青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

2021.9.18 日記2

2021-09-19 07:56:07 | コロナ、差別問題と民主化運動、アメリカンポップス


★9月18日の記事に、いいね!その他ありがとうございました。


“女エルヴィス”ワンダ・ジャクソン(今年84歳)の新曲 
カテゴリー:「アメリカン・ポップス」

「次のブログ記事は(別の話題アサギマダラに差し替えて先送りにしていた)イチモンジセセリ」、、、と予告していたのですが、(やはり思ったよりも難しくて)すぐに取り組むとなると、かなり気が重い、、、。それで再び別の話題を差し挟んでおきます。

ジョニー・ティロットソンの「涙ながらにIt Keeps Right On A Hurting」関連。そのカバー・ヴァージョン全アーティスト紹介を目指しているのですが、まだユーチュブにアップされていないのが幾つかあります。メジャーなところでは、ボビー・ゴールスボロ―とか、ザ・ウイルボーン・ブラザースとかは、ぜひとも聴いてみたい。それらのバージョンが、もしかしたら新しくアップされているかも知れない、というわけで、年に1~2度はユーチュブをチェックしています。

今年の春、意外なところから関連ユーチュブを見つけました。エルヴィス“フリーク”らしき、若い黒人DJによって比較紹介された、「涙ながらに」のエルヴィス・プレスリー・バージョン(ロック)とハンク・ロックリン・バージョン(カントリー)の比較です。それに対する感想をブログにアップしておきました。今回、再び意外なところからの関連情報。

ついこのあいだ、今夏リリースされた、ジョニーより一つ歳上の、今年84歳になる、ワンダ・ジャクソンの新譜です。“最後のリリース”と銘打ったアルバムの中からシングルカットされたA面曲です。
Wanda Jackson - It Keeps Right On A Hurtin’ (Audio) - YouTube

「涙ながらに」をはじめとするティロットソン作品を歌った同時代女性カントリー・シンガーとしては、“ジェーン・シェパード”“スキーター・デイヴィス”“ノーマ・ジーン”“アニタ・カーター”“ジョディ・ミラー”“ロレッタ・リン”“コニー・スミス”らがいて、錚々たる面子ですが、日本での知名度で言えば、“ワンダ・ジャクソン”が、一頭抜きんでているのではないだろうかと思います。

“女エルヴィス”ですね。1954年夏に、カントリー・トップ10ヒットの「ユー・キャント・ハブ・マイ・ラブ」。エルヴィスがポップ界に旋風を巻き起こしたのが56年、カントリーではその一年前の55年。ワンダ・ジャクソンの登場は、更にその一年前なのです。

“カントリー”と言うよりも“ロカビリー”。60年には、あのジーン・ヴィンセントをバックに、ロックン・ロール・ナンバーの「レッツ・ハブ・ア・パーティ」をポップスの方のトップ40に送り込んでいます。

61年には、後にロニー・ロブでもヒットする自作曲の「ライト・オア・ロング」、翌62年にかけては「イン・ザ・ミドル・オブ・ハートエイクス」を、カントリーとポップスでクロスオーバー大ヒットさせています(C9位/P29位、C6位/P27位)。

と言う事で、本場のポップス・メジャー・ステージでは60年代に入ってからのブレイクですが、日本では50年代半ばから“女性ロカビリー歌手”、ひいては女性カントリー&ウエスタン歌手の魁として知られています(平尾昌晃とか、ミッキー・カーチスとか、小坂一也とかの時代で、僕も知りません、リアルタイムで接していた方々は今80歳代でしょう)。以前の僕のブログでも紹介した「フジヤマ・ママ」(57年)などの、日本だけの独自ヒットもあります。

その“伝説の”と評しても良い超ベテラン女性カントリー/ロック・シンガー、ワンダ・ジャクソンの「最後のリリース」にジョニーの「涙ながらに」が選ばれたわけで、感慨深いものがあります。

付け加えておくと、共同プロデュースが、若い世代(と言っても60歳オーバー)の女性ロック歌手、82年に
ポップス。チャートで7週間に亘る1位を記録した「アイ・ラブ・ロックン・ロール」のジョアン・ジェットであることでも、注目を浴びているようです。

