月も見えない…1つの時代の終わり

2012-03-09 20:16:49 | 日記風
 雨ではっきりしない天気。明日辺りもあまりいい天気ではないらしい。そんな時は気持ちが寂しくなってしまいますね。

 ネットのニュースを見ていたら突然、山口美江さんの訃報が載っていた。まだ若く急な旅立ち。特にファンと言うわけでもないですが、一時代を築いた人がこの世から突然消えるのは、なんだかショックです。


 意味もなく、こういう訃報は心がふさがれます。

 ご冥福をお祈りするしかありません。早すぎる死。お父様の病気を診ていた長い日々。人には知らせず、ずい分ご苦労も多かったのだと思います。

 

 うちも病人を抱えていましたから、やはり疲れると言うのは判ります。目に見えない疲れです。人に理解されない疲れです。


 ずっと胸の内に抱えていたんだろうなと思うとかける言葉もありません。


 一時期華やかな時代があっただけにそこと比べてしまうと寂しさを感じてしまいますが、ご本人が望んだ人生を生きられた時期があったなら、少し報われることでしょう。


 時代が変わりつつあるのか、訃報があとをつきません。

 そのたびに心の中に冷たい風が吹きます。



 暖かい風が吹く日が来るように、と祈らずにはいられません。


 御霊よどうぞ、静かにお休みください。

AYA世代、子どもたちの病気

2012-03-09 18:00:00 | ニュース
 AYA世代って言葉を見つけた。

 何? 普通に読めば「あや」になる。

 これは「Adolescent and Young Adult(思春期および若年成人)」で15歳~29歳のことで欧米では若い人のがんを差しているようだ。

 「AYA世代」にはいるだろうが、やはり糖尿病も増えてるようだ。

 過食や運動不足の生活習慣で2型糖尿病が増えているらしい。子どもの場合血統コントロールをするには家族のサポートが大きい。
 親と子で戦うとなると互いのストレスの問題も増えてくる。

 たちが悪いことに重病になるまで、肥満だろう、で気付かないことが多いそうだ。


 以前効いた話だが、子どもはハンバーグが好きですよね。子どもの頃から食べ慣れた大人も好き。

 これがまたハンバーグに目玉焼きを乗せる、これがたまらんです。


 けれど子どもにとってはこれは栄養過多になってしまうらしいんですね。


 身体のサイズが違うからね。


 どうしても家に帰るとテレビゲームに夢中になる。表に出ると危ないから家にいる。することがないからゲームをする。特別ゲームが楽しいというわけではない。


 この感覚は判るかもしれない。それ以上に楽しいことがあれば子どもはゲームをせず身体を動かすかもしれない。 

 身近な所でサイクリングをするのもいいようです。と言っても今、交通規制も大変ですからね。

 親子でウォーキングでもいいのかもしれない。




 私もどうしてもPCの前にいることが多いから動かないことが多い。
 だから家のなかでちょこちょこストレッチをしているけど、するとしないではやはり違うのよね。

 子どもが2型糖尿病になった場合、親の協力は不可欠になる。

 子どもだけではコントロールできるものではない。


 楽しむことと誉めること、それが1つの手らしい。


 カロリーの高い物を食べるのを我慢したら褒める。親が子供を誉めるということは確かに大きな意味を持ちます。大人が考えるよりもっと大きな意味を持つ。

 子どもがカロリーを摂りすぎる、食べすぎる1つにストレスがあると言います。
 これも大人と同じ、ストレス解消で食べちゃう。

 これも親の愛情があれば、ストレスが解消される。


 大人になったら自己責任になるけど、子どもの内はどうしても親の責任と言うことになってしまう。


 ならないことが1番いい。でももしなってしまったら?

 誉めること、楽しむこと、それで越えて行くしかない。



 子どもの病気は見ていてつらい物がある。私は子どもの頃、入院していたことがあるから、よく判る。そして入院というのは大人になっても大きな意味を残す。

 私など、子どもを産むんでももう入院なんてしたくないもの。



 健康な子どもが将来を担う。

 抜けてしまう物があると病気になるなら、大人がより考えることが将来の世界、子どもの将来を考えることってことになってしまいます。

日本人は優秀な観光客なのさ

2012-03-09 15:50:00 | ニュース
 らしいですよ。
 

 調査会社Mandala Research LLCと言うところがアンケートを取ったらそう出たらしい。


 世界で最も歓迎される観光客。
 マナー、エチケットを守るし、礼儀正しい。物静かでつつましい。


 日本人特融ですからね。


 日本は元々、恥の文化の国だったらしい。そう言われてももう私も「?」と思うくらい判らなくなっている。



 ただ、クレーム、不平が少ないはどうでしょう。


 日本人同士の中では色々言ってるよ。

 ただホテルやそこの観光地に言わないだけ。


 それはもうちょっと言ってもいいと思うけどね。


 1番出るのが、ヨーロッパはお湯をホテル全体で分けてるからどこかで大量に使うと全く出なくなる。これはお国柄だから言っても仕方ないけど、バスタブに出る蛇口から出ても、シャワーに切り替わらないとかね。

