光圀筆塚(常照寺 元吉田町2723)
常照寺の裏庭にあります。「水府仏日山菅廟後筆塚碑銘」(水戸の常照寺にある菅原道真の天満宮うしろにある筆塚ということでしょう)で始まる明和4年(1676)の碑です。幕末には、吉田松陰も訪れています。見るときはお寺の許可を得てください。山門の「仏日山」という額は光圀の書だそうです。
笠原水道
光圀が藩主になったのは寛文元年(1661)、工事着工が寛文2年、完成が寛文3年、長さ6,213間(笠原から城東の細山まで 約11km)だそうで、総工費約550両、神崎石で作った岩樋を埋めて水を通したそうです。作ったのは下総(しもうさ)佐倉の平賀保秀だそうです。写真は逆川緑地にある笠原水道記念碑裏にある、地上に出ている岩樋です。
漱石所(逆川緑地)
寛文5年(1665)に建てられたそうです。前の池で釣りをしてはいけないとか、芸者を連れて来て夜遊興に耽ってはいけないなどの漱石所規約があったそうです。明和4年(1707)には毀されたそうです。
六地蔵寺(六反田町767)
地蔵堂と、第3世住職・恵範(えはん)が収集したりした典籍の収蔵庫である旧法宝蔵(ほうほうぞう 光圀命名)とは光圀が造営したもので、シダレザクラの前にある漢詩は光圀がつくったものを徳川圀順(くにゆき)が書いたものだそうです。
大井神社石段(飯富町3475)
数えて見ると147段あって、ぶらっと歩きでは今のところ水戸で一番多い数です。これを奉納したのは光圀だそうです。
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