浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

父母に大恩受けし我なるに
報いきれなき我が身悲しも

「御垂訓」

2020-01-16 00:24:27 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


            講演 十五

先の続き・・・

他の宗教の批判をいうことはないのですが、
間違った宗教からは目覚めて、
幸せにならなくてはいけません。
ある宗教では選挙闘争、折伏闘争、
題目闘争ということを教えております。

これは決して安らぎは得られないのです。
闘争の中に安らぎがあるはずがないからです。
闘争を教えるような宗教はどの宗教もすべて同じで、
ほんとうの神様から離れた教えです。

神は争い戦いなさいとはいわれません。
神は完全なる愛、完全なる許しであり、
その愛の行いこそ神の御心です。
「私の宗教は正しい、他の信仰をしていたら地
獄へ行く」と、
他を非難中傷するのは、神の御心から離れます。

常に自然を愛し、人間を愛し、
完全なる許しを教えることこそ
ほんとうの教えではないかと思います。
他を裁く時間があれば自分自身を裁く時間を持つほうが
大事ではないかと思います。

全く無償の、何ものをも求めないご奉仕の愛を
させていただくことです。
午前中三十人ほどの癒しをさせていただきました。
間違ってもらっては困るのは、
私たちの学びはあくまでも自力であって、
病気治しではないということです。
病気治しはただ方便であるということを理解することです。



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「御垂訓」

2020-01-15 00:00:27 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                  講演 十五

先の続き・・・

数えきれないほど多くの宗教がありますが、
死後まで救われる宗教というのは余り聞きません。
念仏を唱えたら極楽へ行けるとか、
一生懸命拝んだら極楽へ行けるとか教えていますが、
殆どの人は死後硬直のために醜い姿に変わっています。

私たちの学びは、
自分の過ちに気付いて神様にお詫びをして悔い改め
自ら目覚める学びをしています。
その時神様から許していただけます。
拝まなくても、お参りをしなくてもいい、
ただ「ああそうか、私は間違っていた」と
気付かせてもらえばいいのです。

正しい法には偉大な力が秘められていますから、
正しい法に耳を傾け、
自分の過ちを悔い改めた時に極楽往生することができます。
大往生なさった方の報告はたくさん届いております。

「南無妙法蓮華経」と唱えればすばらしい世界に救われる
という信仰をなさったあるご婦人の方と縁があってお会いした時、
私の目が何万ワットという光で光ったのを見たそうです。

「生きた人からこんなすごい光が出ているのを見たことがない。
これは正宗より上だと思った」とおっしゃっていました。
その方が今まで信仰していた宗教の偉い方が亡くなった時、
「きれいなお顔で極楽往生させていただきました。

どうぞ見てあげてください」と言われて、
顔を覆ってあった布をはずしてみましたら、それはそれは恐ろしい顔で、
目は落ち込んで暗い山間の日の射さない陰気な池が二つあるようで、
まるで牙をむいたような相になっていたそうです。
死後そのような醜い姿になったら、いくらこの世で偉い方でありましても、
いい世界へ行くことはできません。


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「御垂訓」

2020-01-14 01:59:27 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                    講演 十五

日々の生活を振り返って、
「私の今までの考えは間違っていたなあ」と
気付いたら心が軽くなります。
心を軽くしておきますと、やがてすべての方に訪れる死の時に、
苦しみ少なく、軽いが故にすばらしい世界へ
上がっていくことができます。

死ねば終わりであるとか、
燃やしてしまえばなくなるとおっしゃる方もありますが、
死後の世界は確かにあるようでございます。

あるおばあちゃんは、
自分のお兄さんが亡くなられたあと身体が悪くなりまして、
今朝もここで横になって死にかけているほど具合が悪かったのですが、
お兄さんに天上界へ上がっていただいたら、
たちまち身体が良くなられたようです。
見えない世界はないものと思っておりますが、
形として見えない世界があるという証拠として、私たちの肉体を通して、
つまり物質を通して不思議な現象を見ることができます。

先月香港でフェリーに乗る時、
乗り場まで歩いたあとの大地がキラキラと光っているのが
ビデオに映っています。
歩いたあとに金がいっぱい出ているのです。

私の立っていた所には丼一杯ほどの金粉が出てきました。
常識では考えられない不思議なことを、
形として現していただいています。
理屈では考えられないことが何故起こるのかといと、
神様の御心に近付けさせてほしい、この肉体をもって
実践させてほしいと願って行いを積み重ねていきますと、

目に見えない神様の全く次元の違う世界から証として、
普通では考えられない、
人智では計り知れないことが働きかけられるのです。
私たちがやがて帰っていく世界からの働きかけです。
私たちは暗い嫌な世界ではなく、
喜びと安らぎと調和に満たされたすばらしい
世界へ帰らなくてはいけないのです。


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「御垂訓」

2020-01-12 23:56:41 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                   講演 十四

