気分はいつも雨のち晴れ!

散歩道で見つけた四季折々の山野草を紹介!

感動を受けた詩や新聞記事なども紹介!

エッセーとブログ記事

2025年01月26日 | 朝晴れエッセー

(菜の花が咲いています)

 

 

 

産経新聞、毎朝刊の1面に掲載される

読者投稿エッセー・「朝晴れエッセー」の

月間賞と話題に上がった作品を振り返って・・・

選考者である

門井慶喜さん、玉岡かおるさんからの

書き方のヒントなるものが掲載されました

 

個人的に感動したエッセーは

過去にブログで何篇か紹介させていただきました

昨年4月に投稿した「みかん」も先生方の話題に上がった作品です

「みかん」は種明かし系だそうです

他に、以外系、投げ出し系、つぶやき系等々

投げ出し系は中途半端に放り出すのと紙一重で難しい。

つぶやき系は話が終わっているところに余計なひと言を書くので、これも蛇足と紙一重で難しい

種明かし系は準備して作るオチなので比較的取っ付きやすいそうです

 

どのエッセーでも共通して言えるコツは

パッと切り上げることだそうです

説明不足を恐れない

「終わらせよう」と思わない

説明不足になるのが怖くて、つい過剰に書いてしまう

結論をまとめようとせず、読後感や余韻は

読者に委ねるくらいの切れの良さを目指してほしい、

と仰っています

 

さて、ブログとエッセーは基本的に違いますが、

面白いブログには、似たような共通点があるような気がします

ヒントを参考にしつつ面白いブログを綴れたらイイなぁ~

 

 

 

水仙も咲き始めましたね~

 

 

 

過日散歩のスケッチより

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


朝晴れエッセー「アベベの指輪」

2024年07月23日 | 朝晴れエッセー

(暑くても野の花は元気です)

 

 

今朝の朝晴れエッセー「アベベの指輪」に感激です!

 

オリンピックが開催されるたびに思い出すことがある

あれは1回目の東京オリンピックでのこと

マラソン競技ではエチオピアのアベベ選手が

大変注目されていた

当時私は6歳の幼稚園児

幼いながらもアベベ選手や円谷選手の

活躍を楽しみにしていた

 

そのアベベ選手が指輪をなくした

というニュースが報道された

 

そんなとき、

家の裏の原っぱで遊んでいた私は指輪を見つけた

これはアベベ選手の指輪ではないのかと思い

急いで母に相談した

当時私は立川に住んでいて

アベベ選手が立川市を訪れたはずはなかったのだが

交番に届けるという私に母は

「アベベ選手の指輪だったら とても喜ぶだろうから」

と賛成してくれた

勢い込んで交番に行くと おまわりさんが

「よく届けてくれたね」と大変褒めてくれた

そして・・・

オリンピックが終わってしばらくして

驚きのニュースが流れた

アベベ選手の指輪が国立競技場で発見されたと

 

私は驚き、安心し、でも・・

自分が見つけた指輪ではなかったことにがっかりした

 

今 思えば母もおまわりさんも分かっていて

私の気持ちを大切にしてくれたのだろう

恥ずかしくも心が温かくなる思い出となっている

 

東京都世田谷区・倉田修さん(66)のエッセーでした

 

昭和ど真ん中

やさしい時代だったのですね~

身体中に暖かいものが流れるのを感じました

 

 

 

 

雨上がり

涼風吹いて

蝉しぐれ

 

昨日の午後 雷雨だったお陰で夕方から夜にかけて

涼しく冷房も扇風機もなく眠れました

今日は降りそうにありません

 

 

令和6年7月22日のスケッチより

 


朝晴れエッセー「みかん」

2024年04月13日 | 朝晴れエッセー

 

琵琶湖地球市民の森で

ミツバツツジが咲き始めました

 

少し前の「朝晴れエッセー」ですが

未投稿になっていましたので・・

 

大阪市生野区の杉本佐希子さん(61歳)の

「みかん」を投稿します!

 

🌸🌸🌸

 

いつものスーパーからの帰り道

民家のガレージでみかんを売っているのを見つけた

ビールのケースを重ね白い布で覆い

その上に青いザルにみかんを盛って並べてある

やや大きめのみかんで、ひとつのザルには5個ほど入っている

段ボールで作った看板には

「1盛300円、2盛なら500円、美味しいよ!」と赤い太文字

台の端には鐘の形をした小さな呼び鈴が置いてある

鳴らしてみると、チリンと控えめな音がした

奥から「いらっしゃい」と出てきたのは中年の男性

身体を斜めにして両方の手の平を壁に沿わせながら

ゆっくりと歩いてくる

彼が店頭に着くのを待ち

私は一番大きそうなみかんが入ったカゴを

「これください」と渡した

両手を宙に泳がせるようにして受け取った彼は

白いビニール袋に入れてくれる

あいにく、財布の中に硬貨がなくて千円札を出した

男性は札の表と裏を そっとなでて前掛けのポケットに入れた

その手はなかなか出てこない

「ごめんね、遅くて、見えないものだから」

私はみかんの入った袋を抱え

すっぱい匂いをかぎながらお釣りを待っています

 

 

作者の淡々として情を交えない文章から

映画のワンシーンのように情景が見えてきます

そっと心を揺さぶる作品だと感じました

 

そう遠くない昔

路上(公園の脇の空き地)で

季節の果物を売っているお爺さんを想い出しました

そのお爺さんは

甘夏や八朔など皮が堅くて包丁を入れないと

剥くのが大変なときは、これを使って剥くといいよ、と

鳥の形をした便利グッズを

八朔や甘夏を買う度にくださるのです

その鳥さんは今でも重宝しています

八朔など 買う度にくださるので沢山ありましたが、

5枚くらい残して処分しました

どうして使うかって?

