~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~
講演 十六
「正しく道に精進し 正しく念じ」
先の続き・・・
「一念岩をもとおす」という言葉もあります。
念の強い人は大きな水晶の原石に念力だけで穴をあけてしまいます。
その石を私も実際に見せてもらったことがありますが、
それぐらい強い念が出るのです。
今でもヒマラヤの山奥へ行くと、念の力で大きな岩を「ウォー」と
言って割ってしまう人があるそうですから、
念というのはものすごいエネルギーですね。
そのエネルギーを闇に使おうと、光に使おうと同じ力が出てくるのです。
悪いほうへ使えば弱く、良いほうへ使えば良く出るということはなくて、
同じだけのエネルギーが出るのです。
昔、憎い人の藁人形をこしらえて夜中に丑三つ時に
「死ね、死ね」と念じて釘をカンカン打ったものです。
そうすると相手が殺されたりすることがよくありました。
これも悪念です。
念は常に人様が幸せになるように、良かれと念ずることですね。
そのようにしますと、それは光です。
神様がいらっしゃるのなら、悪念には力をなくし、
良念にだけ力を与えて下さったいいのにと思いますが、
同じ力を与えられているということ、つまり、
どちらに使ってもよいという能力を与えられていることが、
私たちの魂の修行において大事なことです。
結果は悪に使えば悪として自分に返りますし、
善に使えば善として返ってきます。
自由に使ったあと、原因・結果の法則で自由に返ってきます。
ただし、その刈り取りは自分自身であり、
決して他人は刈り取ってくれません。