「正しく仕事をなし」

先の続き・・・

私たち学びの仲間は、
死ぬということは少しも恐いと思わなくなりましたと
おっしゃっています。
恐くないからといって自殺してはいけません。
これはいい所へ行けないのです。

自殺は自然の法則に背くことで神の御心に背く行為ですから、
自分の良心が自分を責めてきて、救われ難いのですね。
自殺された方に縁がありましたら、「あなたの自殺という行為は、
ほんとうの神様に御心に背いた行為です。そのことを目覚めなさい。
神様に背いて人は幸せにはなれません。
自然に従った生活こそ神に従う生活です」と、
よくお話させていただくのですね。

神様は「汝らは我がいとし子であることに目覚めよ 
愛ゆえに汝らをこの厳しい現象界に旅立たせしものなり」と言われます。

可愛いから私たちをこの世界に生まれさせて、
私たちの魂を進化させ浄化させ、
神のような心にさせるために転生輪廻させて下さっているのです。
私たちの学びの友、ご縁のあった方たちはみな大変綺麗な
お顔でこの世を去っておられます。
そういう嬉しいお便りを次々と頂いております。



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「御垂訓」

2020-01-12 00:05:11 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                 講演 十四

「正しく仕事をなし」

先の続き・・・

それがだんだん成長して、
手足が自由に動くようになっていたずらをし始め
ますと、大人の目でいけないことは「いけません」と叱られます。
その度に子供さんにとっては都合が悪いのです。

自分がしたいことを止められますからだんだん心に曇りを作ります。
三歳ぐらいになりますと、ものの見事に心の中は真っ黒になります。
神の心と人間の心との間にカーテンを下ろしてしまいます。

こうして幼い頃、善悪の判断もつかない時に犯した罪の上に、
成長と共に
苦しみの原因を積み重ねてその苦しみを背負いながら
生きていきますから、殆どの方が亡くなった時うまく成仏できないで、
硬直を起こしています。
私たちは硬くなるのが当たり前と思っていますが、
これはうまく成仏していない証拠です。
死後の体が柔らかくて温かく、
皺も消えて綺麗なお顔になっている方は間違いなしに
迷ってはおられません。

人間はこの世だけがすべてではありません。
それを死ぬのは嫌だ、死にたくないと思いながら死んでいきますと、
生きつづけたいという生への執着のために迷ってしまいます。

あの世に帰っても魂は生き続け、
そしてまたやがてこの世へ転生してくるのであり、
今は修行の過程であるということが理解できた時、
死への恐怖は自然となくなります。


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「御垂訓」

2020-01-10 00:20:33 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                  講演 十四

「正しく仕事をなし」

先の続き・・・

幼い赤ちゃんはいくら見ていても飽きのこない何ともいえない
安らかな良い顔をしています。
心が曇っていないから顔が綺麗なのです。

目は心の窓といいますが、心が曇ってくると目もどんよりしてきます。
私の目は寝不足でございますけど、目がだんだん汚くなってきます。
世の中には不思議なことがあって、人間に、霊が取り付いている場合、
目の玉が死んだ魚のようになっている人がいます。

目に鱗がついたようになっていますが、不思議なもので、
ついている霊をお救いしたとたんにその方の目は綺麗になります。

去年の暮のことですが、
静岡である赤ちゃんがこのままでいけば半身不随で
一生下の世話をしなくてはいけない、
大手術をしても治るかどうか分からないということで、
何とか治して下さいという連絡があって、寄せていただきました。

生まれて一カ月の赤ちゃんが手を出されて合掌されたのです。
おばちゃんもお母さんも泣いて
「こんな赤ちゃんが合掌して・・・」と言って感激されました。
生後一カ月の赤ちゃんが抱かれて、
小さい手で合掌される姿を見せていただくと、人は神の子であり、
人の心の中には仏性、神の心が宿って下さっていることを
目の当たりにさせていただく思いがしました。


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「御垂訓」

2020-01-10 00:15:03 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


            講演 十四

「正しく仕事をなし」

先の続き・・・

ある所で、仕事についてのお話をさせてもらいましたが、
ある方が「このせちがらい世の中で、
そんなことをいっていては生きていけません」とおっしゃったのです。

しかしそんなことはありません。
会社や企業にサラリーマンとして勤めたとします。
企業というのは大きくならなければいけないという
業(カルマ)を持っていて、潰してはならず、
利益を上げなくてはならず、そうでなければ企業として成り立ちません。

また企業というのは人材をもって成り立っています。
いくらコンピューターが発達しても、それを使う優秀な人材が必要です。
企業の上の方は社員をずっと見ています。
下から上を見てもよく見えませんが、上から下を見るとよく見えます。
そして陰日向なく一生懸命働いている人は会社のためになる、
あれなら大丈夫だと上のポストに引き上げます。

