場末の雑文置き場

好きなことを、好きなときに、好き勝手に書いている自己満ブログ。

東京医大の点数操作のこと

2018年08月05日 | ジェンダー・家族等

差別大国だという認識は持っていたけど、それでもまだ私はこの国のことを甘く見ていたらしい。日本すごい、と皮肉を込めて言いたい。

日本でアファーマティブ・アクションを導入しようとすると、逆差別になるから良くないと言う奴が必ず現れる。でもこれはそれ以前の問題じゃないか。医者は男性がなるものっていうイメージもまだまだ根強く、試験を受ける前の段階で女子には様々な抑圧があって篩い落とされていくのに、そこを突破しても公平な条件で争うことさえさせてくれない。
このことで幹部が「同じ点数なら男子を優先合格させる調整はしていたが、女子の一律減点は許されない」と話していたらしい。なんもわかっちゃいねえのな。

私大だから文句を言われる筋合いはない、なんて理屈は通らない。女性研究者研究活動支援事業に選ばれて補助金ももらってたんだから。そんなところが女子一律減点って何のギャグだよ。それで男子も女子も受験料一緒なんだからな。

更に闇が深いのは、これを差別じゃないと言い張る輩が少なくないってとこ。ものすごくわかりやすい差別事案なのに。

これは差別じゃなくて区別で、女はすぐ辞めるから男の数を多くしないと現場が回らないんだとか。激務だから女には向いていないとか。看護師だって激務だけど女性中心で回ってるのに。
「力仕事が苦手な女医では病気は治せない」みたいなトンデモ意見も見てしまった。力仕事なんか関係あるのか? 女性比率の高い看護師のほうが力仕事多いんじゃないの?

そもそも、女性医師の離職率が高いのはなぜかって話だよな。どんなに仕事が忙しかろうが家事育児は女の仕事だと思っているような人間が多いからじゃないのか? 女性医師と結婚している男性が家事を「手伝っている」という感覚でいた例も実際に見たし。

差別を差別であると指摘されることに激しい拒絶反応を示す人、ものすごく多いんだな。少なくともネット上では。この国は差別の少ない国っていう幻想を守りたいみたいんだろうか。それどころか、こういう実態を見ても就職その他で女性のほうが優遇されているという信念を曲げない人間も結構な数でいて、それもまた闇。

杉田水脈の「LGBTは生産性がない」発言でも「なんの問題もないものを殊更問題視して自民党攻撃の材料にされている」みたいなこと言ってた自民党支持者がいたっけ。あれを何の問題もないと思えるってすごいな。
「サイレントマジョリティ」って言葉を最近ネットでよく見るようになったけど、自称サイレントマジョリティって決してサイレントじゃないよな。必死にマイノリティを押さえつけようとしてるし。

ただ、これが発覚したのはいいことだと思う。世間に知られないままでいるよりはずっといい。「どこの大学でもやっていること」らしいから、この機会に他の大学も追求してほしい。


ツイッターレディース的なもの

2018年07月28日 | ジェンダー・家族等

御茶ノ水女子大がトランス女性を受け入れると発表したとき、Twitter上では保守派のみならず、決して少なくはない数のフェミニスト系アカウントからの反発が見られた。
否定意見の具体的内容としては、男性の体を持った者に対する漠然とした恐怖を表明するものからトランスに対する嫌悪感丸出しで攻撃的なものまでいろいろとあったが、後者はもう完全にアウトだし、前者も問題がないとは言えないと思う。

それがトランスフォビアだと批判されても、かれらの態度は硬化するばかりだった。女性に文句を言うのはおかしいしこれは差別じゃない、もともと性暴力を起こす男がいるからこういう懸念を示す女性がいるんだから責めるなら男を責めろ、といったような感じで。
自分が偏見を持っていたり差別したりしていると頑なに認めないあの態度って、フェミニストがさんざん他にとられてきたものじゃないのか。どうして同じことを他の属性に対してしてしまえるんだろう。