 これは多く言ってる。

 初めてあんなにしゃがんで髪を洗ったとか。蛇口から洗うからそうなる。

 せめて書いてほしいよね、切り替え方。英語ならどうにか読めるかもしれない。


 でも私も言わないわ。


 これは言葉の問題が大きい。

 それがクリアできれば、言うかもしれないし、ここは異国だから郷に入れば…になるかもしれない。


 こういう国民性はどうにもならないかもしれない。


 でも迎える側としてもなかなかいい国民は日本人でもあるんだな。


 じゃ、日本っていい国じゃん。


 もっと自信を持って行けばいいんだね。
 



イスラムの女性は本当はスカーフなどで顔を隠さなくてもいいらしい…オーストラリアで法改正

2012-03-09 13:00:00 | ニュース
 オーストラリア内でで4月30日からイスラム教徒の女性がムスリムで顔を手を隠すことを止めさせる法改正が進んでいる。

 セキュリティの問題で本人確認ができないからだという。


 ムスリムっていうのはスカーフ、ブルカと呼ばれるものです。


 でも正直、イスラム圏内に行ったけど、あまり隠している印象がなかった。

 まず現地の女性が外を歩いていないと言うのもある。歩いているのは使用人の他国民だったり、観光客などだから関係がないのだ。

 ムスリムだけでなく、オートバイのヘルメット、マスク、ヴェールもそれに入る。


 とにかく顔を出して本人確認をさせろが、先に来ている。


 原因となったのはブルカをつけた女性の飲酒運転で6か月の刑を言い渡されたが、本当に本人なのか確認できなかったので、判決が放置されたという、実に現実的な問題が絡んでいるようだ。


 
 もし顔を見せることを拒否をすると、最長1年の罰が待ち受けているとのことです。

 それも極端な話のように思うが、実はイスラムの教義に顔を隠せというのはないらしい。禁じている時期(HajjとUmrah)の時はあるらしいがそれ以外必要がないらしい。



 だから個人の選択、もしくは文化、伝統となって残っていると言うことらしい。




 でもオーストラリアではイスラム女性も運転ができるんだ。

 中東では女性は免許を取れないらしい。やはり何かあった時突然顔を覆っているものをとることになるでしょ。それをしないために女性には運転はさせないという法律があるそうだ。
 



 海外に出れば自由だけど、自国にいる間は縛られているということか。
 海外に出れば、そこに合わせているということか。

 でも伝統は守るわけだ。

 女性1人でいるわけでなく同じ自国民がそばについていれば、自国の文化は守らせるだろうな。



 そういうこと、なのかな。


 女性が極端に低い地位に置かれている国はまだまだあるけど、自由にお洒落くらいはさせてあげてくださいと言いたいところだ。

 それができないのは、不公平というか、知らないから我慢ができるってことじゃないかしら。



 女性に平等に、まだそうでない国や文化が残っているとはな…。もっと苛酷な文化や伝統が残っている所もあるんだけどね、

 

 世界は平等に進化をしないということだわね。誰かが動かないとダメなのね。


 日本でもかつて選挙権を勝ち取ったのは女性だ。

 動くべきは女性なのか。

 しかしここが自国では、1番抑圧されちゃうんだよね。

桜餅最中

2012-03-09 10:00:00 | ランチ&ディナー


 本当に桜餅の味がする…❤

 でもダメだわ、こんな誘惑に負けていたら、薄着の春が迎えられないのであった。

 明日は東京は雪?とか言っているので、さっさと買い物を済ませておこう。




 風邪が勝手に復活してるわ。

 しかも今年は胃腸に来てるからたちが悪い。

表で羽ばたきたい何かが蠢く春の前

2012-03-09 02:08:34 | 日記風
 昨日突然吐き気に襲われた。

 風邪から来るものなのか、胃腸が弱っているのか。ストレスなのか。免疫低下中って感じです。


 薬もない。1人きり。これが困ったもんで、しょうがないからネットで対処法を調べてみた。

 ツボ押しがあったのでやってみた。

 あってるかあってないか判らないけど、とりあえず落ち着いた。



 落ち着いた日々が流れているようで違うのかしら。


 何かが大きく変わっていく前兆なのかしら?


 そう受け止めておきたい。



 それが1番ハッピー。




 冬場の忙しいあとわりと出やすかったんだけど、ここ数年出てないなと思っていたら出たな。



 喘息も一昨年から再び出るようになったしね。今は出ない。注意してるから。


 いろんな無理がかかってるのかしらね。


 暖かくなれば、また何かが違ってくるだろう。



 そんなもんさ。


 抽象的な言い方をすれば、私は吐きだしたい何かがあるのだろうか。


 表現をしたい何かがあるのだろうか。それが出かかりながら、まだ形にならないだけだろうか。



 なんて、考えたりしたり。


 そんな余裕もございます。