PROLOGUE
マイ・ルーム・シリーズの終了に
ともない、私の「モノ」への執着も
消えはじめている。
本、音源、映像、そして服。
それらへの執着が薄れていく。
しかし、癖というものはなかなか
消えるものではなく、今でも
暇さえあればいいものを探しに
出かけてしまう。
ちなみに、以前このコーナーで
買う予定に上げたアイテムは
ほぼ手に入った。
一部、路線変更したところもあるが
最近の私を力づけるアイテム達を
紹介したい。
マイ・アイテム 4
まずは、やっぱりニュー・バランス
「2001・ブラック」である。
素晴らしい。
決してかっこ良いいとは思えない。
しかし、頑固な迄に快適性を追求する
その姿勢にはしびれる。
テクノロジー至上主義が未だに通用する
世界。詳しいディティールについては
知らないが、知る気もないがやはり
クッションの材質が恐ろしくいい。
で、定番のグレーを買わなかったのは
珍しいものが好きだからだ。
パンツとのあわせなど考える余地はない。
とにかく、心地よいのである。
何も考えずに身をこの靴に預けてみよう
と思っている。
つぎ、ジーンズ。
私は以前ストーン・ヲッシュを購入予定
と書いた。が、である。
かつて消えたはずのヴィンテイジ熱が
復活してしまい、USメイドのレプリカ
が欲しくて溜まらなくなった。
最初にかったのも、'94年に発売された
US製の'60s、501の復刻であった。
ポケットの布の部分裏には刻印が
あった。しょっちゅう色の落ち具合を
眺めていた。そんな思い出が蘇り
また、色落としを楽しみたくなったのだ。
購入したのは44s501xx。96年から数年間
アメリカ産のレプリカ・ヴィンテイジが
鬼の様なライン・アップで展開されていた。
その当時のアイテムは今ではなかなか
見つからない。ストーン・ヲッシュの
比ではなかった。だが見つけた。
44s501とは、1944年の501という意味。
その年だけではないが、戦中モデルとして
人気がある。物資が不足していたため
リベットの数も少ないしバック・ポケット
のステッチはペンキだしと特徴は多い。
シルエットも若干細い気がする。
太平洋戦争、アメリカが余裕で勝った
イメージだったが実際ジーンズにまで
影響があったんだなと、素の感想。
私の祖父が死ぬ気で殺そうとした相手の
ファッション。まさに44年というドンピシャ
な数字に色々考えてしまう。
44s501のsは「シンプル」のエス。
前進しか知らないアメリカを質素に
させた日本の気概に少し熱くなる。
で、現在。バック・ポケットの
財布後がやや現れはじめたのと
裾が波打つ様に色落ちしはじめた。
こまめにチェックしてしまう。
ここ迄来た段階で、ふと思った。
このノリでジャケットもいっとこう!
資料によると、44s506xxという
上で書いたパンツと対になるジャケット
が存在することが分かった。
しかも、その存在自体がほとんど知られて
いないレア・アイテム。全ての条件を
満たしている!私の目は久々に輝いた。
「何としてでも」
見つけるのには相当手こずった。
が、手に入れた。
これで、ジーンズ・スーツ・スタイル
を決められる。先輩の提案により
その下に茶のオールデン、プレーン・トゥ
をあわせることにした。「アメリカ」
そして、インナー。マドラス・シャツ。
チェックはなんともいえない淡い思い出が
蘇る色の配合。もうこれ以上ないいい色。
アローズ、アウトレットにて見付、見入られ
3枚購入。で近々もう一枚買う予定。
アメリカン・ドリーマー完成である。
オールデンが疲れる時は2001でいこうか。
ん~!ダサイ!
