文章論は文法論におけるシンタクスになる。統辞論また統語論がその分野を担うが、すでにその捉え方においてそうであるように、言語のシンタグマとパラディグマを日本語文法で分析すると、文法機能辞によって語と語との意味が明らかである。シンタグマの関係は時間的な順序に配列すると縦の系列で表れる。これを日本語の表記法による縦書きでとらえればわかりよく、文章はまさに縦書きによっていた。しかし、日本語に横書きの時間的継起の捉え方が、とくに欧文の移入によって行われるようになり、シンタグマの系列は横であるとの観念があるようである。表記において日本語の縦書きと欧文横書きと、それが文法の捉え方となって、時空の軸の捉え方ではもとより、クロスする縦の系列がシンタグマであり、ヨコの系列がパラディグマであって、それは、表記されたときに縦と横との見方が逆転していることになる。わたしたちが文章で縦に見るのは、その時空の観念にあっているが、その発想を欧文の書き方に倣って理解しょうとして、文字系列の並びで、シンタグマがヨコの関係であり、パラディグマがそこに起こる縦の関係のように捉えてしまっている。 . . . 本文を読む
正月に初詣を行うのは、なぜか。初詣は神社仏閣、いずれでもよいという。その祈願はまた、合格祈願や商売繁昌祈願、安産祈願など、神社にお参りする。その神社へのお参りが家父長ではなく、一般に広まったと言う。恵方参りは地方によって正月ではなく節分に行う。風習によって神社へのお参りに縁起物がある。それをひきかえに、初穂料を収めて手にして神社参りを果たす。恵方の神社は歳神、歳徳をさす。この初詣に電鉄会社の恵方参りと結びつく話が加わると、それほどに昔のことではなくなる。思い起こせば正月は西宮恵比寿のかけっこであったから、正月早々の神社参りは商売繁盛の祈願、】熊での縁起であったことを思い起こす。それは庶民にとっての初詣となるに違いないが、神社側での、除夜詣と元日の朝の元日詣のまたぐ風習に出かけたものだった。その神社に深夜に電車を運行して初詣の宣伝が行われたのを知る。 . . . 本文を読む