SNSと聞けば、netwoking とわかって、ネットワーク形成のことを連想し、その構築によって提供されるサービスのことになる。まわりもって考えなくてもよいが、その実際には、ネットワーク業務として行われているビジネスがくっついているのである。それも、広告を掲載するページ作りで、先刻、承知のことであるはずだが、その便利さと使い方で気づかれないままに、個人情報、サイトの閲覧、果ては、買い物行動、食事など生活に始まって、旅行などの趣味、嗜好が、データのひとつに書き加えられているのであるから、それを思い、考えして、ネットワーキングをすることを、自分の内うちに人脈作り、人的ネットワーク形成をしているとだけ思い込んでいる。便利な使いようで、コンピュータはあらゆるものを情報化している。自動運転技術と言って、地球上の道路がすべて記録されたマップとして、地形も建物の外観も、その航空写真の見取り図も、すべてが情報化されたうえで実現する電気自動車の自動化なのである。これを、身の回りのSNS利用で思いつくことがあれば、それはグルメ探しに、ナビゲーションにと、すぐにも思い当たることである。銀行のコーナーでコンピュータの端末を使えば、暗証番号を打ち間違えれば、即座に金融機関としてカード利用の連絡をしてくるのであるから、電子の網に絡まれているわたしたちは逃れる術を失っているのである。 . . . 本文を読む
節目となる年だ、出来事のそれぞれが時代をかえていく。節目を、せつもく と表現した、藤井四段50勝、節目の数字、感慨表現 という見出しなら、音読みをしたわけだから、漢語的になるのかどうか。日本国語大辞典に、>礼記‐学記「善問者、如攻堅木、先其易者、後其節目」 と見えて、節目の意味解釈に、>善問者如攻堅木、先其易者、後其節目、及其久也、相説以解。不善問者、反此。
善く問う者は堅木を攻(おさ)むるが如く、その易きを先にし、その節目を後にし、その久しきに及ぶや、相よろこびて以て解く。問うに不善なる者はこれに反す。
よく質問する者は、堅い木を工作するようなもので、まず柔らかいところから手を加え、節目のある硬いところは後にする。長いこと作業をしていれば、やがてとろけるように完成するものである。質問がダメな者はこの反対で、硬く難しいところから始めるから、いつまでもそこから進めない。
「説」は字義どおり読んで「学説」のことか、「悦」と読んで「うれしくなる」と訳すべきか、という争いがありますが、とりあえず旧説である後者で訳してみました。http://www.mugyu.biz-web.jp/nikki.25.09.22.htm . . . 本文を読む
遊遊漢字学「莫」が「暮」になった理由 日経新聞日曜日のコラムで、阿辻哲次氏の執筆である。大変に興味深い話題が連載されるので、愛読する。メリヤスの漢字表記を取り上げて、莫と暮について解説がある。確かに漢字に象形である、日の文字が二つはいらないから、というのは、この字に限らない文字構成に見られることなのである、形声字となったことがわかる。字通にも同様の説明があるので、草の間に沈む太陽は平原の国である。海に沈む、山の端に沈む太陽を見るわたしたちである。さて、この記事を苦心して書いておられることが、いつもながら、感じられることに、漢字にまつわる話と時代性のことになるが、それよりもまた、腰のまわりなどにたっぷりと脂肪をつけてしまった、というときに、イメージする造形が、阿辻さん独特の展開となる。漢字が持つイメージに、藤堂説のようなエッセイとなると女偏に関する者で、読み手をして眉をしかめることがあるから、少々太っても別にどうということはない、というに及んで、ジョークとするか、深刻な体型を蔑視するか、気になるところとなる。そういえば、昔は太っておられたのに、ある時期、急に細くなったので、筆者のこと心配するようなことだった。 . . . 本文を読む
中日春秋のコラムに、忖度を取り上げた。話題は、英語のcomplicitと対照する。共謀した、という意味であるが、この語が、英語辞書サイト「ディクショナリー・ドットコムによって、二〇一七年を代表する英単語に選ばれたというニュースが、新語流行語大賞との対照、なんとなく意味が近い言葉と述べて、忖度さんを忖度したエッセイとなっている。英語には悪い意味が感じられる代表単語で、日本語ではどうかということになる。役人が忖度してあれこれすることをいう、その相手が首相であったというわけであるが、それが権威、権力者へ向けての忖度となる表現のとらえ方が、マスメディアに現れて、この筆者にもそれが見て取れる。
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