1月17日は阪神淡路大震災のあった日です。
昨年この記事を書こうと思いましたが、
まだ恐怖から立ち直っておらず、
今年になって書く気になったのは、
単純に、恐怖心が薄れたこと・・・これは逆に怖いことです。
いつまでもあの体験を忘れてはいけませんから。
もう一つ、書く気になったのは
今年が子年だからです。
震災前、我が家はハムスターを飼っていました。
かごの中で飼うハムスターはマンションでも許されていたからです。
2年半くらい生きていましたが、
亡くなったのはあの震災の前日なのです。
震災の1週間前から突然ぶるぶる震えだし
体の具合が悪いのかなと思って様子を見ていましたが
あの前日、外出から帰って、かごを覗いてみたら
すでに息はありませんでした。
2年半も生きていたのだから寿命だったのかなと思い
公園の端っこにある小動物の墓に
夜になって埋めてやりました。
そして明くる日の早朝、
あの地震は起こったのです。
あの元気そうだったハムスターが
突然ぶるぶる震えだしたのは
まもなくくる地震を怖がっていたのだろうか?
あとになって、そう考えてしまいます。
動物だけでしょうか。
人間にはそういう感は働かないのでしょうか。
私もあの日は明け方になって
いつもはそんなことがないのに
急にトイレに行こうという気になって行き
帰って寝床に入って眠りにつく前に
あの地震を体感しました。
とっさに隣りに寝ていた娘をかばうように
追いかぶさり
私たちは倒れてきた箪笥や、もろもろから
奇跡的に下敷きにならず助かりました。
もし熟睡していたらどうなっていたかと思うと・・・
主人もあの時間は、まもなく起きようとしていたので
体は起きる体制に入っていたそうです。
動物だけが敏感に感じ取るのでなく
人間にも第六感は働くのだと思うのです。
虫が知らせると言う言葉があるように。
“人間は余りに自然から離れすぎた。
そのため、本来持っているであろう能力は使われず退化している。
そのため、自然の発する「声」を聞けなくなってしまっている。”
これは、以前にどこかで読んだ文章ですが、
人間にも本来そなわっている力を、せめて1月17日という日に
思いだそうではないか・・・とあらためて。
人間も動物の仲間なのですから。
昨年この記事を書こうと思いましたが、
まだ恐怖から立ち直っておらず、
今年になって書く気になったのは、
単純に、恐怖心が薄れたこと・・・これは逆に怖いことです。
いつまでもあの体験を忘れてはいけませんから。
もう一つ、書く気になったのは
今年が子年だからです。
震災前、我が家はハムスターを飼っていました。
かごの中で飼うハムスターはマンションでも許されていたからです。
2年半くらい生きていましたが、
亡くなったのはあの震災の前日なのです。
震災の1週間前から突然ぶるぶる震えだし
体の具合が悪いのかなと思って様子を見ていましたが
あの前日、外出から帰って、かごを覗いてみたら
すでに息はありませんでした。
2年半も生きていたのだから寿命だったのかなと思い
公園の端っこにある小動物の墓に
夜になって埋めてやりました。
そして明くる日の早朝、
あの地震は起こったのです。
あの元気そうだったハムスターが
突然ぶるぶる震えだしたのは
まもなくくる地震を怖がっていたのだろうか?
あとになって、そう考えてしまいます。
動物だけでしょうか。
人間にはそういう感は働かないのでしょうか。
私もあの日は明け方になって
いつもはそんなことがないのに
急にトイレに行こうという気になって行き
帰って寝床に入って眠りにつく前に
あの地震を体感しました。
とっさに隣りに寝ていた娘をかばうように
追いかぶさり
私たちは倒れてきた箪笥や、もろもろから
奇跡的に下敷きにならず助かりました。
もし熟睡していたらどうなっていたかと思うと・・・
主人もあの時間は、まもなく起きようとしていたので
体は起きる体制に入っていたそうです。
動物だけが敏感に感じ取るのでなく
人間にも第六感は働くのだと思うのです。
虫が知らせると言う言葉があるように。
“人間は余りに自然から離れすぎた。
そのため、本来持っているであろう能力は使われず退化している。
そのため、自然の発する「声」を聞けなくなってしまっている。”
これは、以前にどこかで読んだ文章ですが、
人間にも本来そなわっている力を、せめて1月17日という日に
思いだそうではないか・・・とあらためて。
人間も動物の仲間なのですから。