心の事実を否定しない
「遊びに行きたい」という欲望と、「勉強しなければならぬ」という努力とを、そのまま我々の心の事実と認め、これを両立させて自由に開放、発展させて置くと、悪知はなくなって、必要に応じては、楽に勉強もでき、さほどの必要もなければ、愉快に楽しく、遊びに行くことができて、心に拘泥がなく、自由に適切に、その行動を選ぶことができるようになる。 これに反して、「遊びたいというような、呑気の心を起こしてはならぬ」「勉強に興味を起こし、身を入れるようにしなければならぬ」という風に、「べし」ということを強いる。これは「毛虫をいやらしいと思ってはならぬ」とか、「苦いものを甘いと思わねばならぬ」というのと同様で、我々の心の事実を否定しようとする不可能の努力となって、これが悪知となるからである。
(『森田正馬全集第五巻』359頁下段13行)