まだジャケットを着るには暑いので
このスタイルは温存しある。
そして、音楽であるが
もう一曲を聞き通す甲斐性が私にはない。
例えば。朝家を出てシーサイド・ライン
というローカルな乗り物に乗る迄。
乗って座っている間。駅に着いて
また立って歩きはじめる時。と、
シチュエーションが細分化されその時の
気分にフィットしないといつまでも
アイ・ポッドをクルクルさせ続けてしまう。
情緒不安定。最近一日のオープニングに
欠かせないのが
「東映不思議コメディー・テーマ・ソング集」
である。覇悪怒組、カミタマン、ポワトリン
ピンとくる人はいるはずである。
バック・トゥ'90s。家を出て、イヤホン耳に
いれて曲が始まれば気分は小学生。
重い足取りがやや軽くなる。そして
シーサイド・ライン。この乗り物は大好きである。
車窓から明るい光が入ってくる。
曲はアニメ「タッチ」の挿入歌「風のメッセイジ」
泣く程に爽やか。バック・トゥ'80s。6分間
タッチの世界を彷徨う。
新杉田というJRの駅が近付いてきた。
ハイスタ難波さんの新譜(チュンク名義)。
悩める打ち込みサウンド。ボリューム・アップ。
スーッと歩いてJRの駅にたどり着く。
駅で電車を待つ間、ポールの新譜
からお気に入りの「フレンズ・トゥ・ゴー」
思わず足踏みしながら宙を睨む。
電車が来た。スピッツ「正夢」
草野さんの放つ光りに包まれ車両に吸い込まれる。
♪ど~か 正夢~♪
なにも考えずにJRに揺られる。
石川町を過ぎ、体はより重くなる。強力なG。
プロフェッサー・ロング・ヘアの登場。
優しくグルーヴに載せてくれる。
聞くのは「ティピティーナ(ライウ゛)」
オープニングのピアノとパーカッション
の掛け合い。しびれる。
その後、教授が吠える。言語不明。
ドアが開く。がグルーヴと供に私は
ノリノリで下車。そこから勤めている
飲食店迄あるく。モロさんのクリップ
でお馴染みのグラフィティー溢れる
あの通り。だが通勤の私は音無に
歩けない。強烈なセカンド・ライン
にチェンジ。ダーティー・ダズン
ブラス・バンドのライブ・アルバム
から「マルディ・グラズ・イン・ニューオリンズ」
スタート。音量マックス。
ノッけ、「オッオゥ」でトリップ。目は白目。
熱気ムンムンのブラス、下品なパーカッション。
その強引なリズムで強制的に店まで体を運ぶ。
で、最後の山場。坂道が200m程続いている。
シャーメイン・ネヴィル!まさにクィーン。
アルバム「クィーン・オブ・マルディ・グラ」
から「イコ・イコ」。
どんな急坂であろうがこの曲があれば登れる。
で、弾みを付けて暫く登ったところで
ダーティー・ダズン再び登場。
「フリント・ストーン・ミーツ・ザ・プレジデント」
まるで行進曲。アメリカ国家も混じっていて凄い。
ところで、セカンド・ラインとは何かご存じだろうか?