尖った嘴の部分を八朔の縦方向に

何か所か筋を入れるのです

そうすると上手く皮が剥ける優れものなのですよ

 

 

早いですね!

シャガも咲いています

 

 

 

 


ヒーロー

2023年10月13日 | 朝晴れエッセー

(2021年10月に撮影したアサギマダラです)

 

 

小学校5年生の秋

運動会の最終の種目はリレーだった

アンカーには足の速い少し内気な友達が選ばれた

彼が走り出したときは最後尾

でも1人、2人と抜き去り必死に先頭へと迫る

小柄な体が弾み まるで白い運動靴が回転しているように見えた

町工場を営む彼の父親が声を張り上げ太い腕をぐるぐると回す

生徒や父兄の大歓声に包まれ彼は先頭でテープを切った

 

代休明けの教室はリレーの話題でもちきり

くるり とした目で はにかむ彼はいちやく人気者になった

 

6年生の新学期 学級委員を決める選挙があった

いつも選ばれるのは よく勉強のできる男女である

ところが意外に彼の票が伸び僅差で学級委員に選ばれた

ざわめく教室の中 彼だけが戸惑ったように俯いていた

 

「ぼく、嫌や・・・」と下校の道で彼はつぶやいた

雨が降っていた

いきなり彼は道路の水たまりに入っていく

白い運動靴に泥水がしみた

「やめとけや」と言っても彼はやめなかった

 

私の転居で疎遠になったが

30歳の頃 往来でバッタリ

近々 郊外に新社屋が完成する と彼は笑顔で語った

あの日の父親と同じ太い腕 作業中の白いシャツ姿が

今 思っても羨ましいくらい輝いて見えた

 

【竹田健次(79)(大阪市中央区)さんの朝晴れエッセーです】

 

 

運動に秀でていたり

絵や書道に光るものを持っていても

目立つことが苦手な子どもたちは結構いるもの

 

小学校高学年の姪の娘は書道で賞を何度か受けるうち

もてはやされるようになり

それが嫌で手を抜いているのだとか

でも 彼女は本当は書道が大好き

 

*ヒーローや賞というものには

全く縁のない自分には

羨ましい話だと思うのですが・・・*

 

エッセーのなかのヒーローは

その後 学級委員を引き受けたのか どうなのか

書かれていないので分かりませんが

後にバッタリ会ったときに作者が感じた

羨ましい程の彼の輝きから

立派に学級委員を引き受けたのだと思えます

 

ヒーローは「嫌」という

彼もひとつづつ

目の前の苦手とすることを克服して

ステキな大人になったように

姪の娘も乗り越えていって欲しいものです

 

 

 

♡ご訪問ありがとうございます♡

しばらくコメント欄お休みしています


「ふる里ナンバー」を巡って・・情緒豊かな懐かしい時代

2023年07月17日 | 朝晴れエッセー

 

 

 

昨日の「朝晴れエッセー」を読んで・・

 

約、35年前 新聞配達の若者が新聞をポストに投げ込み

傍らの車を数秒間、覗き込み ため息をついている

そして、気を取り直すように次の配達先へ向かう

 

ある朝、外にいると若者と目が合った

「毎朝、私の車を眺めているけど・・どうかしたの?」

・・と声を掛けると

「八戸ナンバーなので、どんな人が乗っているのがな、と思って」

・・と南部弁で答えてくれた

「三沢から越してきたんだよ、・・・

八戸の八食センターにはよく買い物に行ったよ」

・・と言うと、人懐っこい笑顔がかえってきた

幾つか言葉を交わすと

いつものように急いで次の配達先に向かった

 

当時は新幹線も青森まではなく

帰省も気軽には出来なかっただろう

青森と東京の距離間の現実をいやが上にも

思い知らされていたことだろう・・

・・と若者のおかれた現実に思いを馳せた

 

数か月後、若者の姿を見ることはなかった

若者のその後は知る由もないが

彼の郷里に対する深い郷愁と

あの時の笑顔は心に残った

*(原文のままでは無く、省略、追記しています)

 

作者は埼玉県所沢市 五反田一郎(67歳)さん

 

 

現在は日本列島は近くなり狭くなった

九州から北海道まで新幹線で行けるのだから

高速道路は縦横無尽に走っている

それに、今や「オンライン」で海外でも交信可能だ

 

当時は故郷を遠く離れた地に暮らしていると

故郷の匂いに敏感になり郷愁をそそられた

この若者のように「ふる里ナンバー」に

心動かされる気持ちはとても理解できる

 

先日も県内を走っていると・・

春日部ナンバー

横浜、つくば、名古屋・・・

県外のナンバープレートを付けた車を見た

今は「ふるさとナンバー」に郷愁を感じる人は

殆どいないのではないか・・・

 

35年前の環境が懐かしくもあり

情緒豊かな時代であった、と感じさせられた

 

 

蓮池に「蝶トンボ」が翅をやすめていました

 

 

 

令和5年7月16日 県内にて撮影