気まぐれフォトダイアリー

富士山、風景、身近な花の写真ブログです。読んだ本の感想も載せています。
最近は回想ブログが多くなりました。

新府城跡周辺の桃の花

2009年04月17日 17時08分37秒 | 名所・史跡
2007年4月10日

新府城跡と周辺に咲く桃の花を見に行きました。


地図




ここが鳥居になっています。

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武田勝頼によって天正9年(1581)に築かれた新府城は、在城わずか3ヶ月で織田軍の攻めに屈し、自らが火を放って落ち延びたという悲運の城である。

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長い階段になっています。





新府城跡地にはまだ桜が咲いていました。





新府城想定復元図です。





新府城跡説明板


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国指定史跡 新府城跡

 新府城は、天正十年三月織田軍の侵攻を前に、武田勝頼自ら火を放って東方郡内領岩殿城を指して落ちていった武田家滅亡の歴史を伝える悲劇の城跡である。

 本城は南北600メートル、東西550メートル、外堀の水準と本丸の標高差80メートル。
形式は平山城で、近世城郭のような石垣は用いず、高さ約2,5メートルの土塁を巡らしている。

 最高所は本丸で、東西90メートル南北120メートル、本丸の西に蔀(しとみ)の構えを隔てて二の丸があり馬だしに続く。

本丸の東に稲荷曲輪、二の丸を北方に下れば横矢掛りの防塁があり、その外側に堀を巡らしている。

堀は北西から北、北東へと巡り、北方の高地からの敵襲に備えて十字砲火を浴びせるための堅固な2ヶ所の出構えが築かれている。

三の丸の南方には大手が開け望楼があり、三日月形の堀とその外側に馬出しの土塁が設けてある。

本丸と東西三の丸、三の丸と大手等の間には、帯曲輪、腰曲輪がある。

搦手(からめて)にも望楼がある。

蔀(しとみ)の構、出構は新府城の特色で防御のために工夫されたもので、特に出構は鉄砲のような新兵器をもって敵の攻撃に対抗するために工夫された構えといわれる。


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武田勝頼公霊社


※先日、岩殿山の桜を見て来たばかりなので、武田勝頼が岩殿城を目指してきたのに、岩殿城主小山田信茂が主君を裏切らなければならなかったという状況は、大月市に住むものとしてとても複雑な心境になりました。





新府城跡の桜です。





武田氏の系図です。


天正十年三月(1582)、信玄の第四子武田勝頼、信勝の父子は天目山に滝川一益と戦い、父子自殺し武田の歴史が終わる。





新府城から下に見える桃畑です。

まるでピンクの絨毯のようです。





下に下りて桃畑の側に来ました。





桃の花が綺麗です。





桃と菜の花①





桃と菜の花②

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