浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

有難や米一粒の一粒に
神の御命 我給わらん

「垂訓」

2023-10-07 23:56:29 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


         第二章 必要なのは正しい生命観の確立

               ◆死ぬとは何か◆

先の続き・・・

自分がいただいている命がどこから来ているのかが理解でき、
この世から離れる時は諸々の執着より思いを離し、
感謝できてはじめて、帰るべきところに帰ることができます。
「母なる大地に肉体をお返しし、
魂は天の父なる神のみもとに帰る」ということです。
あの世の存在については科学的な
証明がないではないかという方もいらっしゃいます。

しかし、臨死体験の研究やサナトロジー(死の科学)
の開拓者として世界的に有名な「死ぬ瞬間」の著者
エリザベス・キューブラロス(一九二六年生まれのスイスの精神科医)
の努力などにより、近年では一般にもかなり浸透しつつあります。
一杯のお茶を「頂戴します」と言って飲べば、
この世からそのお茶は消えてなくなるように、
現在ある建物でも何百年か何千年も経てば消えてなくなってしまいます。
同様に私たちの肉体も現にここにあるように思っていても、
定められた時間が過ぎた時には、この肉体は消滅してしまいます。


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「垂訓」

2023-10-07 00:15:36 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


         第二章 必要なのは正しい生命観の確立

               ◆死ぬとは何か◆

先の続き・・・

そのためにも生命の本質を知らなくてはなりません。
心臓も肺も胃も私たちの意志で動かしているわけではありません。
私たちは生命の祖でありエネルギーの元である神から
分け与えられた命によって
生かされている存在です。
ですから、人は神の分け御霊と呼ばれます。
自分の命がどこから来てどこへ帰るか。
これがわかれば、心穏やかに死を迎えられます。
周囲の人々には迷惑や心配をかけなくてすみます。

「この身体は私のもので、私が生きているのだ」
と思われがちですが、
それはとんでもない見当違いです。
その証拠に、「私は年をとりたくない」と言っても、
また「死ぬのは嫌だ」と言っても、
時間が経てば必ず年をとり、死ななくてはなりません、
これを自分ではどうすることもできません。

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