場末の雑文置き場

好きなことを、好きなときに、好き勝手に書いている自己満ブログ。

恋愛脳な人たち

2017年03月04日 | ジェンダー・家族等

男女の友情は成立しない、と断言している人をよく見る。なぜかものすごく自信満々に。ものすごい恋愛脳だなあ、と思う。
こういう人たちを見ていると、小学校時代の嫌な思い出が蘇ってくる。

私が小学校一年生か二年生のとき、仲の良い男の子がいた。異性とかそういう意識は全くなく、純粋に友達として仲が良くて、よく一緒に帰ったりしていた。
あるとき誰かが私に「その子のことを好きなのか」って聞いてきたので、正直に「好き」って答えた。もちろん友達として。それ以外の意味なんか全くなかったし、違う意味にとられるなんて想定もしていなかった。

そうしたらその翌日には、私がその子を好きだと言ったと学校中に広まっていた。それでそのことをみんなに散々からかわれて。私がその子に恋愛感情を持っているみたいに言われて、なんでこうなるんだろうって思った。
まだ小学生だよ。しかも低学年だよ。なんでみんなそんなに異性がどうだとか意識してるんだよ。私には当時そんな発想全くなかったぞ。

その後はその子とそれまで通りには仲良くできなかった。好きっていうのは気軽に言っちゃいけない言葉なんだ、恋愛感情の表明と受け取られるんだ、とあのとき学んだ。仲が良い同性の友だちがいても何も言われないけど、それが異性だと周囲からのからかいの対象になるんだということも。

今でも、異性とちょっと仲良くしていると恋愛に結びつけるような風潮には馴染めない。ただ一緒に歩いているだけでカップル扱いされることすらあって、なんだかなあと思う。「男女七歳にして席を同じゅうせず」の時代でもないのに。

異性との友情が成立するかは「人による」っていうのが正解だよな。異性とはどうしても友達になれないって人は一定数いるんだろう。でも、なれる人は普通になれる。友情が成立しないって言ってる人は当然前者なんだろうが、なんで自分のケースを他人もみんな同じだと思い込めるのかな。
そもそも、同性が恋愛対象の人もバイセクシャルの人もアセクシャルの人もいるってことを全く想定していないよな彼ら。


少女向け恋愛フィクションの罠

2016年12月27日 | ジェンダー・家族等

映画館でものすごく気持ち悪い新作映画の予告が流れてきた。タイトルは「PとJK」。警察官と女子高校生がこっそり結婚する話。原作は少女漫画らしい。まずタイトルからしてなんだかなあ。JKって元々風俗用語らしいじゃない。

気持ち悪さに震えながらも、記事を書くためにサイトに行ってあらすじを見てみた。警察官の男が、職務上女子高生と付き合うことができないから交際期間ゼロでいきなりプロポーズするらしい。
いや、だったら卒業まで待てよ。なんでいきなり結婚にまで話が飛躍するんだ。青少年健全育成条例の対象は18歳までだけど、結婚してしまえばこっちのもの、犯罪じゃないってか? こんな警官に犯罪を取り締まられたくはないな。早いとこ女子の結婚可能年齢も18歳まで引き上げてほしい。
コピーは「PとJKが恋をした。一緒にいる方法はただひとつ。結婚から始まるピュアラブストーリー」。「ピュアってなんだっけ?」と思いっきり突っ込みたくなる。

年上に憧れる女の子は実際多いようだけど、未成年と交際する大人なんて、ただの気持ち悪いロリコンなんだよな。年食ってるだけで精神年齢は低い。でも悪知恵は年相応にあって、搾取する気満々。対等な関係なんて決して築けない。
この手の男を実際見たことがある。女子高校生と付き合っているらしく、JK、JKと自慢気に連呼していて、気持ち悪すぎて鳥肌立った。そいつにとっては彼女が「JK」であるという事実だけが大事らしく、中身なんて心底どうでもいいという感じだった。

あとは「ドS」とやらも最近の流行りなのか? 映画化されたものを見る限り、そういう印象を受けるんだが。ドSって要する偉そうで高圧的なクズ、モラハラ野郎だよな。
ロリコンもドSも、いても毒にしかならない、関わってはいけない男という点では共通している。こういう男が魅力的であるかのように描くのってどうなのよ。

女の子向けの読み物のはずなのに、女の子のためになっていないと言うか、男に都合のいい話なんだよな。女の子に自信を持たせるんじゃなくて、対等でない関係に憧れさせる。読者のためを思うなら、こういう男の危険性を知らせるべきなんじゃないかと私は思うんだけど。