ニューオリンズ発祥のリズム・パターンをいうのだが
そのルーツは葬式のセレモニーある。
かつてはアメリカのどこでも、パブリックな楽団が
大勢いて様々の儀式において音楽を提供していた。
その名残がいつまでも尾を引いたのがニューオリンズ
だった。貧しい黒人もそこで楽器を演奏できた。
ジャズが生まれたのもそうした音楽的肥沃地帯であった
からである。で、セカンド・ラインに戻るが
葬式へのいき道、それをメイン・ラインと呼び
故人を偲んでのおごそかな行進となる。しかし
帰り道は一転し、陽気なリズムとなって
足取り軽やかに帰るのがかの地での習慣だった。
そのリズム、それがセカンド・ライン。ただ
それらには俗に1000ものパターンが存在する
といわれる程、多種多様でもある。まさに
ディープ・サウスの懐の深さを物語る。
そして忘れてはならないのが黒人奴隷文化の
重要拠点であったということ。その呪われた
過去が、シンコペートするあのリズムに
呪術的な怪しさを持たせている。
そんな深ーいところから現実に戻らな
くてはいけないのがつらい。このまま
行進してどこかに逃げたい。
それでも店に到着。
イヤホンをとって現実に戻る。
これが選曲の一例である。天候や気分によって
変わってくるがだいたいこんなペースで
曲を変えている。このあたり、私の中での
アメーバ化の現れかもしれない。
続いて、本。
「ムー本」、徳間書店「超知シリーズ」
この辺りを読みあさっている。
いわゆる終末思想に浸っている訳だ。
フォトンベルト、UFO、UMAなどなど。
ディープ・終末・マインド一直線。
それらの「うわっ」という本を
大好きなシーサイド・ラインで読む。
だいたい月曜が私の休みであるが
気分のいい休み、本を持って
車両に乗り込む。午前10時過ぎとも
なればすきすきだ。コーナーにでんと
陣取る。そして、奇想天外な内容を
黙々と吸収する。終点で止まっても
そのまま座っていればまた出発する。
シーサイドというだけあって、車窓
からのぞく景色の7割はどこかに
海が見える。どぎつい内容なだけに
たまに窓の外を見る息抜きがなんとも
爽やか。
「ノアの箱船って本当だったんだ~」
「カッパって宇宙人のモデルだったんだ~」
「NASAって秘密を隠してるんだ~」
「海は広いな~」
サラリーマン末期、私は狂った様に
自己啓発書を読みあさった。
中でも、「知的生き方文庫」は
何冊読んだか分からない。ハウツー本も
かなり読んだ。だが、飽和点というのが
ある。もういらなくなる時が来る。
その時々の求める知識をどれだけ正確に
摂取できるか。それが大事なのではないか。
のどが乾いている時にどんな美味しい
食べ物があっても嬉しくない。
今の私の脳はグロテスクな知識を欲している。
際どい内容がみるみる浸透していく。
まさに、スポーツ・ドリンク!
アサヒ「H2O」ばりの吸収力で私は
終末思想を拡大させている。
マイ・ルーム・シリーズの終了に
ともない、私の「モノ」への執着も
消えはじめている。
本、音源、映像、そして服。
それらへの執着が薄れていく。
しかし、癖というものはなかなか
消えるものではなく、今でも
暇さえあればいいものを探しに
出かけてしまう。
ちなみに、以前このコーナーで
買う予定に上げたアイテムは
ほぼ手に入った。
一部、路線変更したところもあるが
最近の私を力づけるアイテム達を
紹介したい。
マイ・アイテム 4
まずは、やっぱりニュー・バランス
「2001・ブラック」である。
素晴らしい。
決してかっこ良いいとは思えない。
しかし、頑固な迄に快適性を追求する
その姿勢にはしびれる。
テクノロジー至上主義が未だに通用する
世界。詳しいディティールについては
知らないが、知る気もないがやはり
クッションの材質が恐ろしくいい。
で、定番のグレーを買わなかったのは
珍しいものが好きだからだ。
パンツとのあわせなど考える余地はない。
とにかく、心地よいのである。
何も考えずに身をこの靴に預けてみよう
と思っている。
つぎ、ジーンズ。
私は以前ストーン・ヲッシュを購入予定
と書いた。が、である。
かつて消えたはずのヴィンテイジ熱が
復活してしまい、USメイドのレプリカ
が欲しくて溜まらなくなった。
最初にかったのも、'94年に発売された
US製の'60s、501の復刻であった。
ポケットの布の部分裏には刻印が
あった。しょっちゅう色の落ち具合を
眺めていた。そんな思い出が蘇り
また、色落としを楽しみたくなったのだ。
購入したのは44s501xx。96年から数年間
アメリカ産のレプリカ・ヴィンテイジが
鬼の様なライン・アップで展開されていた。
その当時のアイテムは今ではなかなか
見つからない。ストーン・ヲッシュの
比ではなかった。だが見つけた。
44s501とは、1944年の501という意味。
その年だけではないが、戦中モデルとして
人気がある。物資が不足していたため
リベットの数も少ないしバック・ポケット
のステッチはペンキだしと特徴は多い。
シルエットも若干細い気がする。
太平洋戦争、アメリカが余裕で勝った
イメージだったが実際ジーンズにまで
影響があったんだなと、素の感想。
私の祖父が死ぬ気で殺そうとした相手の
ファッション。まさに44年というドンピシャ
な数字に色々考えてしまう。
44s501のsは「シンプル」のエス。
前進しか知らないアメリカを質素に
させた日本の気概に少し熱くなる。
で、現在。バック・ポケットの
財布後がやや現れはじめたのと
裾が波打つ様に色落ちしはじめた。
こまめにチェックしてしまう。
ここ迄来た段階で、ふと思った。
このノリでジャケットもいっとこう!
