34年前、昨年退職した会社へ入社の折、ご尽力頂いた神戸のK叔父さんへ、やっとご挨拶出来る機会が来ました。叔父さんは、平成19年に他界した母の弟にあたる人です。
昨年11月より叔父さんと連絡を取り合いながら、゛ 暖かくなってから… ゛と、お互いに話し合っておりました。その後、叔母さんより連絡を頂き、実現することになりました。
4月7日午前、新幹線・新神戸駅より大阪方面へ戻る形で、阪急電車の西宮北口駅より、今津線へ乗り換え、小林(おばやし)駅に、降り立ちました。駅前は、27前と同じで、車の転換するスペースもありません。
数日前に、Kが突然言い出しました。「宝塚の社宅へ行ってみたい!」
……宝塚は、Kにとっては、埼玉の同居先を出て、箱根の山を越える初めての大阪転勤で、二人だけの生活が始まる全く見知らぬ場所でした。私が会社へ行った後は、右も左も分からぬ、知り人のいない土地、一からの生活、さぞ大変だった事でしょう……
私の記憶は、怪しくなっていましたが、Kは「大通りへ出るまでにIZUMIYAがあったけど、もう少し先かしら…?」と、結構具体的に覚えているようです。IZUMIYAのロッカーに手荷物を預け、大吹町の「借上げ社宅」のあったマンションへ向かいました。
駅から大通り(337号線)までの距離は、二人が思っていたよりも長いものでした。大通りを仁川方面へ、Kが目印しの歩道橋を見つけました。丸3年住んだマンションの外観は、全く変わっていませんでした。゛ シュッシュッ ゛と、うるさかった貯水槽もそのままです。
駅までの帰り道、昔話が小林の改札口まで続きました。
(借上げ社宅の2階の懐かしい部屋)
新神戸駅、午後2時。叔父さんの車で、須磨の高台の自宅へ向かいました。
3月より、透析治療を受けている叔父さんのお話を伺いました。週3回、1回4時間の治療は、体験している本人と家族にしか分からない心身の負担。記憶に無い幼い頃の罹病が、年を重ね弱まる体力を待っていたように発病……との、叔父さんの淡々と話す様子が、印象的です。加齢と共に、発芽する病の芽、受け入れざるをえない状況をご夫婦で粛々と克服する様子を、目の当たりにしました。
大阪転勤の折には、叔父さんの計らいで「大相撲大阪場所」に、招待して頂きました。枡席での酒盛りに始まって、寿司屋、宗右衛門町の割烹料理屋とハシゴに次ぐハシゴでした。タクシーで一子共々、何とか帰り着いた須磨の自宅で、叔母さんより「大目玉」を頂きました。今では、懐かしい出来事でした。
叔母さんより、隣の間に呼ばれ、「今日は、遠いところありがとう。いろいろ整理をしていて、古いお酒などが出て来たので、後から送りますので、飲んでね! これからは、二人での旅行は、一泊二日が限度なの!」と、用意して頂いたお酒の箱を示しながら、゛ ポツッ ゛と、言われました。
翌日届いた、お酒の他に、名物のイカナゴのくぎ煮も、入っていました。
御礼のメールに、P.S.として「お土産に頂いたお酒、記念日など、節目時に大事に、ご馳走になります。」と、付け加えました。