私の恐怖心を尊重しろって? だけどトランス女性が抱えるであろう恐怖心については考えたことがないんだろうか。これから大学に入学しようという未成年のトランス女性がネット上のあんな意見を見てしまったらどう思うか。トランスは私達の恐怖心に配慮するのが当然と言いながらトランス女性の気持ちなんて一切考えず、傷つけるような発言を繰り返していた人もいた。これが多数派の傲慢でなくてなんだろう。

さらに恐ろしいのは、あの人らは今回の件でも自分たちこそが被害者であると思っていたことだ。圧倒的マイノリティの訴えを女性という弱い存在に対する強者からの威嚇、攻撃みたいに受け取っていた。

女性差別を盾にして移民差別など他の差別を煽る手法は今までにも見た事がある。恐怖を言い訳にして自身の差別性から目を背けようとしているところも全く同じ。
差別に反対するものであったはずのフェミニズムを差別の道具に使うのって、単なる差別よりももっと悪質なんじゃないだろうか。こういうのを免責してはいけないと思う。

それで思い出すのが、ツイッターレディースと呼ばれる差別集団。
今回のトランスジェンダーへの攻撃の仕方はあのツイッターレディースとそっくりだった。自分はいつでもマイノリティで被害者なんだと言いながらより弱い立場の人を踏みまくっていて、自身の加害性には完全に無自覚なところが。

今回トランスフォビアを表明したアカウントの中でも特に悪質なものにはアカウント名にエビマークを付けているものが多かった。このエビマークとツイッターレディースとの関連性については以前から一部で言われていた。つまり、このマークを付けているアカウントの中に元ツイッターレディースが大量に混じっているんではないかという。
それでエビマークを付けたアカウントの発言をよく見てみたところ、確かに差別発言を垂れ流しているようなものも多かった。だからかれらには前から警戒していて、今回の件もやっぱりな、って感じではあった。

元ツイッターレディースと私にもわかるもので代表的なのというと、山崎マキコがいる。作家で一応有名人なので名指しで。凍結されたあと新しいアカウントを作って転生していて、現在は吉村(@battahasegawa)と名乗っているようだ。長谷川、松田とときどき名前を変えているけど、アイコンはずっと同じなのですぐわかる。
この間少しこの人のツイートを見てみたら、いまだにひどい差別発言を続けていた。御茶ノ水女子大の件については漠然と恐怖を表明するだけじゃなく入学許可を白紙に戻せとか言っていたし、他にもトランスフォビアを煽るような発言もしていた。女性は女性の体に生まれただけでMtFよりマイノリティであり、MtFは女性より強者で経済力もある、みたいな無茶なことまで。トランス女性を女性とは認めず、なにがなんでも自分たちこそがマイノリティだということにしたいらしい。

まあ、山崎マキコはそもそも差別反対の人なんかではなくただのひどい差別主義者なんだからもう仕方がない。だけど普段理性的な感じのことしか言っていないようなフェミニストっぽいアカウントが平気でこういう人をフォローしたりRTしたりしているのが怖い。自分は表立って差別発言していなくても、内心は共感しているってことなんだろう。

他の元ツイッターレディースも大体同じ。別アカウントで何事もなかったように発言を続けていて、そこそこの支持を得ている。かつてツイッターレディースを批判していたような人たちまで取り込んで。
「この人は大丈夫そうかな」と思ったフェミニスト系アカウントのフォロー欄を見てみると、エビマーク付けて差別発言しているアカウントがズラッと並び、お決まりの山崎マキコ(@battahasegawa)もいたりするとすごいガッカリ感がある。あんたついこの間「差別主義者」を厳しく批判してたじゃん、あんたがフォローしてるのは差別主義者と違うのかよ、とツッコみたくなったり。

いまや元ツイッターレディース及びそういうのを許容して積極的に受け入れるような人たちがツイッターフェミニズムのメインストリームになってしまっているようだ。山崎マキコとか本当にひどいと思うけど、アンチフェミの人以外からの批判も少ないし(決してないわけではないけど)。

