天才数学者失踪の謎

2007-10-24 00:00:01 | 日記風
 NHKで「100年の難問はなぜ解けたのか・天才数学者失踪の謎」をやっていました。

 詰まる所、数学者にとってのノーベル賞に匹敵するフィールズ賞って言うのが4年に1度送られる。数学者にとったらとてつもなく価値のある賞だそうです。それを去年の受賞者が受賞拒否をし、失踪した。彼に送られる筈だった賞は、100年間数学界において誰も解くことが出来なかったポアンカレ予想を解いたことに対する功績であった。
 ペレリマン博士は何故拒否したのか、そして何故失踪したのか。
 
 そういう番組です。

 ちなみにポアンカレ予想というのは「宇宙の形」を数学によって解明しようというものです。
 100年間、理論は存在したけど、解明することが誰も出来なかった。それをやっとできる人が出てきたのに、彼は解くだけといて、数学界から去っていった。

 番組の中で、山が好きな人が山で死ぬことをいとわないように、数学者が数学で死ぬことをいとわない。という話が出てきます。

 何故かとてもよく判ってしまいました。
 自分の好きなことの為なら死ねるのです。
 
 私も、この人のことを何らかの形で作品に残したいと思う方がいます。もう遠の昔に亡くなった思索家です。この方のことを書き残せるなら、2度と書けなくなってもいいと思うくらい、書きたい。

 書くことでこの方に少しでも近づける、そんな気がするのです。

 その方にしても、受賞を拒否した博士にしても、自分の好きなことを深く追求しました。
 そして、その目的に手をかけ、手を届かせることができた方達でした。
 しかし、彼らが代りに抱えた孤独とはどれ程のものだったのでしょう。
 
 それでも果てしない夢に手を届かせた一握りの幸運な方達でした。
 
 受賞を拒否し失踪した博士にしても、解いたことが栄誉でありその後のことは付け足しに過ぎないのでしょう。そう思わせるだけのものがその過程の中に存在したのでしょう。それは体験した者にしか判らない至福かもしれません。

 芝居にでも捕まれば良かったのに。
 何故か思ってしまいます。芝居も適当なものではないけど、なんかそう思うのね。
 ライトに溺れたいって方が救いがある気がするのよね。少なからず、感情で一般の人が理解できる世界でしょ。
 でも数学とか学問の世界って言うのは、それに天才がつく人たちしか入っていけない領域となると、一般の想像を遥かに超えるのです。
 だから理解されにくい、それが・・・なんとも言えない。

 理解して欲しいとは思っていない。そんな他人の思惑は関係ないだろう。彼らにとってはそんなことたいした問題じゃないだろう。

 番組の、ポアンカレ予想を解き、数学の世界を去って失踪したペレリマン博士にしても、この世の色彩に輝くものでなくてもいいから、何かに出会い、心穏やかに生きていて欲しいと思います。

 しかし、孤独に囚われるとはどんなことなのだろう。
 一体そこで人は何を見るのだろう。

 愛するものを突き詰めたものだけが見ることを許される世界。
 それにほんのちょっとでも触れる日が私にも来るのだろうか。
 その時私は心穏やかにそれを迎えることができのだろうか。