(ルースターとは何ぞや)
と思いながら『午前三時のルースター』を読んでいたが、
それは最後の最後で登場した。
午前三時。東の空にちりばめられた星々は未だ輝き、
暗い森の向こうから夜鳥の囁く時間帯。
その夜の世界に幕を引く、高らかな鳴き声をはっきりと聞いた。
この街で、この国で、
一番鶏(ルースター)の鳴き声を聞かなくなってから、久しい。
(『午前三時のルースター』垣根涼介著 文藝春秋
()内はホントはルビ)
主人公がサイゴンでは聞けた一番鶏の鳴き声が
日本ではもう聞けなくなったという場面。
一番鶏の鳴き声は夜が明けることを意味する。
日本では夜のようにまだ見えていない部分は既になく、
おおよそ人生の先までが見えてしまっていて、
それをこなしていくだけ。
そんな「夜」の部分がなければ、
また「明ける」ことつまり可能性みたいなものもないということか。
だからみんな、ルースターの声を聞こうとしようじゃないか、
そうすればいつか聞くことができるんじゃないかってとこまで
込められてるのかな。
と思いながら『午前三時のルースター』を読んでいたが、
それは最後の最後で登場した。
午前三時。東の空にちりばめられた星々は未だ輝き、
暗い森の向こうから夜鳥の囁く時間帯。
その夜の世界に幕を引く、高らかな鳴き声をはっきりと聞いた。
この街で、この国で、
一番鶏(ルースター)の鳴き声を聞かなくなってから、久しい。
(『午前三時のルースター』垣根涼介著 文藝春秋
()内はホントはルビ)
主人公がサイゴンでは聞けた一番鶏の鳴き声が
日本ではもう聞けなくなったという場面。
一番鶏の鳴き声は夜が明けることを意味する。
日本では夜のようにまだ見えていない部分は既になく、
おおよそ人生の先までが見えてしまっていて、
それをこなしていくだけ。
そんな「夜」の部分がなければ、
また「明ける」ことつまり可能性みたいなものもないということか。
だからみんな、ルースターの声を聞こうとしようじゃないか、
そうすればいつか聞くことができるんじゃないかってとこまで
込められてるのかな。