2019年 Aの「自転車事始め」
〇 官舎10軒の内、一番北西の隅の一軒家。今で言う木造平屋建て2DKに4人暮らしで、物心付いてから16、7年いました。テレビで力道山のレスリングを見ていた記憶があります。竹の棒のチャンバラから、手押しの三輪車へと遊びも代わり、成長と共に自転車を買ってもらう子も一人、二人と増え、その子供達の活動範囲も広がっていきました。周りの子が自転車で遠くまで行っている時に、私は、まだ三輪車で遊んでいました。自転車が、欲しくて! 欲しくて! ゛欲しくて ゛たまりませんでした。中学2年の時に、ブリジストン・外装4段変速の軽快車を買ってもらい、飛び上がって喜びました。
自分では判りませんでしたが、気持ちの中に自転車を買ってもらった時の「嬉しさ」が、余程深く刻まれたのでしょう。その時から、自転車との永い、長い、今に至るまでのお付き合いが始まりました。
〇 官舎は、父の勤め先の関係から都心にあり、小・中学校とも徒歩通学でした。新しい自転車は、遊びの道具であって、必要な交通手段ではありませんでした。一通り遊び尽くされたオモチャは、壊れてほったらかしか、飽きられてお蔵行きが相場です……が。
小さい頃より、ギャケースと電池でゴムのキャタピラ付きの模型の戦車、ゴムタイヤを付けて自動車、彩色に懲り、HOゲージの鉄道に憧れる子供でした。手先が器用だった?……のが幸いして、乗り飽きた自転車は、分解されてメカニカルな対象となりました。物置を改造した2畳の勉強部屋が、毎夜自転車メンテナンス工場へと変身しました。
〇 BSの軽快車の仕様は、
ダイカスト鉄フレーム(青色)逆爪プレスエンド・ステー・キャリヤー用ネジ穴付き/一般用スチールヘッド小物/ビニール握付き 鉄フラットハンドル/軽合金30mm突出しステム六角引き上げボルトに斜うす/サイドプルキャリパーブレーキに軽合金フラットレバーバンド締め/ 3/8鉄リム鳩目無し/スチール285mmプレーンスポーク/鉄スモールフランジハブ・ロックナット締め/クロWO3/8用タイヤ・溝白線入り/鉄チェーンホイールかしめギャ 45T? コッタードピン/鉄ラットトラップペダル/前田4段フリーホイール/ 1/8チェーン/前田製スキッターR変速/革製ワイヤーサドル櫓金具付き/丸棒鉄ピラー/鉄Rキャリヤー/ステンレス製泥除けスチールステー/前ホークバンド締めダイナモ/ヘッド金具取付けライト/ロックナット鉄シートピン/スチールチェーンカバー付き
概ね、こんなアッセンブルパーツで、車重15~6㎏位だったと思います。
〇 自転車を ゛いじる ゛に、当時は、ろくな工具がありませんでした。父親が庭木いじりが好きで、特にバラ作りに凝っており、その方面の用具はありましたが、あとはどこの家にも大体ある?…モンキーレンチやプライヤー・ドライバー類くらいでした。軽快車の仕様を見て頂ければ、その位の限られた工具でも、何とかなりました。BBの左ワンのロックリングをマイナス・ドライバーとハンマーで外して、調整したり…と。パンクは自分で修理していましたが、スポーク折れの修理の時など、自転車店で「振れ取り台」を使っているのを、物珍しく見ていた記憶があります。
〇 BSの軽快車が自宅に届けられたのは、自転車で20分位の所のBSのショールーム併設のサービスセンターからで、ショールームにはパーツ類や業界の小冊子なども置いてあったと思います。当時は、マニアックな自転車業界は ゛つゆ知らず ゛、「ニューサイクリング」などの専門雑誌なども見たことがありませんでした。自転車に乗れて、好きな時に、好きなだけ、いじれるのが楽しかっただけです。競輪や自転車競技など知るよしもなく、専門ショップがどこにあるかも、当然、判りませんでした。
ちょっと芽生えた興味で、鉄ハンドルを軽合金製に替えるには、BSのショールームへ行くしかありませんでした。
〇 BSショールームで軽合金製ドロップハンドルと吉貝のレバーを購入して、ドロップハンドル仕様にしたり、ブレーキのアウター/インナーケーブル、バーテープも購入して、調整、アッセンブル、それなりの見栄えに変身させて、楽しんでおりました。Rキャリヤーは、購入当初より付属していましたが、Fキャリヤーはありませんでした。スポーツ車を気取って、Rキャリヤーは、意識して外していました。ショールームに城東輪業社のA5版?ほどのカタログがあり、その中で、カンパニョロという名前を初めて知りました。カタログの中の、きれいに描かれたフリーハンドの部品画に興味を持ち、面白そうなので購入しましたが、描画のカンパニョロ製品は、中学生の小遣いでは到底及ばない値段で、その場限りの興味本位で、その時は終わったと思います。
〇 進学した高校は、都電7系統(四谷三丁目~品川駅前)沿いにあり、電車通学で40分位は要していたかもしれません。時に、いつもの電車に間に合わず、「これは駄目だ!」ということが、年に何回か?ありますが、その時は、自転車を駆って飛び出します。電車は路線の関係で、台地の下部沿いを大きく回り込む箇所や信号がありますが、自転車は台地上の町並みを細かく紆余曲折しながらも、ほぼ真っ直ぐに進み、ショートカットします。魚籃坂という350mほどの都電も喘ぐ急坂がありますが、その辺で電車を捕まえれば、遅刻は免れます。坂の上の交差点は、「伊皿子」という地名ですが、パン屋がありました。揚げ餃子二つを挟み込んだ「餃子パン」という ゛おかずパン ゛がなかなか美味しく、結構、クラスの皆より頼まれて、買ったものでした。
(7年目の自転車で北海道・網走湖 昭和44年7月29日)