資料によると、44s506xxという
上で書いたパンツと対になるジャケット
が存在することが分かった。
しかも、その存在自体がほとんど知られて
いないレア・アイテム。全ての条件を
満たしている!私の目は久々に輝いた。
「何としてでも」
見つけるのには相当手こずった。
が、手に入れた。
これで、ジーンズ・スーツ・スタイル
を決められる。先輩の提案により
その下に茶のオールデン、プレーン・トゥ
をあわせることにした。「アメリカ」
そして、インナー。マドラス・シャツ。
チェックはなんともいえない淡い思い出が
蘇る色の配合。もうこれ以上ないいい色。
アローズ、アウトレットにて見付、見入られ
3枚購入。で近々もう一枚買う予定。
アメリカン・ドリーマー完成である。
オールデンが疲れる時は2001でいこうか。
ん~!ダサイ!
まだジャケットを着るには暑いので
このスタイルは温存しある。
そして、音楽であるが
もう一曲を聞き通す甲斐性が私にはない。
例えば。朝家を出てシーサイド・ライン
というローカルな乗り物に乗る迄。
乗って座っている間。駅に着いて
また立って歩きはじめる時。と、
シチュエーションが細分化されその時の
気分にフィットしないといつまでも
アイ・ポッドをクルクルさせ続けてしまう。
情緒不安定。最近一日のオープニングに
欠かせないのが
「東映不思議コメディー・テーマ・ソング集」
である。覇悪怒組、カミタマン、ポワトリン
ピンとくる人はいるはずである。
バック・トゥ'90s。家を出て、イヤホン耳に
いれて曲が始まれば気分は小学生。
重い足取りがやや軽くなる。そして
シーサイド・ライン。この乗り物は大好きである。
車窓から明るい光が入ってくる。
曲はアニメ「タッチ」の挿入歌「風のメッセイジ」
泣く程に爽やか。バック・トゥ'80s。6分間
タッチの世界を彷徨う。
新杉田というJRの駅が近付いてきた。
ハイスタ難波さんの新譜(チュンク名義)。
悩める打ち込みサウンド。ボリューム・アップ。
スーッと歩いてJRの駅にたどり着く。
駅で電車を待つ間、ポールの新譜
からお気に入りの「フレンズ・トゥ・ゴー」
思わず足踏みしながら宙を睨む。
電車が来た。スピッツ「正夢」
草野さんの放つ光りに包まれ車両に吸い込まれる。
♪ど~か 正夢~♪
なにも考えずにJRに揺られる。
石川町を過ぎ、体はより重くなる。強力なG。
プロフェッサー・ロング・ヘアの登場。
優しくグルーヴに載せてくれる。
聞くのは「ティピティーナ(ライウ゛)」
オープニングのピアノとパーカッション
の掛け合い。しびれる。
その後、教授が吠える。言語不明。
ドアが開く。がグルーヴと供に私は
ノリノリで下車。そこから勤めている
飲食店迄あるく。モロさんのクリップ
でお馴染みのグラフィティー溢れる
あの通り。だが通勤の私は音無に
歩けない。強烈なセカンド・ライン
にチェンジ。ダーティー・ダズン
ブラス・バンドのライブ・アルバム
から「マルディ・グラズ・イン・ニューオリンズ」
スタート。音量マックス。
ノッけ、「オッオゥ」でトリップ。目は白目。
熱気ムンムンのブラス、下品なパーカッション。
その強引なリズムで強制的に店まで体を運ぶ。
で、最後の山場。坂道が200m程続いている。
シャーメイン・ネヴィル!まさにクィーン。
アルバム「クィーン・オブ・マルディ・グラ」
から「イコ・イコ」。
どんな急坂であろうがこの曲があれば登れる。
で、弾みを付けて暫く登ったところで
ダーティー・ダズン再び登場。
「フリント・ストーン・ミーツ・ザ・プレジデント」
まるで行進曲。アメリカ国家も混じっていて凄い。
ところで、セカンド・ラインとは何かご存じだろうか?
