兜松(素鵞神社 上河内町547)
源義家(みなもとのよしいえ)が一盛(いちもり)長者を滅ぼしたとき、この神社の松(写真石碑奥 現在の松は2代目だそうです。)に兜を掛けてその様子を見ていたという伝説があるそうです。かつては甲(かぶと 兜)八幡といわれていたようですが、今は徳川斉昭が上市から遷した素鵞神社になっています。甲八幡は境内社として残っているようです。
兜の名刺入れ(常磐共有墓地 松本町13-34)
小沢寅吉という、東武館をつくった幕末から明治にかけての剣術家の墓所入り口に、兜を刻んだ名刺入れがありました。
徳川斉昭肖像(弘道館 三の丸1-6-29)
萩谷遷喬(はぎのやせんきょう)が描いた斉昭の肖像画だそうです。文と武の二枚があるようで、これは武の肖像です。三葉葵の紋が入り、龍の飾りがついた赤糸威(おどし)の兜のようです。
佐竹義宣奉納兜(水戸八幡宮 八幡町8-54)
黒韋肩浅葱糸威筋兜(くろかわかたあさぎいとおどしすじかぶと)というそうです。たぶん、黒い細い皮(黒韋)と肩の部分だけ浅黄色(薄い藍色)の紐とを結び糸(威)として使った、頭部に縦筋がある兜ということなのでしょう。県指定の文化財だそうです。
かぶと寿司(三の丸3-8-17)
毎年、季節になるとアンコウの吊し切りをしたあとの骨(写真左方)を軒下に下げています。店で出す、春の山菜や秋のキノコを自分で採りに行っているそうです。
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