恩師のご著書「講演集」より
講演集、 二
救われる側から救う側に
縁なき方々に救いの手をさしのべていただくこと、これが神様に対する御奉公です。
救われる側がいつまで経っても救われる側であっては、神の使命を果たすことはできません。
全部が神の御子としてこのように肉体を頂いているのですから、
せめてこのことが分かった私たちは、肉体をもってこれを示し現わしていくべきです。
望むことなしに、その御業は示されます。
以前お話した、手が動いて止まらなくなったお子さんとか、
ものが言えない方とかを、私は治す力も自信もありませんし、
こうしたら治るということは全く分かりません。
ただ救われてほしい、こんなわけの分からない病から救われほしい、
何とか幸せになってほしいという私の思いが、神様を動かしたのです。
愛ですね。
その愛は誰でも皆現わすことができます。
「苦しい方を幸せにしてほしい」こんな思いは、ただ行えばいいのです。
力のないのは皆同じ、肉体を持てば同じ人間です。
ただ、要は行うか行わないかの実践にかかっています。
為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり
何事も為せば成るのです。
私にこのような不思議な力を与えていただいても、
「相手が喜びもしないのにそんなことはあほくさくて、ただでできるか、
しんどいのにできるか」といって、
私がしなかったら、神の御業は現れません。
それと同じことで、皆さまもしていただいたら現れます。
神様は平等で、えこひいきは一切なさいません。
私も皆さまも同じことです。
では、私だけがどうしてこういうことができるのかと言いますと、私が行うからです。
皆さまも行っていただいたら、大なり小なり差はあるかも知れませんが、
必ず現れます。
それが神のご意志です。
救われる側から救う側に立ちたいと思いますね。
これが仏に目覚めることです。
菩薩はすべてを生かそうとなさいます。
~ 感謝・合掌 ~