恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より
第二章 必要なのは正しい生命観の確立
◆死ぬとは何か◆
先の続き・・・
この世の肉体生活において色の世界は空の世界と重なり合っていて、
私たちの目に見えるのは、このうち物質化している色
(現象)の部分だけなのです。
しかし、生まれて老いて、最後は必ず死ぬという、
時間の経過とともに移ろい消滅していく肉体が
今目の前に現れている次元を超えた次元に、
永遠に「ある」世界―――言葉を換えれば、
形を現わしたり消したり自由自在に創造できる
「おおもと(根本因)」の世界―――がちゃんとあるのです。
もちろん、神は永遠の存在としてそこにおいでになります。
死ぬと魂は肉体を脱してこの実在界に帰っていきます。
これが本当の死なのです。
肉体に未練を持ったり、この世に思いを残すと、
魂は肉体からスムーズに離れなくなり、死にきれません。
迷える霊魂としてさまよってしまうということを意味します。
これをわかりやすいたとえで説明すると、
お風呂の湯船いっぱいにお湯をはったとします。
そこへスポンジボールを漬けたとしましょう。
スポンジボールの中へ水が浸透してゆきます。
お風呂のお湯が実在界であって、スポンジボールが現象界です。
スポンジの中にお湯が浸透しているように、
この世の現象界の中にあの世の実在界が浸透しているのです。
現象界と実在界が重なって一体となっています。
スポンジボールをお湯の中に漬けて、
「これはスポンジだけですか」と尋ねれば、
多くの人は「いや、中に水が入っています」と言います。
「これは水がけですか」と尋ねると、
「いや、スポンジでしょう」と言います。
つまり、不二一体、見えないものと見えるもの、
実在界と現象界が一つとなって現れる世界が、
この世であるといえます。
このスポンジボールからうまく思いを離して、
スポンジの外に出て、
実在界へ帰った人が成仏された方です。
そして、湯垢のようにスポンジボールに付着して
「ここは住み慣れたところだ、
このスポンジが好きだ」と言って、
スポンジから離れない人が迷える霊です。
実在界こそは私たちが帰るべきふるさとです。
そして、私たちは肉体がなくなっても、霊として存続します。
数々の体験を通して、誰よりもよく知っていると自負しています。