民中心の世界で認められるのに、とても苦労したと思う。彼の童話のほとんどは、人は貧しく生まれ、報われもせず、貧しく死んでいくことを描いている。神は貧しいものを見捨てる。貧しきものはあきらめて運命にしたがわなければ、神は罰する。死だけが人 皆に平等なのだ。

現在であれば、そんな社会を告発できるのに。

この童話、貧しい老夫婦に静かな至福の時間が訪れるとは、アンデルセンのささやかな願いだったのだ。

国民に「ご苦労」をかけている安倍晋三、新型コロナウイルス

2020-03-14 22:16:08 | 新型コロナウイルス

きょう、3月14日、安倍晋三首相が記者会見をし、テレビで全国に放映された。

そのとき、安部が国民に「ご苦労を」と言ったので、びっくりした。産経ニュースの全文書き起こしによると、前半で、「国民の皆さまに大変な苦労とご不便をお願いしながら」と、後半で、「国民の皆さまには本当に大変な苦労をおかけしております」と言っている。「ご苦労」は目上の人がしもじもに向かって言う言葉で、身内なら「苦労」といい、顧客に向かっては「ご迷惑」や「ご協力」というものだ。

安倍はいつから「天皇」になったのだろうか。本心が出たようだ。
   ☆    ☆
新型コロナウイルス感染の状況が、緩やかな増加に抑えられている、と安倍は言った。イベントを実施しないという要請の効果があったというものだ。

その上で、次のように安倍は言う。

「こうした状況を踏まえれば、現時点で緊急事態を宣言する状況ではないと判断しています。ただし、事態は時々刻々変化しています。高い緊張感を持って事態の推移を注視し、国民の命と健康を守るため、必要であれば、手続きにのっとって、法律上の措置を実行する考えであります。」

この部分をもって、安倍が「私権を制限する」緊急事態宣言をしないと言った、と、メディアに報道された。正しくは、言っているのは、「宣言する状況」でなく、「必要であれば」宣言し、「法律上の措置を実行する」ということだ。

「ご苦労とご不便をお願いし」といっているように、政府は、すでに国民の「私権」を
制限している。すると、「非常事態」を宣言し、現在以上に「私権」を制限するとはどんなことだろう。

なお、ここで「私権」といっていることは「個人の権利と自由」のことである。

山尾志桜里議員や共産党が、「個人の権利と自由」に制限を加える「新型インフルエンザ対策特別措置法」改正に反対し、明示的に国会の同意を得るようにすべきと主張したことを支持する。
   ☆    ☆
新型コロナウイルス流行の不安を打ち消すため、安倍はつぎのように言う。

「約8割の方は他の人に感染させていません。つまり、人から人へ、次から次に感染が広がるわけではありません。他方で、スポーツジムやライブハウスなど特定の場所では集団での感染が確認された事例が報告されています。その共通点は第一に、換気の悪い密閉空間であったこと。第二に、人が密集していたこと。そして第三に、近距離での対話や発声が行われたこと。この三つの条件が同時に重なった場合です。」

これは、感染者によってウイルスの感染力が違うということではなく、感染者がどのような行動をとるか、ということによって、感染の広がりかたが違うということである。すべての呼吸系感染症に言われることである。

したがって、新型コロナウイルス感染者は、出歩いてウイルスをばらまかないでください、ということで、率直にいえば良い。そう言わないのは、現在、新型コロナウイルス感染者(検査で陽性の者)は入院措置になっており、一方、検査は本人の自由意志で受けられない仕組みに、なっているからだ。

政府の検疫対策に矛盾があり、そのために、国民は自衛策をとってください、と政府がお願いしているのだ。

つい最近、記者会見で、新型コロナウイルス対策専門家会議の副座長、尾身茂が、「風邪の症状や37.5°C以上の発熱が4日以上続いている」という政府の基準は、医学的な理由ではなく、PCR検査の処理能力からの制限だ、と言った。治療という観点からは早い診断が良い。

今回の会見で、安倍はつぎのように言う。

「現時点で前回会見したときよりも、50%多い1日あたり6000件を超える確かな検査を行うことが可能となっています。」

それなら、「4日以上続いている」という条件が、変わったのか。感染者に「出歩かないでください」と率直に言えるようになったのか。

政府がこれまで「可能」といったことは、実現しないという意味で使っている。検査の実数はいまだに1000件を超えたところである。
   ☆    ☆
ここ1週間、日テレの辛坊治郎は経済対策で安倍をたたいている。きょう、これに対して安倍はつぎのように言う。

