
お父さんは、テニスの仲間との飲み会・・・・。
母一人の晩御飯です。
何もやる気がでない日でしたが、沈んでばかりいられない、
何か無理にでも頑張らなければ・・・。
と、簡単な恵方巻きを作りました。
ご飯を炊き、酢飯を作り、玉子を焼き、小松菜を茹で、ツナ缶を開け・・・。
一人豆まきをし・・・・。
南南東の方角を向いて、ワハッハと笑い、無言で、簡単太巻きをまるかぶり!
全部は無理なので、途中でやめ、切りました。
お父さんの分も作っておきました。
帰ってきてから、相当の量食べてました。
太るよ。
大変な時期こそ、笑わなければ・・・。
豆まきをしたからと言って、恵方巻きを食べたからと言って、
何が良くなるとは思えませんが、
それでも、良いとされることはしたいと思いました。
遺産分割と言うのは、何なんでしょうねぇ~。
義姉にはやはり、税理士が付いていたようです。
提示されたことに、言いなりにならなければならないのでしょうか?
法律って何なんでしょうか?
お金の使い道を提示するよう要求がありました。
どのように使ったかなどと・・・。
まだ、認知症も進んでいなかった、おじいさんの介護が辛いからと、
置手紙をテーブルに残して、逃げ出した義姉は、
居所も告げず、引越して行き、連絡も取れない状態で・・・。
おじいさんと言っても、私にとっては義父ですが・・。
義姉にとっては実父です。
介護中に、動かないおじいさんの足を蹴ったり、
思い通りに介護施設に入ってくれなかったと言っては、
外で引きずり倒し、手など傷だらけにして行った義姉が、
よく言うわ・・・・。と言う感じです。
特養に居る間、おじいさんの名前での色々なお付き合いもありました。
留守を守ると言う感じです。
おじいさんが、特養から病院に入院してからも、ずっと私達が見てきました。
大事な決断も相談することもできませんでした。
認知症の進行した時の姿も知りません。
すべて、辛いこと、大変なことは、全部我が家で引き受け・・・・。
何故か、今更、おじいさんの遺品でなく、義母の着物を欲しいとか・・・。
形見分けはとうの昔に終わっています。
当時、私と義姉は、形見として指輪を貰いました。
一番高価な物は、義姉・・。
二番目に高価ではないかと言われたエメラルドは私・・・・。
私は、貴金属には全く興味が無いので、どれでも形見なら良いと思ったのですが・・・。
去年十三回忌を終えました。
着物は、最近処分してしまいました。
徐々に家を片づけて行かなければならなくて・・・。
布・陶器・等は、残しておいてはいけないと言われているので・・・。
(木・スチール製の物・ガラスは、解体の時に残っていても良いそうです。)
処分する時、忍びないと思いましたが、残っていても誰も着ないからです。
親戚への形見分けの時に、良い着物は、親戚の伯母さんが持って行ってしまったと、
ブチブチ言っていたのは義姉です。
義姉はその伯母さんが嫌いだったのですが・・・・。
ずっと放置してあったのに・・・。
家探しは得意なはずなのに・・・・。
何の意図を持っているのか・・・・。
なんとなく、気持ち悪い・・・・。
義姉の、低い、地を這うようなあの唸り声が、耳の奥で、エンドレスです。
トラウマ・・・・。
この間の、尼崎の事件で、暴力による支配とかいってましたが、
あの時、何となくわかる気がしてました。
義姉に逆らえなかった私・・・・・。
言葉の暴力・・・・・。
今でも恐ろしいのです。
