命運 メイウン は、デジタル大辞泉の解説で、身の定め。めぐりあわせとある。命運を賭(と)す、命運が尽きる、など。大辞林 第三版の解説で、そのこと、ものの存続にかかわる重大な運命、国家の命運とある。ただ、運命とも関係をつけること、それぞれに見える。広辞苑は、めぐりあわせとだけあり、さきの例語が記されている。すると、運命の語に注目して、広辞苑には、人間の意志にかかわりなく、身の上に廻ってくる吉凶禍福、それをもたらす人間の力を超えた作用、とあって、人生は天の命によって支配されているという仮説も記す。運命は個々による、個人の人生にあらわれる。そこには文学、仏教に見る、すくせ、宿縁、前世からの因縁が思い合わされる。大辞林 第三版の解説、⇒ すくせ(宿世) 「しゅくせ」 「すぐせ」とも ①(仏教の三世観を基礎とした考え方で)前の世。ぜんせ。②前世からの因縁。宿縁。宿命。 「我が-のがれざりけるを/宇津保 俊蔭」 宿世 シュクセ デジタル大辞泉の解説 ⇒すくせ(宿世)《「すく」は「しゅく」の直音表記》1 過去の世。前世。2 前世からの因縁。宿縁。宿命。「宿世によって結ばれる」 . . . 本文を読む
ぜんあく、ぜんまく、連声の読みに、善人、悪人となるも、善悪を行いに見る宗教宗派がある。日本の仏教には、当然ながら、わたしたちに絶対神はない。神は絶対存在である。善神、悪神はいない。全知全能神はいない。善悪の観念を持つのは人間である。善悪は人の行いである。善悪を神にも仏にも見ることはない。よきこと、良きこと、好きこと、善きことである。あしきこと、悪しきこと、悪しきはよこしまである。正邪におけるよこしまは正しきことに対する。よい、わるい、この並びに、行いがある。善悪不二、善悪無記においては、もとひとつのものととらえ、無記とする、答えられない、それはどちらでも書くことができないとする考え方である。したがって、わたしたちにある、善と悪の精神は、もとより宿るものではない。人の行為に見るもので、善の報い、悪の報い、善行、悪行の、善果、悪果による。 . . . 本文を読む