~ 恩師の「講演集」より ~
講演集、 一
「善行のあと心を苦しめる」
人間はどれ程善い行いをしても、
その行いによって自分を苦しめてはなりません。
私の近くに住む非常に人の良い或る男の方の話しですが、
親切でやさしくて、人が困っていたら放っておけないという方です。
私の所に来られて、
「ここ三、四日腹が立って腹が立って夜も寝られない」と言われます。
何事があったのかと聞きますと、二月のこの寒い折り、
土砂降りの中で車がエンコして難儀しておられる。
ああこんな雨の中で可哀そうにと思って自分の車を後ろに止めて、
雨でボトボトに濡れながら、「私が押してあげるから、
あなたはギヤを入れてクラッチを踏み、車が動いたらすぐ離しなさい」
と言って車を押していた。すると、
うまい具合にエンジンがかかったのですね。
ああよかったなあと思ったら、
その車はスーッと走って行ってしまったというのです。
その方は寒い中でずぶ濡れになって、
ほんまにあの人は何という人かと、
思い出せば三、四日寝られないくらい腹が立ったというのです。
「まあ、そんなに眠れない程、よう腹を立ててくれましたね。
それはあなたに求める心があったから、
その苦しみを味わったのです」と言うと、
「私は何も求めていません。
でも一言お礼を言ってもよさそうなものだ」と言いますから、
「あなたはその一言を求めていたのです。
言葉の礼、或いは喜んで欲しいと思う、その喜びを求めているのです。
何も求めていなかったら、
そのまま走って行ってもああ良かったなあと思える筈です」と言いますと、
「本当にそうですね。アホらしくなった」と、
もう機嫌を直しておられました。
そういうもので、
善い行いをしても、あとで自分を苦しめてはならないというのは、
そこにあるのですね。
一言ぐらいお礼を言ってもいいのに、と思っているのです。
これは私達が日頃、大なり小なり他に尽くして、
報われなかった時の姿です。
裏切られた場合、私達はかなり苦しみます。
困った人を見て手を貸し助けるという行為は善い行いですが、
一言の礼も言わないといって、あとで腹を立てておりましたら、
これは悪です。
不調和です。
どれ程善い行いをしても、結果として自分を苦しめては、
心の大きな罪になります。
善に勝る罪を犯したことになるのですね。
調和をはかる為には、人の為に尽くさなくてはいけませんし、
人をお助けしなくてはいけませんが、その結果として裏切られたり、
自分に都合が悪い時には、私達は自分を苦しめます。