考えてみれば、ワンダ・ジャクソンとジョニー・ティロットソンは、それぞれ自作の「ライト・オア・ロング」や「涙ながらに」が、60年代初頭のポップ&カントリーのクロスオーバーヒットの代表曲であるわけですから、60年後とは言え、改めて取り上げられても不思議ではないと思います(ジョニーは「ライト・オア・ロング」を歌ったことがあるのでしょうか?)。

ちなみに、僕が一押しの「涙ながらに」カバーは、アマチュア?歌手“Max Phillips”バージョン。彼の歌う「ライト・オア・ロング」もユーチュブにアップされています。共に非常に素晴らしいので、是非聴いてみてください。






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2021.9.18 日記

2021-09-19 07:53:38 | コロナ 差別問題と民主化運動 日記




読者の方々に質問です(僕は頭が悪いので、教えて頂ければ幸いです)。

【Ⅰ】
マスクは、なぜ必要なのですか?

【Ⅱ】
「沖縄に対する日本」
「台湾・チベット・ウイグルに対する中国」
の違いを教えて下さい。

*ブログ記事の冒頭に、この質問を繰り返し続けます。

・・・・・・・・・・

台風が近くに来ているようなので、もちろん裏山探索はやめて、朝からパソコンの前に座ってWi-Fi電波を拾っています。でも、風もないし、薄曇りの穏やかな天気で、、、、出かけていればよかったな、、、、。。

アベマTVで大谷選手を見るつもりでいたのだけれど、まだ始まっていなかった。それで、適当にクリックして、今やってる番組を見ていました。「ヒマラヤの日本人がほとんど行かない秘境の探訪」という趣向の、「ナスD」という人の番組ですね。懐かしい雰囲気(雲南の奥地とほぼ同じ雰囲気)の画面だったので、ついそのまま見ちゃいました。

早送りの仕方が分からない、(というかリアルタイム放映中なのでたぶんそれが出来ない)ため、後ろの方だけチェックと言うわけにはいかず、といって気にもなるし、、、、こんなの見てても仕方がないし早く終わってくれないかな、と思いながら、2時間の番組を意地で最後まで見ました。

感想。上記したように、まず総合的には「懐かしい」(僕のフィールドと同じ文化/自然環境圏)ですね。早く中国(四川・雲南)に戻りたい。それは置くとして、2つの事を想いました。

それ(僕の感じた事、完全な批判意見ですけれど、、、)を言う前に、ナスDさん他の出演者を始め、制作に携わった方々には、敬意を表します。エンターテイメントとしての「出来」は素晴らしいです。ある側面からは、楽しく、、、というか、誹謗するような気持ちは全くない、という前提で見ることが出来ます。

でも、僕が受けた気持ちは全然違う所にあって、、、、おそらくブログ読者の方々に伝えるのは無理でしょうけれど、、、、それを承知で書いて行きます。

この「番組」を見ていて、無性に哀しく、寂しく、辛い気持ちになってきた、ということです。その“気分”の方向は、「コロナ」への想いと同じです。大衆、マスコミ、権力、、、に対する、どうしようもない違和感。もう一回繰り返すけれど、僕の想いは伝わらないでしょうが、、、。

見てまず感じたこと。「嘘だらけじゃん!」、、、むろん一面から見れば、事実を切り取っていることには違いないんですけれど。と同時に別の側面から見れば、嘘ばっかり、と思ってしまいます。TVなどのメディアに於ける“ヤラセ”というのが屡々問題とされますが、僕に言わせれば、このような企画そのものが、さらに言えば、エンターティメントという概念自体が、(個々の事例に対しての正否とは関わりなく)良くも悪くも「嘘/ヤラセ」から成り立っているのです。

