青山潤三の世界・あや子版

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2021.7.5 日記

2021-07-05 20:42:46 | コロナ 差別問題と民主化運動 日記


★7月4日の記事に、いいね!その他ありがとうございます。


僕は、ここんところ、自分が低知能(いわゆるバカ、かっこよく言えば「発達障害」とかも入るのかな?)だということをアピールしているのですが、決してポーズではありません。本当にそう思っているのです。いわゆる“メンヘラ”とかに分類されるのかも知れませんね(笑)。

そのうえで、「知能が高い」「低い」とはどういうことなのか?そもそも「知能」とは何なのか?と言う命題を「低い方の側」から考えてみよう、と思っています。

最近(コロナ問題がスタートしてから)、つくづくと思うのですね。
学問とは何なんだろう。教育とは何なんだろう。進歩とは何なんだろう。発展とは何なんだろう、、、。
理論とは?証明とは? いろんなことに、疑念を懐いています。

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繰り返しますね。僕はマスクはしません。別に、「経済復活」のためじゃないです。何度もバカの一つ覚え(本当にそうかも、笑)のように言うけれど「人類の未来」のためにです。

しろ!と命令されたら、しますよ。でも、「ご理解とご協力をお願いします」と言われても、理解できないことは理解できんのだからしようがありません。「ご協力をお願い」されれば、まあ応えてあげることはやぶさかではないですが。

ということで、人がいない所では、(どんなに面倒でもいちいち)マスクを外しています(笑)。原則2m以内に人がいるときと、対面するときに限り、マスクしてます(理解は出来ないけれど、一応“お願い”には応えている)。

ワクチンは打ちません。別に副作用云々の話ではありません。こっちも「人類の未来」のためです(あと、三世とジョージが「打っちゃダメ!」というので従っている)。まあ、命令されれば打ちます(打たなければ日本出国出来ないときとか)。

だって、これまでだって、「新型ウイルス発症」でいちいちワクチンなんて打ってなかったでしょう? なんで今回だけ「ワクチン接種必須」なのか、理解できない。

昨日、3か月半ぶりに、銭湯(河辺温泉)に行きました(体は毎朝夕お湯沸かして洗っています、お湯は少しずつしか沸かせないので約一時間かかる)。

以前にも何度か書きましたが、相変わらず、入口3mはマスク必着(受付の段階でつけてないと入浴を拒否される)、中に入れば必然的にマスクはとります。

若者が、大声で喋りまくっています。

そのうち、入浴時もマスクを、と言う事になるのかも知れないですが、それは無いでしょう。あんな湿気の高いところでマスクなんかしていれば、別のシチュエーションで感染しまくりになると思います。

じゃあ、どうすれば良いか?

「感染防止」とかを真面目に考えれば、マスクなし入浴も、マスク入浴も、両方ダメですね。

原則論貫くなら、銭湯廃止です。そもそも、銭湯と言った(ある意味非常に不衛生で破廉恥な)「日本文化」が成り立っていること自体が、おかしいのです。僕は「銭湯大好き人間」なので、廃止されたら困りますが、、、。

でも「日本文化」は廃止されないでしょうね。自分とこの文化は認めても、他文化は拒否する(入れ墨入浴禁止とか)国ですから。

じゃあ、どうするのか。有耶無耶にしちゃいます。「コロナ問題」の結末(結末が見出せないという結末)は、最初から決まっています。最終的には「無かったこと」(基本的に「ただの風邪の延長」であることを認める)にしてしまう。そのうちに「感染」というキーワード自体が、どこかにフェイドアウトしていくと思います。

そして、全ての責任を(何はともあれ)「武漢」に押し付ける。何はともあれ「民主主義」と「科学」が「正義である」と、平然と居直る。

僕は「コロナウイルス問題発生(その認知)当日」から、そのことを言い続けています。

当たりますよ。

ちなみに、昆虫とか植物の分野で、僕が提起実証した(それまでの定説と異なる)新しい見解も、全て当っています。最初は無視され、その後エリート研究者により「正規の形で」「科学的に」発表され、僕の言ったことは、無かったことにされます。過去の発言(ちゃんと文献上に残っている)を主張すると、「後追いのパクリだ」「素人の言うことは無視」と誹謗中傷され、様々な分野で、それが無数に繰り返されているのです。

で、唐突ですが、手塚治虫。もちろん、僕の場合と同列には扱えない(能力の量が天と地の差なので、この話題と並べるのは余りに烏滸がまし過ぎる、ということを承知している)のですが。彼の(その時点での未来の事を書いた)作品は、今のところ全部当たっていますね。

とりあえず、「ロジカル」「エビデンス」が見出されねば「陰謀論」にしちゃう。後にそれが当たれば、「科学の勝利」にすり替える。

この間、青梅の森で撮影中、数学者で画家で音楽家のお婆さん(僕よりちょっと下)にお会いしました。「数学は学問ではなく芸術です」と仰っていました。僕もその通りだと思います。

追記:

僕は、政府の味方でも、反政権の味方でも、マスコミの味方でも、有識者たちの味方でも、大衆の味方でもありません。人類の味方です。「大衆」は最大の敵ですが、個々の人間は好きです。

先日、愛宕山の頂上で、偶然出会ったM氏と延々とお喋りしていたのですが、M氏が次のような要旨を言っておられました。
>世間が、空気の流れだけで、WHOのデドロス事務局長を「悪者」に仕立て上げ、そのことで結局しっちゃかめっちゃかになってしまっている。今回の「コロナ騒動において」最も憂慮することのひとつだと思う。

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適当に選びました。たまたまパソコンの画面にあった、結構好きな写真です。
四川省宝興県ロンドン-東拉渓谷 2010.8.6







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