福島原発被災者として、故郷浪江町より放射能を避けて被災難民となられた写真作家・管野先生より、昨年12月に「引っ越しの案内」を頂きました。
淡々として、無念さと怒りのにじむ文面の背景には、請戸川での鮭漁の写真が、うっすらと刷り込まれていました。
写真についての手解きを、日頃よりご指導戴き、時折の写真展、また表彰会場への列席など、滅多に経験できないことなども、気に掛けて戴いておりましたので、この機会を逃しては……と、K共々、ご挨拶を兼ねて、那須の地へ、馳せ参じました。
Kを通し、私の得意ジャンルの自転車を、新居お祝いとして持参することを、伝えさせて戴きました。先生より、゛自転車はまだ未購入 ゛…とのことでしたので、良いタイミングともなりました。
2月25日~26日 那須の新居、訪問
東北新幹線・那須塩原駅より15分弱のご自宅は、武蔵野の平林寺界隈を思わせる雑木林を控えた閑静な場所にありました。開拓農家と思われる大屋根を蓄え、いかめしい門構えの屋敷が、屋敷林に囲まれて、点在しています。
先生の旦那さんより、「かつては地元農家も土地を手放さなかったが、最近は、状況も変わってきたようです。駅前の飛び込みで入った業者の紹介で、求めることが出来ました」…と、謂われ因縁を感じさせる、購入話を伺いました。駅より、山際へ緩やかな傾斜が東北高速道を越えて、続いていました。
避暑地の早朝、朝靄に煙る雑木林の林道を、ちょっと洒落たミニベロで巡るのは、いかが……?
BRUNO MIXTE 20 (Warm Red)に跨がった旦那さんのハンドルさばきは、少々ふらつきましたが、時間とlessonが解決することでしょう!!
ご夫妻が乗れるようにと、Mixteタイプを用意しましたが、旦那さんの専用車になりそうです。
( BRUNO MIXTE 20 )
その晩は、先生ご夫妻の歓待で、美味しいお寿司に冷酒のオマケでした。運転の疲れもあって、早々に失礼しました。
翌日は、お二人のお薦めで、一軒茶屋交差点近くの「藤城清治美術館」へ。開館は、2年前と、新しくきれいでモダンな美術館です。作者の名前は、知りませんでしたが、その影絵は小さい頃より見慣れた作品でした。童話を題材としたメルヘンタッチの影絵小人や水彩画、デッサン。暗室でのプロジェクター、様々の光源を駆使したオリジナルの大小の作品。観覧者を飽きさせない、迫力とボリュームのある展示内容で、一時の夢見心地の心境でした。
みぞれ交じりの寒い日でしたが、芸術に触れた気持ちの満足感を胸に、昼食時、またまた、先生にお世話を掛けて、「那須蕎麦 山月」へ、案内して戴きました。「天盛りそば定食」は、しっかりしたお蕎麦の腰と、素材が効いたつけ汁の出汁、美味しく楽しい会話の連続を、皆さんと楽しみました。
あの日を境に転居を重ね、やっと見つけた「終の住み家」としての安住の地。
先生の旦那さんが、居間のリクライニングチェアーに寄りかかりながら、広めの高窓を見上げて、言われた言葉が、頭をよぎりました。
「朝陽が、あちらから昇り、窓に掛かります。窓を見ていると、飛行機が、結構通るんですよ!」
泊めて戴いた客室の壁には、幼少期に無邪気に笑っている三人のお子さんの大判の写真が、掛かっていました。「この写真は、先生が撮ったんだな……!」と、思いました。