「これまでの前例にとらわれることなく、実質無利子・無担保の強力な資金繰り対策を全国規模で実施することとしました。」

中小事業者にとって、融資を受けても、返すことが大変なことなのだ。今回の経済危機は長引くだろう。安倍はわかっているのだろうか。

経済的不満に対して、安倍はつづけて言う。

「その具体的な方策を地域経済の実情を十分に踏まえながら政府与党の総力を挙げて練り上げてまいります。」

「政府」でよいところを「政府与党」になっており、自民党、公明党に頼るものだけに恩恵を与えると、思わず、言ってしまったのだ。首相会見の範囲を踏み出している。
   ☆    ☆
PCR検査がふえないのは、政府が「東京オリンピックを予定通りおこないたいからだ」という憶測がある。この憶測を否定するために、安倍は東京オリンピックの中止を言っても良かったのではないか。

もちろん、私はこの憶測を正しいと思っていない。PCR検査がふえないのは、国立感染症研究所と厚労省の思惑があるからと思っている。新型コロナウイルス感染症対策専門家会議座長の脇田隆字は国立感染症研究所所長であるが、一度も、国民の前にできて、記者から質問を受けていない。
   ☆    ☆
いずれにしろ、きょうの安倍の会見は、情緒的な言葉を散らばした、いつもの まやかしであった。曰く

「出場目指し、連日、厳しい練習に打ち込んできた、学生の皆さんの悔しい気持ちは察するにあまりあります。皆さんが応援するご家族や、同級生の前で思い切りその実力を発揮できる、そして、ライバルと正々堂々競い合える日が1日も早く取り戻せるよう全力を尽くすことをお約束します」
「参列できない保護者のためにオンラインで参加できるようにする、参列者のいない式を教員の皆さんが楽器演奏で盛り上げる、子供たちの一生に一度の門出を祝うため、各地の教育現場において、厳しい制約条件の中で、本当にさまざまな工夫が行われていることに感謝申し上げます。」

[追記]
3月15日のBS朝日『激論!クロスファイア』を見て、立憲民主党の福山哲郎が特別措置法の「個人の権利や自由の制限」の問題に腰がひけているのに驚いた。この問題になると、福山は「民主党が作った法律だから」とひいてしまう。
新型インフルエンザ流行とか、原発の原子炉のメルトダウンと放射能拡散とかがあると、あわてふためいて、人間は判断を間違うことがある。間違ったと気づけば、訂正すべきである。
山尾志桜里の主張、「非常事態宣言に国会の承認が必要」、「宣言しても報道の自由を制限しない」は、もっともなことである。立憲民主党執行部は、この問題について話し合いをちゃんとしなかったのではないか。

「正しく恐れる」とは意味不明、こわがって良い、新型コロナウイルス

2020-03-12 19:53:47 | 新型コロナウイルス

新型コロナウイルスの流行を迎え、「正しく恐れる」と言うコメンテーターや解説者が、また出てきた。この言葉を2011年の東日本大震災での原発事故で、私は、はじめて聞いたが、この「正しく恐れる」というのが、いまだに、何なのか まったくわからない。

昨夜、田園都市線で私のそばでゴホンゴホンと咳をするマスクの男がいた。その晩、私は寝苦しかった。
朝になって、「正しく恐れる」とは何か、ネットで調べると、もともと「正しく こわがることはむずかしい」という意味であった。

この言葉は、寺田虎彦の「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしいことだと思われた」からくるらしい。
最初にネット上にあらわれたのは、2009年の新型インフルエンザ流行のときだという。

それが、原発事故後には、「災害や原発リスクについてより深い知識を得、状況を理解して対応する」という意味に転用され使われた。

これは、無理なことである。「こわがる」は情動反応であり、「正しく」は理性の判断である。「こわがる」を「恐れる」に変えたのは、「庶民は専門家の言う通りにしなさい」と政府が言いたかったからだ。「正しく恐れる」の言葉には悪意がひそんでいる。

じつは、「正しくこわがらない」は、精神医学では、「不安症群 Anxiety Disorders」のことをいう。しかし、それが病気かどうかの判断はとても難しいのである。アメリカ精神医学会の診断マニュアル DSM-5には次のように書かれている。