ニューオリンズ発祥のリズム・パターンをいうのだが
そのルーツは葬式のセレモニーある。
かつてはアメリカのどこでも、パブリックな楽団が
大勢いて様々の儀式において音楽を提供していた。
その名残がいつまでも尾を引いたのがニューオリンズ
だった。貧しい黒人もそこで楽器を演奏できた。
ジャズが生まれたのもそうした音楽的肥沃地帯であった
からである。で、セカンド・ラインに戻るが
葬式へのいき道、それをメイン・ラインと呼び
故人を偲んでのおごそかな行進となる。しかし
帰り道は一転し、陽気なリズムとなって
足取り軽やかに帰るのがかの地での習慣だった。
そのリズム、それがセカンド・ライン。ただ
それらには俗に1000ものパターンが存在する
といわれる程、多種多様でもある。まさに
ディープ・サウスの懐の深さを物語る。
そして忘れてはならないのが黒人奴隷文化の
重要拠点であったということ。その呪われた
過去が、シンコペートするあのリズムに
呪術的な怪しさを持たせている。
そんな深ーいところから現実に戻らな
くてはいけないのがつらい。このまま
行進してどこかに逃げたい。
それでも店に到着。
イヤホンをとって現実に戻る。
これが選曲の一例である。天候や気分によって
変わってくるがだいたいこんなペースで
曲を変えている。このあたり、私の中での
アメーバ化の現れかもしれない。
続いて、本。
「ムー本」、徳間書店「超知シリーズ」
この辺りを読みあさっている。
いわゆる終末思想に浸っている訳だ。
フォトンベルト、UFO、UMAなどなど。
ディープ・終末・マインド一直線。
それらの「うわっ」という本を
大好きなシーサイド・ラインで読む。
だいたい月曜が私の休みであるが
気分のいい休み、本を持って
車両に乗り込む。午前10時過ぎとも
なればすきすきだ。コーナーにでんと
陣取る。そして、奇想天外な内容を
黙々と吸収する。終点で止まっても
そのまま座っていればまた出発する。
シーサイドというだけあって、車窓
からのぞく景色の7割はどこかに
海が見える。どぎつい内容なだけに
たまに窓の外を見る息抜きがなんとも
爽やか。
「ノアの箱船って本当だったんだ~」
「カッパって宇宙人のモデルだったんだ~」
「NASAって秘密を隠してるんだ~」
「海は広いな~」
サラリーマン末期、私は狂った様に
自己啓発書を読みあさった。
中でも、「知的生き方文庫」は
何冊読んだか分からない。ハウツー本も
かなり読んだ。だが、飽和点というのが
ある。もういらなくなる時が来る。
その時々の求める知識をどれだけ正確に
摂取できるか。それが大事なのではないか。
のどが乾いている時にどんな美味しい
食べ物があっても嬉しくない。
今の私の脳はグロテスクな知識を欲している。
際どい内容がみるみる浸透していく。
まさに、スポーツ・ドリンク!
アサヒ「H2O」ばりの吸収力で私は
終末思想を拡大させている。
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