はじめ、火灯窓(かとうまど)の両側縦枠(たてわく)はほぼ垂直が多く、江戸時代になって裾広がりが一般化したようです。源氏窓ともいわれるそうですが、これは、大津市の石山寺にある、紫式部が源氏物語を書いたという源氏の間にある花頭(火灯)窓からついた名前だそうです。
薬王院(元吉田町682)
回向堂と庫裏(くり)をつなぐ廊下の窓が火灯窓になっていました。窓の幅は広く、内側は障子になっています。宗派は、禅宗の天台宗です。
浄安寺(緑町1-13-22)
本堂側面に火灯窓が並んでいます。薄暗くなりがちな本堂への明かり取り用なのでしょう。禅宗の建築様式として中国から日本に伝えられた火灯窓だそうですが、浄安寺の宗派は真宗大谷派なので、禅宗寺院だけでなく設置されているようです。
光台寺(上水戸3-1-39)
窓の上部がとがっていませんが、これも火灯窓のようです。光台寺は浄土宗だそうです。
桂岸寺(松本町13-19)
桂岸寺では庫裏の入口あたりに火灯窓風の窓がありました。ここは、真言宗豊山派だそうです。
開運寺(千波町1192)
これは、ペットの納骨堂の壁にはられた、疑似火灯窓です。この窓があると、寺院の雰囲気がかもしだされるようです。本門佛立宗だそうです。
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