最後に。「女性差別は最後に残る差別」って言っているフェミニスト系の人を結構よく見るけど、私はこれにもいつもモヤモヤしている。多分こういうことを言う人は女性差別以外の差別には無関心なんだろうと思う。
確かに、人種差別に反対している人間が女性差別的であったりするのはよくあるんだろう。でもその逆の、女性差別に反対する人間が人種差別的であったりする事例も私は散々見てきた。現にツイッターレディースみたいなのもいるし。

最近は、女性差別にだけ敏感で他の差別についてはほとんど言及しない人も警戒対象になった。普段ヘイト発言はしなかったとしても。
女性でフェミニストっていうのはつまり、「自分が踏まれないための戦い」をしているわけだから、自分が「踏む側」に立っている差別に対してどういう態度をとっているか、っていうのがその人を見る上での重要なポイントになってくると思う。


「ワンダーウーマン」にモヤモヤ

2017年08月24日 | ジェンダー・家族等

「ワンダーウーマン」が女性に支持されているようなんだけど、私はあれを素直に肯定する気持ちにはなれない。

まず、主人公のコスチュームの露出度の高さがどうしても気になってしまう。ゲームでもそういう傾向が強いけど、男性ヒーローは全身を覆うスーツなのに、どうして女性にはすぐあんなものを着せようとするんだ? 戦闘に支障が出るだろうに。

女性のスーパーヒーロー、という一点だけはフェミニズム的と言えるかもしれない。でもそれ以外の部分がなあ。主人公は白人の、スタイルのいい美女。すごく強いのに、わりとスレンダー。そして恋愛要素もあって、相手は男性、そして白人。従来の型通り。ちっと進歩的じゃない。

そしてなによりも問題なのが、主演のガル・ガドットがシオニストであること。

役と役者は別物だと基本的には思ってる。悪役をやったからといって役者本人まで嫌うような人が実際いるけど、そういう人は私だって苦手だ。
でも主演俳優は作品の顔だからな。映画がヒットすれば、それだけガル・ガドットの影響力だって増すだろう。
それに「自分は」ガル・ガドットとワンダーウーマンを同一視しないとしても、子供たちはどうかな? ガル・ガドットを正義の味方として見る可能性は非常に高いのでは?

ハリウッドにおけるイスラエルの影響力の大きさの問題も無視できない。イスラエル批判はタブーで、これをやったら仕事を干される世界だと聞く。実際、ペネロペ・クルスとハビエル・バルデム夫妻がガザ攻撃を批判して映画会社数者からブラックリスト入りさせられたこともあった。
そんなハリウッドで、世界を守るスーパーヒーローをシオニストが演じることの意味を考えると、「役と役者は別」で片付けられる問題では決してないんじゃないの?

普段ジェンダー問題について真面目に考えている方々が「ワンダーウーマン」にわりと好意的な感じなのがモヤモヤする。本当にあんなものを? って正直思う。
「ワンダーウーマン」をフェミニズムのアイコンみたいに持ち上げてほしくない。単なる一娯楽作品扱いだったら、多分ここまでは気にならなかったんだけど。

フェミニズムとシオニズムは共存できないものなのかは、私にはわからない。でも、自分たちに向けられた差別や抑圧には反対するけど、自分たちとは関係のないものに向けられた差別や抑圧は許容する、どころかそれを含むものを積極的に支持しさえする、みたいな態度は不誠実だと思う。シオニズムは明確に悪だし、「イスラエルもパレスチナもどっちもどっち」なんて言ってる冷静で中立的なつもりの人たちを見るととても残念な気持ちになる。


ロリコン大国ニッポン

2017年04月10日 | ジェンダー・家族等

最近、女子高校生と警察官だの女子高校生と教師だの、未成年女子と成人男性との恋愛物映画が妙に多い。
こういうのを批判すると、偏見を抱く心の狭い人みたいに言われたりしてゲンナリする。大人と子供の力関係を考えろよ。まして教師と生徒だったりしたら、なおさら未成年側の立場は弱くなるんだよ。

「狩野はダメでこっちはOKなのはイケメンだからだよな」みたいなことを言う人もよく見る。「ただしイケメンに限る」って容姿差別問題にすり替えようとしてるのが腹立つ。
どっちもだめに決まってんだろうがボケが。違うから。顔なんて一切関係ないから。誰がやろうが犯罪は犯罪だ。ロリコン映画も、狩野英孝も、ついでに高橋ジョージもみんなまとめてくたばれ。

