浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

日日に神の御胸に抱かれて
光の国に住める嬉しさ

「御垂訓」

2020-01-27 00:24:08 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                  講演 十六

「正しく道に精進し 正しく念じ」

神様の御心をもって生きることが、
正しく道に精進することです。
精進するのですが、私たちにとってはこの正しい生き方
そのものが厳しいのです。
許せない人を許さなくてはいけません。

そして全く無償の愛を実践するというのは、
人間にとって大変難しいことです。
神様の心を人間が行うのですから、難しくて当然です。
それを一つ一つ努力して日々の生活に生かすことが
正しく精進することだと思います。

正精進ですね。
精進道にはげむ正しい生き方が分かったら、
今度はそれを実践することです。
次に、「正しく念じ」と説かれています。

「思い」と「念じ」となぜ二つ別にして
書かれているのでしょうか。
それは「念ずる」のと「思う」のとは違うからです。
思いというのは、ころころと飛び回って
一時としてじっとしていないその人の心をいいます。

静かに心を一か所に止めようとして禅定、瞑想をしましても、
思いは次から次と走り回ります。
まるで野の猿のようにじっとしていません。
一か所へ思いを集中しようとするのはそれほど大変なことなのです。

「念ずる」とは、あの人は憎いなあ、ああ憎い、憎いと、
そこへ止まっていくものです。
正しく念じないで、誤った念じ方をしますと、
それは自分に返ってきます。

愛知県のある女性の方で、今日もお見えになっていますが、
今はもうすばらしいお方に変わってくれたのですけど、
その方はホテルの仲居さんをなさっているのです。

仲居さん頭やお姉さんがいて、根性の悪い人からいけずをされ
「私はこんなんに苦しんでいるのによくもあんなことを
言ったものだ、今に見ておれ、お前も悪くなる」と、
帰ってきてこのように念じるのです。

今に見ておれ、えらい目に遭わせてやるといって
何時間か念じているうちに、その方自身頭が痛くて辛くなり、
相手の方もこの人の念によって悪くなっていきます。
「今日は頭が痛くて辛いのです」と言うと、
「そんな頭が痛いくらいで何ですか、やりなさい。
誰でも頭が痛いんだ」と言われるのですね。


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