ソシュールのラングは言語であるから、抽象された概念になる。パロールは言であるから、その音声をもって用済みとなる。 . . . 本文を読む
そうか、この映画を10年前に鑑賞している。クリント・イーストウッドの2部作で、あわせて、監督作として彼の眼を感じたものでああった。先日も1週間ほど前のこと、2部作を一挙、BS放送でオンエアしてであったが、その製作の視点を知ってしまえば、感想もそれまで、戦争に戦費募集という宣伝活動があり、戦争にはその見えざるところで起こる悲劇が増幅されている現実がある。 . . . 本文を読む
90歳、100歳が手ごろな年齢になると言ったら、どうだろうか。長寿になったというだけなのであるが、還暦という年回りは6回を迎えてのことと考えれば、それを60歳にするのか、そうであれば、さしづめ、わたしは干支のめぐりで年男になるから、これでちょうど6回目のこと、これをもって、12歳にやっとなるかという思いである。そうすれば、90歳は三十歳になって、かの教えでは而立であったから、意気も盛んになるころである。えい、何がめでたいか、と思う向きもあろうけれど、もっと、勉強しなければ20代、30代の若者のことがわからない、共感できない、共有するものがない、ということになる、ということは、孤立した、いや、孤絶という年齢になってしまうだろう。風邪でもひいてこじらせれば肺炎を起こして終活エンドとなることをよくよく心得て、モノを言うことになる。60歳で30年計画を見据えて、その10年が過ぎようとして、まだ、なお勉強中である。 . . . 本文を読む