浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

我れ食べず人に施す母の愛
幼き我に布施教えらる

「垂訓」

2023-07-09 23:58:28 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        恩師のご著書「講演集」より


            講演、四

      調和された心、安らぎの心は「光」である

先の続き・・・

今からもう七、八年前のことですが、
私は「さつき」が好きで、たくさんのさつきを植えていました。
丹精こめて育てていますと、花もその愛に応えてくれて、
見事な花を咲かせてくれます。
花がいとおしくて、玄関から座敷、庭まで
鉢に咲いた花をいっぱい並べていたのです。

その時、車のセールスの方が、車を勧めにきてくれたのですね。
玄関の花の咲いたさつきの鉢をいっぱい
取り入れていたのですけれど、
その花の前で一生懸命車を何とか
一台買ってもらわなくてはならないと思って、
その方の心は車を売ることに集中しています。
その方が、姿勢を変えて用紙に必要事項を書いたりしますと、
肘が花に当たりますし、お尻の位置を変えますと、
お尻が枝のところにいったりします。


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「垂訓」

2023-07-09 00:39:12 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
恩師のご著書「講演集」より


           講演、四

     調和された心、安らぎの心は「光」である

先の続き・・・

しかし、私たちは今日まで平気で自分の心を苦しめてきました。
つまり、怒り、妬み、謗り、愚痴、人の悪口、陰口、恨み、憎しみ、
不要の取越し苦労、不安、恐怖などに捉わえれて、
自分の心を苦しめてきました。

この、自分で作った心の苦しみが、
自分の環境や肉体に上に苦しみとなって形をなし、
現象化してきただけのことです。
すべてがすべてそうだとは言いませんが、
例えば交通事故にしましても、ちょっとした不注意によって、
とんでもない事故に遭い、
一生の苦しみを背負う方がたくさんあります。

「心ここにあらざれば、目にして見えず、耳にして聞こえず」と言いますが、
こんなすばらしい花を生けてもらいましても、心を向けることがなければ、
花の美しさを見ることはできません。


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