「恐怖は、現実の、または切迫していると感じる脅威に対する情動反応であり、一方、不安は、将来の脅威に対する予期である。」
「不安症群は、恐怖、不安が過剰であったり、発達的に適切な期間を越えて持続していることによって、発達的に正常な恐怖または不安と区別される。」
「不安症群をもつ人の中には、典型的には、恐怖または回避をする状況ではその危険を過剰に評価するので、恐怖または不安が過剰か、それに釣り合ったもの以上かという本質的決定は、文化的な文脈の諸要因を考慮しながら、臨床家によってなされる。」

すなわち、精神医学でも病気か否かの境界は曖昧なのである。「平均的な人」と情動反応が異なれば病気としているだけである。「正しくこわがる」とは無理なことである。

私は、NPOで「不安症群」やその傾向の子どもに接すると、その恐怖や不安を肯定してあげることにしている。

「正しくこわがらない」行動は、災害の分野では、「正常性バイアス」と呼ばれる。「自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりしてしまう人の特性」のことを言う。東日本大震災でこの「こわがらない」ことの危険性が叫ばれた。

この大震災では、避難勧告・指示が出されても、消防団などが直接説得しても、大津波から逃げようとしない住民の数が驚くべきほど多かった。恐怖や不安がとても大きくなると、理由もなく「安全だ」と思い込もうと人間はするのだ。

福島第1原発事故を扱ったNHKの『メルトダウン』シリーズを見ると、すごい恐怖のなかで、原発作業員は楽観論にすがりはじめる。1号機の非常用の冷却装置(IC)が稼働していなかったのに、原子炉建屋のブタの鼻からもやもやの蒸気が出ている、大丈夫だと思いこんだ。じつは、ICの稼働訓練をしたことがなく、稼働させると天にとどろく轟音がをたてて蒸気が吹き出ることを誰も知らなかった。1号機につづいて、つぎつぎと他の原子炉もメルトダウンした。

政府は、「正しく恐れる」ことを国民に要求してはいけない。「こわがる」ことは、危険を回避するための正常な行動である。意味のない言葉を述べるのではなく、政府は、責任をもって、政府がすべきこと、診断と治療の医療体制をととのえることに全力を挙げるべきである。

国立感染症研究所は、感染の実態を調査し、感染や重症化のメカニズムを解き明かし、公表すべきである。中国の研究者のように論文を書いているのか。

政府が、最悪の場合、日本では、約2000万人が新型コロナウイルスに感染するとの予測を公表した。新型インフルエンザ流行では約1000万人が感染したと推定されていることから、これを2倍にしただけだろう。

正確な数値を私は求めているのではなく、これが国民を脅かすための数値ではなく、医療体制を構築するために現実に役立つことである。

新型コロナウイルスの致死率1%は、新型インフルエンザのときの0.1%より10倍も多い。また、高齢者や呼吸系疾患者や糖尿病患者が高リスク者というが、新型インフルエンザのときも同じことが言われていた。感染症一般に言われていることで、子どもや若者は死なないという迷信が生まれ、「こわがる」ことをやめては困る。

政府幹部のなかに、国益のため弱者に死んでもらう絶好のチャンスだと考えている者がいるのではないか、また、下の役人のなかに、「正常性バイアス」で自分だけは大丈夫だと安心して、上の指示通りに動いているフリをしている者がいるのではないか、いろいろと「不安」になる日々である。

[追記]
テレビに出てくる自民党議員や、番組によってはキャスターが新型コロナウイルスのPCR検査の精度を低いという。きょう、 3月13日の『報道1930』では元厚労相の田村憲久は7割だから、検査をしなくても良いと取れる発言をした。
この試薬は国立感染症研究所が開発し配布したものである。こんなに低いはずはないと思う。
外国製では95%から99%である。また、PCRで倍増したRNAをシーケンサーで塩基配列を決定すれば、理論上は100%である。だから、塩基配列を決定した場合は確定検査という。
国立感染症研究所も名誉のために反論したほうが良いと思う。

[追記]
新型コロナウイルス対策は昔ながらの感染者の隔離である。観光立国日本では、水際検疫が成功するはずがない。そして、今回それに失敗した。それなのに、安倍晋三は、中国や韓国からの入国制限強化を、あたかも有効な対策のように、2,3日前に宣言した。
分子生物学の進んだ現在、昔ながらの検疫・隔離だけで、新型コロナウイルス対策を行うのは時代錯誤だと思う。