漫画の影響力って無視できないからな。特に子供は影響を受けやすいし。こういうを真に受けて、ロリコンやモラハラ野郎みたいな変なのに引っかかる女性がいそうで怖い。男性向けのロリコン物のほうがこういうのに比べればまだ罪が軽いとすら思える。


「ババアが若い女に嫉妬している」という謎の発想

2016年12月11日 | ジェンダー・家族等

なんとなくゲーム雑誌を読んでいたら、『閃乱カグラ PEACH BEACH SPLASH』というゲームの紹介記事を見てしまい、かなりゲンナリさせられた。

HPはこちら。シリーズ物らしいが、他のがどんなのかは全く知らん。巨乳の女の子が沢山出てきてお色気を売りにしていることだけは把握。今回は布地の少ないビキニを着て水鉄砲でバトルをするようだ。

女の子ばっかり出てきてお色気を売りにしているゲームはよくある。戦闘でダメージを受けると女の子の服が破れます、っていうのもありふれている。女の子たちがセクハラされても顔を赤らめるだけで憤怒の表情を浮かべたりしない、っていうのもお約束。
特にコアな層を狙ったわけではない一般向けゲームでも女性キャラだけ妙に薄着だったり男性陣に比べて妙に年齢が若かったりするよな。

そこまではよくあるからまあいいとして。
いや、良くはないんだけど、全然良くないけど、ありふれすぎていてもういちいちツッコむ気力も失せている。

じゃあ何が気になったのかと言うと、バトルの司会進行役のキャラのこと。司会は男女二人組なんだが、男の司会が参加者の女の子にセクハラしまくってて、女の司会がこれに嫉妬するんだよね。「私はまだまだ若いですよ! いえむしろ、いまがちょうど食べごろなの!」とか言って。

ああ、気持ち悪い。そんな女は彼らの頭の中にしか存在しないと分かってなさそうなところがとってもキモい。

彼女も充分若くて綺麗な女性に見えるんだけど、その点は置いておいて。
「ババアが若い女に嫉妬してる、女どもが俺の寵愛を求めて争っている」みたいな壮大な勘違いをしている男って、なぜか少なくないんだよな。
セクハラされるのが羨ましいわけないだろ。不快以外の何物でもないのに何故そんなこともわからないんだ。セクハラされるのは女として認めてもらえた証拠で名誉なこと、みたいに思ってるんだろうなナチュラルに。

この手の人たちには、若い女と彼らが言うところのババアは別の生き物だと思っているようなフシがあるよな。「ババア」にも少女時代はあったし、過去にセクハラなんかで嫌な思いをしてきたりしているのにね。
若くない女性がセクハラを批判するのは別に嫉妬からではなく、若い女性を心配していたり、過去の自分の嫌な思い出と重ね合わせたりしているからなんだけど、すぐ「嫉妬」呼ばわりするような人にはそれがわからないんだな。


浮気とダブスタ

2016年03月26日 | ジェンダー・家族等

乙武氏が5人の女性と不倫をしていた、という報道が最近あった。この件で、一緒に謝罪文を書いた乙武氏の妻のことを父が「いい奥さんだ」と言っていてゾワーッとした。
完全な被害者である奥さんに謝らせる乙武氏の神経についてはなんとも思わないんだろうか。そして、こういうのが美談と捉えられてしまうようなこの国の空気ってなんなんだろう。おかしいと思っている人もかなり多かったようだから、その点は良かったけど。

不倫報道ってなんだかいつもモヤモヤさせられるんだよな。男がやった場合と女がやった場合で、責められる度合いが全然違う。男が既婚者で女が独身での場合でも、女のほうがより強く非難される。明らかにダブルスタンダードで、そこがものすごく腹立つんだ。

矢口真里の叩かれようもすごかったっけ。男だったらここまでは責められなかったんだろうな。
週間金曜日の「世界一下世話なラブレター」っていう、芸能人について好き勝手に評してるだけの連載で矢口が「男好きのセックス狂い」呼ばわりされていたことも覚えてる。浮気は誉められたことではないとは言え一人と浮気しただけでこの言い草。
「下世話」を自称してるし、いつも悪口しか書かれていない連載ではあるけど、これが男だったら、相手が複数でもない限りヤリ○ン呼ばわりなんかしないんだろうというのがわかるので、そこがすごく嫌だった。仮にもリベラル雑誌でこんなのを載せてもいいのかと思ってすごくイライラしたことを今でも覚えている。

私は浮気が必ずしも悪とは思っていない。
例えば一回り以上とか、うんと年が離れている夫婦だったら、年下のほうが浮気してしまうのもある程度仕方ないんじゃないかと思ってる。もちろん男女どちらでも。それが許せるくらいの度量がないなら年の差婚なんかしないほうがいい。
あとは昔のフランスの貴族みたいな、結婚していてもほかに愛人がいるのが当たり前、お互いそれで了承済み、っていうのだったら公平だしなにも問題ないと思う。

