中国とかかわって1978年来、37年になる。かかわり方は仕事上のこと、日本語教育のプロジェクトである。校是が中国とにあった職場は辞書作りから研修生の受け入れへと事業を展開していたときに、そこに始まりがある。大陸引き上げの遺産であったのだが、留学生へちシフトしたプログラム作りを行った。1984年に北京へ出かけてから、あの大きな出来事のときは訪問を中止したが、ほぼ毎年のように北京、天津、上海、南京などの年を訪ねてきた。30年を越えての中国ウオッチャーである。1984年の建国35周年の天安門広場の行事をつぶさに見ていたので、それから数年の動きには目を見張ったものだった。それを過ごしての中国は、経済政策に一国二制度のもと、開発区特区の手法で沿岸経済地域を作り上げて、そこに市場経済をまねてきた。それから20数年におよぶ計画経済は国家主導の展開だったから、その手法にはかたくなに統制が行われていたのだった。それを知ると、この数年の転換は、経済進出への覇権とも見える。 . . . 本文を読む