恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より
第二章 必要なのは正しい生命観の確立
◆マクドナルド・ベインに入ったイエスの霊◆
あくまでも法というのは、日々の実践によってその命が宿るものです。
お釈迦様は、「行いなく、ただ聖句だけを唱える者は
他人の牛の数を数えるが如し」という
言葉を残されています。
当時、牛は財産を意味していました。
他人の財産をいくら数えても、自分のためにも
他人のためにも利益がないということです。
また、イエス様は、「あなた方は祈りによって
信仰の証しを立てようとしますが、
私は行いによって信仰の証しを立てましょう」と言われたそうです。
言うより行えということです。
「遠くにありても近き弟子。近くにあっても遠き弟子」とは。
お釈迦様の言葉です。
高橋信次先生のお口から聞き、大変感激した言葉です。
たとえ身近に仕えて師の教えを実践しない人は、遠く離れた弟子であり、
いまだ巡り逢うこともなくとも、その教えを理解し、
実践する者は最も近き弟子であるという意味です。
「心身の神癒」は、第一話から始まって第十四話までありますが、
その第一話に「我はよみがえりなり。命なり。
すなわち神の愛なり。
私を信じる者は私の中に生き、けっして死なないのである」
と記されてあります。
イエス様は肉体の生死を超越して永遠の生命があることに気付かれ、
それを得られたのですが、
私たちもまったく変わりのない本質というものを
持っているのだということを自覚したいと思います。
私が言っていることを信じてほしい、
そしてみなさんにもこの素晴らしい真理に到達してほしいという願いは、
イエス様の人類への愛でもあります。
ただし、疑問があれば追求し、もはや疑う余地がなくなってはじめて、
本当の信頼ができてくるので、無理に信念を持つのとはちがいます。