でも現状の日本がどうかと言えば、浮気がある程度許されているのは男だけ。そして、平気で浮気するような男でも「俺は浮気するけどお前はダメ」っていう意識だからな。
女は浮気しないのが当たり前、したらクズ、ビッチ呼ばわり。男は浮気するのが当たり前、本能だから仕方ない、しなかったら偉い、って感じになってる現状。ただ浮気しないだけの男を「聖人」と評している人も見ちゃって驚愕したな。

夫の浮気を許したり一緒に謝ったりする妻が模範的な妻とされて褒め称えられる。良妻=都合のいい妻。で、浮気を許さない女、浮気程度ですぐ別れると言い出す女は怖い女扱いされる。

ああ、クソだ。こういうのを見てるとホント、結婚なんてするもんじゃないなと思う。


「ヒロイン」なるカタカナ語の崩壊

2016年03月13日 | ジェンダー・家族等

「ヒロイン」というカタカナ語の使われ方が、元となったheroineという英単語からは大分乖離してきている、という話を以前ここで書いた。
この傾向は全く止まる気配はないどころか、最近ますます加速してきている。

例えば、男性キャラクターが「ヒロイン」と呼ばれていたりするのをよく見るようになった。
「ヒロイン」と呼ばれる男性の特徴は、すぐ敵に捕まるとか、健気とか、可愛いとか、そんな感じかな。こういうのを見るたびに、ものすごく違和感をおぼえてモヤモヤする。
男に健気、可愛いイメージを持つのが気持ち悪い、って言いたいわけでは全くない。そういうことじゃないんだ。

「可愛い」っていうのは女性に大して使われることが多いだけで、もともと女性を意味する言葉ではない。でも「ヒロイン」には明確に「女性」っていう意味が含まれている。
男性をヒロイン呼ばわりするのは一見ジェンダーフラットであるように見えるけど、実際は全く逆だと思う。「ここではたまたまこの役割を男性が引き受けているけど、これは本来なら女性の役割だ」っていうことをものすごく意識させられる感じがして、だから嫌なんだ。

一般的にこうあるべきとされる男性像からちょっと外れた男性を「ヒロイン」と呼ぶ一方、強い、たくましい女性に対してはヒロインという呼称が使わなかったりする。強い女性キャラクターが「ヒロインじゃなくてヒーローだ」って言われたりね。強かろうがたくましかろうが、性別が女性でなおかつ主人公であれば本来の意味から言えばヒロインなのに。
こういうことの積み重ねで、「ヒロイン」という言葉に弱い、健気であるなどの固定的なイメージがだんだんと強化されていっている。

もともとは、「ヒロイン」と言う単語の意味は「女主人公」で「ヒーロー」の女性形だ。大事なことなのでもう一度書くけど「主人公」だ。「主人公の恋人」なんて意味はもともとないし、添え物的な意味もなかった。

日本人で「ヒロイン」と聞いてパッと主人公を思い浮かべる人はどれぐらいいるだろう。もしかしたら半分もいないかもしれない。
オタクの世界に染まっている人ならなおさら、ヒロイン=主人公なんて思わないんじゃないかな。ヒロイン=主人公の恋人なんだと本気で勘違いしている人は少なくなさそう。主体的な女性キャラクターに対して「○○はヒロインじゃなくてもはや主人公だ」みたいな奇妙な言い方をする人もたまに見るし。主人公とヒロインが両立しないものだと心底思っていないと、こういう表現は出てこないと思うんだ。

もちろん今の日本でだって「主人公」の意味でヒロインって言葉が使われることはよくある。でも決して主役ではない、添え物・客体的な存在である女性キャラクターが「ヒロイン」と呼ばれるケースはもしかしたらそれ以上に多いかもしれない。

それと地続きな感じで、物語の中での重要性を問わず、自分にとって女性的魅力のあるキャラクターを「ヒロイン」と呼びたがる人たちがいる。
ある主要女性キャラクターが自分にとって性的魅力に乏しく、脇役でより好みの女性キャラクターがいた場合「この作品のヒロインは○○じゃなくて○○だ」と言ったり。「ヒロイン」であるかどうかと性的魅力の有無なんて、もともとは全く関係ないのに。

もともとの「ヒロイン」は添え物じゃないし、男のために存在する生き物でもない。どちらかというと優秀なイメージを持つ言葉だった。英雄って意味だってあった。それが今の日本では弱々しい、客体的なイメージを持つ言葉に変わってきてしまった。
言葉の意味は変わっていくものだけど、それにしてもおかしな方向に行きすぎじゃないかと思う。


→「ヒロイン」ってなんだ?