あの手の映画に喜んでいるような層は、大体狩野のことも非難していないと思う。狩野のことだけ非難しているのがいるとすれば、敢えて言えば映画はファンタジーだからじゃないかな。
一般人じゃなくてメディアが非難していないことだったら、それは金になるからだよね。狩野を擁護したところで一銭の得にもならんが映画にはスポンサーが付いてるから。

今やってるロリコン映画、どっちも原作は少女漫画だし、少女漫画とか乙女ゲーって教師と生徒の恋愛を扱ったものが結構多いんだよね。ほぼ必ず男側が年上で。しかも教師キャラって人気あるらしい。

ちょっと話は逸れるけど、倫理上の問題を完全に置いておいたとしても、ああいう話にときめく女性の気持ちってさっぱりわからないんだよな。そもそも年上に惹かれる気持ちがわからない。
私が高校生の頃なんて、20歳以上はおっさんにしか見えなかった。自分が早生まれで童顔だった(過去形)せいもあって同級生ですら半分はおっさんに見えたし、小柄で中性的で可愛い感じの子以外受け付けなかった。そういうタイプも大人になったらだんだんいなくなって、数年でみんなきったないおっさんになってしまうんだと思うと軽い絶望感があった。

それはそれで行き過ぎだよな。自分がおかしかったという自覚はある。


「おしどり夫婦」という言葉

2017年03月17日 | ジェンダー・家族等

「○○の妻たち」という番組で、中尾彬・池波志乃夫婦のことが取り上げられていた。私は全然見たくなかったんだが、家族が見たいと言うので見させられる羽目になった。食事中だったので逃げることもできず。

番組の内容は、ものすごくイライラさせられるものだった。妻側の負担が多すぎる夫婦だな。

朝食は、まず和食か洋食か、夫の要望を聞いてから作り始めるんだとか。結構手の込んだものを7品目? くらい。なのに手早く作らないと急かされる。
食事が終わったらすぐ皿洗い。洗っている最中に「ジュースを出せ」とか座ったまま遠くから言われる。池波志乃は怒らず、文句一つ言わず、コップに入れた状態でジュースを持って行ってあげていた。

ジュースぐらい自分で出せや。ついでに言えば皿洗いくらいしろや。妻だって専業主婦じゃなくて、他の仕事もあるのに。

中尾彬は妻がいなきゃ何もできなくて、自分のパンツの場所さえわからないらしい。
小さい子供なら仕方ないが、妻より10以上も年上のじいさんがそれって……。ボケてるわけでもないのに。

「人の世話を焼くのが楽しい人もいる、あの人はあれで幸せなんだ」と、こんな番組を私に強制的に見せやがった家族は言ってたけど、なんだかなあ。たしかに池波志乃はインタビューで現状に満足しているみたいなことを言っていたけど。
モラハラを受けている人だって、周りから何を言われようがあの人はいい人、自分は幸せなんだって言うよな。一種の洗脳状態にいて。で、あるときハッと気付いたり。

この夫婦はおしどり夫婦と呼ばれているらしい。三船美佳・高橋ジョージ夫妻も昔そう呼ばれてたよな。
おしどり夫婦と呼ばれる夫婦って、どこかしら歪んでいるケースが多いような気がする。もちろん全部とは言わないけど。

いつでも、どこに行くにも一緒の夫婦とか、微笑ましい事例として語られたりするが、私はこういうの怖い。どちらかがもう一方を束縛している可能性が高いと思う。
大体、夫婦でベタベタするのがそんなにいいことか? 別個の人間なんだから、ある程度の距離感は必要なんじゃないのかな。

中尾彬も最悪だし、ああいうのを美談みたいな形で取り上げるテレビ局もどうかと思う。
検索してみたところ、肯定的な感想が多かった気がする。「素敵な夫婦」とか言われてたり。どこがだ。まあ、私みたいな感想を抱く人ははじめからからこんな番組見ないだろうからな。