僕の想いは、2つの事に集約されます。

以前にも何度かブログに書いたのですが、中国奥地での、カメラマンとか蝶の愛好家とかの、一度の探索行に要する予算について。「200万円ぐらい」と言う方が多いです。
>え?僕なんて、同じ日程で同じ場所に赴いて、(日本からの交通費を含めて)いつも一回の探索行に当てる経費は、せいぜい合計20万円ぐらいですよ。200万円は使い過ぎなんじゃないですか?
>>いや、そんなことはないです、これとこれとこれ、、、、切り詰めても数100万円はかかりますよ。
そう言われればそうなんだけれど、、、僕にはとても、、、。

ところがです。別のバックパッカーの若者とかと同様に経費の話していて、全く逆の反応を得ることがあります。
>>え、青山さんは一回の経費に20万円も使うのですか?僕なんて月2万円ほどで済ませますよ!

まあ、ちょっと極端じゃないかとは思いますが、実際若者の貧乏旅行(それ自体が目的)者は、それぐらいで済ましている人もいます。宿泊費・食事代・移動費併せて一日700円、やり方によっては、それで十分に過ごせます。でも、僕は、貧乏旅行が目的ではないのです。様々な対象の目的があります。

(一般論として)中国の奥地で目的をもった活動を行うには、個人にしろ、組織にしろ、資金さえ目途が立つかぎり、必要経費が何100万円となることは承知しています。TV番組をひとつ制作するには、何1000万円、あるいはそれ以上かかるのかも知れません。僕の場合は、ただ「秘境に探検に行く」だけではなく、色々と調べなくてはならない。にも拘わらず、何100分の一という予算でそれに取り組み、そして、劣らない成果を上げている、、、と自負しているのです。

でも、何の評価にも結び付かない。自己満足のために行動しているのではなく、多くの人に、知り得たことを伝えたいから頑張っているのですが、ほとんど誰一人として、全く評価してくれない。「大きな評価をして欲しい」などとは思っていません。でも、無視されてしまわなくても良いかと、、、。

それは、一体どういう事なのでしょうか?上手く表現できないのだけれど、、、、たぶん知能が低くて貧乏だからダメなんでしょうね。僕は、低知能で貧乏だから、いつまで経っても貧乏なまま、世の中から無視・排除されてしまう。まあ、卑屈の限りで(笑)、ジョークとして捉えて貰うと有難いですが。

いずれにしても、「日本人は贅沢なんだな」と、この番組を見て改めて想いました。ほとんど「料理番組」ですもんね(まあ経費が何1000万円かかって当然ですね)。僕なんて探索行の途上で、「美味しいものを食べたい」なんて考えたこともないです。食べるものがあれば十分です。

もうひとつ。
番組中の「ナスD」さんの発言で、異様なほど強く印象に残った言葉があります。次のような要旨だったと思います。

「この番組の持つ大きな意義は、映像を通して視聴者に参加して貰うこと」
「風や空気や匂いなどの感覚を、リアルタイムで一緒に現場にいるように感じて貰うこと」
「素晴らしさだけではなく、命の危険とか、アクシデントとかの、ネガティブな部分も感じて貰う」 

言おうとしていることは分かりますよ。

でも、僕は、底知れないほどの違和感を覚えてしまいます。そのように「バーチャルの中にリアルを取り込むことを良しとする」感性や価値観を正当づけることが、全ての過ちのもとではないのだろうか?と。そのことは、コロナ、マスク、ワクチンへの対し方の、根本的な部分に於ける危惧を持つことと、非常によく一致するのです。

それはともかくとして、この番組を「湯水のようにお金をかけた料理番組」として見るならば納得ですけれど、「ほとんどの日本人の知らない秘境の探検」として紹介するのは、違和感があります。上手な誤魔化しですね。例えば、日本人は約1億人、99999000人が知らなくて、1000人(0.01%)が知ってたら、「ほとんどの人が知らない」という状況に相当すると思います。と同時に「1000人」が知っている、ということは、結構多くの人が知っているわけで、そこんところを無視して話を進めて行くのは、違うような気がします。

お金をかけて、大衆を「(お約束の)共感」世界に引きずり込んで納得させる。それがメディアの仕事なんだと。それを想うと、どうしようもなく落ち込んでしまうのです。




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