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水戸の見て歩き

水戸・偕楽園の話(2)

2024-04-16 21:18:35 | 水戸

 南崖の途中に斉昭が選定した水戸八景のうち、自身の書になる僊湖暮雪碑(せんこぼせつひ)がありますが、これははじめ、天保5年(1834)に見晴広場あたりに建てられたそうです。斉昭は偕楽園を整備するとき、千波湖の景色を重視して、それまであった家屋を移設したり、防風林を伐採したりするとともに、この碑も今の地へ移したそうです。偕楽園の完成は天保13年(1842)です。広場にはツツジ、ハギ、ススキなどが配置されたそうですが、その一方、戦いが起こった際の、兵をそろえる場としても考えられていたそうです。写真は南崖斜面途中にある僊湖暮雪碑です。

 

 偕楽園には、かつて楽焼きの窯があったそうで、斉昭は抹茶茶碗などを焼いたそうで、現存するものもあるそうです。贈答や何陋庵の茶会などに使ったのでしょう。正門好文亭の中間あたり、梅の苗木を育てているあたりのようです。写真は一昨年撮った後継木育成地です。

 

 今の鶴鳴橋(たづなきばし)の近くの水田には、タンチョウヅル、マナヅル、ナベヅルという3種類のツルが放鳥されたそうですが、農民はツルに苗を踏まれて大変だったそうです。「ツルふみ田」という名前が今に伝わっているそうです。そのあたりには藤棚もつくられていたそうですが、絵図には「鶴之休ミ所」と書いてあるそうです。写真は好文亭四季模様之図です。

 

 斉昭は桜川を南崖下に移して、好文亭南崖下にある南門あたりまで舟で行けるようにしたそうです。その桜川と沢渡川(さわたりがわ)の合流点付近には、宇治のホタルを放ったそうです。うまく繁殖して楽しめたのでしょうか。

 

 もうほぼ散ったと思いますが、偕楽園見晴広場の一角に、古木の二季サクラがあります。春秋の2度咲くそうですが、十月の花つきが多いために、十月桜ともいわれるそうです。このサクラは、旧藩士・久米某の屋敷にあったものを移植したのだそうです。写真は3月31日に撮りました。

水戸・偕楽園の話(1)

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