気分はいつも雨のち晴れ!

散歩道で見つけた四季折々の山野草を紹介!

感動を受けた詩や新聞記事なども紹介!

「光る君へ」大河ドラマ館

2025年02月04日 | 大河ドラマ

 

いざ!ドラマ館へ❕

(大げさですが)

石山寺駅からたった10分で来れるのに・・・

今日まで3日も掛かってしまいました(w

スピードは平安時代並みですね(w

 

ドラマ館の正面です☝

 

 

 

石山寺は花の寺!

ドラマ館の前は花の寺らしく水中花でおもてなし ☝

 

 

県民の証明書を提示すると無料の入館券が頂けました

 

 

 

御所車 ☝

 

 

靴をスリッパに履き替えて入館します

最初に目に入ったパネルです ☝

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まひろの書斎☝

 

 

 

 

 

中宮・彰子が美しい本に仕立てましたね~

美しい和紙で和綴じされています

平成時代でも府庁等に提出する書類は

和綴じを指定されました

長く保存が効くからでしょうね~

 

 

☝ 清少納言が中宮・定子の為に書いた枕草子

 

 

 

藤原道長がまひろにプレゼントした扇☝

子供の頃に出逢ったふたり まひろと三郎が描かれています

道長が特別に絵師に描かせたものなのでしょうか?

まひろは とても大切にしていましたね~

 

 

☝ まひろが旅をするときに使用していた胸のあたりに巻く厄除けの赤い「掛け帯」

平安時代の女性が旅に出る際に着用していた装束は「壺装束」と呼ばれ、

石山寺に詣でたときも この身なりでしたね

 

 

 

写真撮影が可能とのことで撮影していたら・・・

急にダメ✖と注意を受けた写真が☟こちらです

出演者のみなさんのサインが掲げられたコーナーです!

折角なので此処で披露します!

隣の吉高さんのサインは写せず😢

 

大津市は当初、10万人の来訪者を見込んでいたようですが、

終わってみれば、28万人超のお客様に来て頂き、

関係者の皆さんは当日は涙していらっしゃいました

また、来訪者の方々は「光る君へロス」が大きいとも仰って、

「光る君へ」の人気ぶりが偲ばれます

 

最後までご覧いただき有難うございました🌸

 

 

 

令和7年1月30日 大河ドラマ館でのスケッチ

 

 

 


石山寺駅界隈をぶら散歩

2025年02月01日 | 大河ドラマ

「光る君へ」大河ドラマ館が石山寺で開館されていましたが

1月31日をもって終了となります との情報を得、

数年ぶりに電車で行って参りました

その時の様子を投稿してみます

 

先ずJR石山駅から京阪電車(石坂線)に乗り換え

唐橋前駅⇒石山寺駅と二駅目で時間にすれば5分掛かるか掛からないかの距離

石山寺駅から徒歩約10分をブラ散歩で石山寺へ向かいます

 

 

「光る君へ」が放送されると石山寺駅は紫一色に変わりました!

 

 

電車も源氏物語をイメージしたラッピング電車に☟

 

 

 

メインの「光る君へ」のラピング電車は1年間走り続け

1月31日、最後となり ”さようならラン”でしたが

この日はお目にかかれませんでした😢

「光る君へ」のラッピング電車 ☟(サイトより拝借しました)

 

 

 

改札口は☝こんな感じ

 

この日(1/30)は小雪が舞って

寒かったですが、清少納言が御簾を上げて雪景色を

見せるシーンを思い起しながら歩きました

 

途中「石山寺郵便局」のポスト☟も紫に染められていました

 

 

「ちりめん山椒」の自販機も☟

まひろが着ていた十二単をイメージしていますよね

 

 

お店の庭に「こむらさき」の実もまだ残っています☟

 

 

ぶらぶら歩いて石山寺の門前に到着です☟

 

 

この後ドラマ館に入るのですが・・・

続きは次回へとします

この日は私にとって非日常の1日でした(´▽`*)

 

 

 

令和7年1月30日 石山寺界隈のスケッチより

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


紫式部の父・・下級貴族の星

2024年05月30日 | 大河ドラマ

放送中の大河ドラマ「光る君へ」にまつわる

興味深い記事を見付けましたので

記録しておきたいと思います

 

(画像はサイトより)

 

主人公・まひろ(紫式部)と父・為時の質素な暮らしぶりが

描かれているが、除目(じもく)を境に為時の生活は好転する

 

貴族の人事異動にあたる「除目」(じもく)の際に詠んだ為時の漢詩

天皇の心を動かし、当初は最下格の淡路国守だった任官が

最上格国の越前国守に変更された

下級貴族の人事異動は天皇を頂点とする上流貴族たちの思惑ひとつで

決まっており、除目のたびに明暗を分けるドラマが繰り広げられた

 

*苦学の寒夜は 紅の涙巾(きん)を みたし

 除目の朝(あした)は 蒼天眼(そうてんまなこ)にあり

 

漢詩が堪能な為時の作だけに格調が高いが

富山大学名誉教授の山口博さんによると

内容は☟のとおりです

「血走った赤い目をしながら夜も寝ないで勉強したのに

    除目の朝は失意の目に映るは 

ただの青空だけ 心の中も真っ青」

 

「今昔物語」などに書かれた説話では

この漢詩を読んだ一条天皇は あわれみ 道長は源国盛だった

越前国守の任官を中止し、為時の淡路国守と任官を交換してしまう

 

ドラマでは源国盛は漢詩が不得手で

まひろ(紫式部)への思いも手伝って

任官を交換するよう描かれました

 

「光る君へ」の時代考証を担当する倉本一宏さんは

淡路国守を申請した際の申分(もうしぶみ)(任官申請書)の

一節だったのかもしれないと推察

任国の交換の理由は説話の通りではなく

交易を求めて越前に来ていた中国・宋の商人との折衝に当たらせるため、

漢詩文に堪能な為時を任じたとみる

 

さて、一番 興味深いのは当時の貴族の給与です

米価を基礎にして現在の年収に換算した山口博さんの試算によると

為時の当時の官位にあたる従六位は年収600万円ほど

従五位に昇格して1,400万円に倍増し(中級貴族)

正五位に昇格して2,600万円に   (中級貴族)

このあたりが下級貴族の昇進の限界という

つまり下級貴族は中級貴族の下から2番目まで昇格できるのですね

従四位は3,200万円 (中級貴族)

正四位は4,000万円 (中級貴族)

上級貴族三位は   7,300万円

上級貴族二位は1億1千万円

上級貴族一位は3億6千万円

 

従一位まで上り詰める道長は

3億超の年収があった、と想定できる

 

(5/27 産経新聞・地方版による)