すばらしい人材というのは、どこにでも必要なものです。
主婦は家族のために「生きさせていただいている
ご恩返しをさせてもらうのだ」と思って、
ご馳走を作り洗濯をさせていただくのです。
仕事というのは、お金儲けのためにだけするものではないということを
はっきりと知りたいと思います。

いくら時代が変わり環境が変わっても、
ほんとうの真理というものは変わらないものです。
お日様が西のほうから上がってこられることはありませんし、
水は低い所から高い所へは流れません。

人間は必ず歳をとっていきます。
花開く前はいちばん美しい時であり、
今、花の盛りの十七、八歳は男も女も美しいです。
しかし五十年、六十年も過ぎますと、顔も見るのも恐ろしいなあという
顔に変わっていく場合もあります。

正法を勉強なさっている方は、いくら歳をとってもすばらしく
綺麗な顔をなさっていますのは、心に安らぎがあるからです。
法に縁なく歳をとっていきますと、
終わりにはお化けのような顔になっていく方もあります。
なぜかというと、歳と共に過ちを繰り返し、罪を積んでいくからです。


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「御垂訓」

2020-01-09 02:17:47 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                   講演 十四

「正しく仕事をなし」

先の続き・・・

仕事についての目的を尋ねますと、
その方その方によって答えが違います。
「私はご馳走を食べるために働いています」と
言われる方があります。
昨日寄せてもらいました香港、
中国の地はそれはそれは食べるのが好きな所です。

二時間も三時間もかけて、ご馳走が次から次から出てきます。
私は日頃小食で通しておりますが、
次々と出していただいたら自分でもようこれだけ入るなあと
思うほど入るのですね。

食べるために働いている、家を建てたいから働いている、
車のローンを支払わなくてはいけないから働いている、
家族を養うために働いているという具合に、
各自目的を持っておられます。

しかしほんとうの目的とはそんなものではないのです。
正しい仕事の意味は、どんな仕事でもいいから、
自分の肉体を使って自分が生きさせてもらっていることへの
ご恩返しをすることです。

仕事をしないで食べさせていただくような生活をしますと、
人様の血と汗を吸う「吸血鬼」と同じことになります。
肉体を動かしてご恩返しをさせていただくという心がけで
仕事をさせてもらいますと、
給料の多い少ないという不足の思いは減少します。

仕事というのは給料をもらうためだけにするものではなくて、
ご恩返しをさせていただいて、
しかも貰おうと思わなくてもお給料として報酬が頂けます。

「ありがたいなあ」と思って仕事をしますと、不足も出ません。
「私はこの仕事を通してご恩返しをさせていただいている」と
思えば不足の出るはずはないのです。
世の中には不足の出る方が非常に多いです。
人が見ていようが見ていまいが精一杯協力させていただいたら、
おのずと人の目につきます。


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「御垂訓」

2020-01-08 00:03:22 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                   講演 十四

「正しく仕事をなし」

今日の「心行」の解説は仕事についてお話させて頂きます。
世の中の殆どの方は仕事をしていらっしゃいます。
なぜ仕事をしなければいけないかというと、
私たちは人様の労働のお陰で生きさせてもらっていますから、
そのご恩報じをするために仕事をするわけです。

仕事の目的はお金儲けとは違います。
私たちは、人様が一生懸命汗を流し物を作ったり
販売してくださったりするお陰で生きさせてもらっているのですね。

たとえば鉛筆一本をとってみましても、
外側の木は大きな材料を切らなくてはなりません。
中の芯は鉱物ですから、まず掘り起こし次に加工します。
そして色を塗ったり印刷したりして、
一本の鉛筆のためにどれだけ多くの方が労力を
使って下さっているか分かりません。

魚についてみますと、漁をされる方が海に出られるのは命がけです。
その魚を私たちは頂いております。
野菜にしても牛肉にしても、
それぞれ大変な労力のお陰で私たちの口に届いております。
着る服もそうですね。

布地ができるまでは、まず羊を飼い、羊が成長するまでが大変で、
その毛を刈り取って大量にまとまったものが輸出輸入の労力を通して
日本に入ってきます。
輸入された羊毛は羊のお尻の辺りには便がいっぱいついていますし、
バーといってくるくる巻いた棘の生えた植物の実のようなものが
たくさんついていて、それを一つの工程を通して燃やしてしまいます。

次に整毛してやっと紡績へ運ばれて糸になります。
いろいろな色に染め、織り上げたものを仕立てて
一着の服になるのです。
どれほど大勢の方たちの労力を頂いているか計り知れません。
住まわせていただく家もまた労働を通して多くの方々の
恩恵を頂いております。
まさに血と汗の塊です。
そうであれば、私たちもどんな仕事でも、
仕事に貴い賤しいの差はありませんから、自分の肉体を動かして、
生きさせていただいているご恩報じをさせてもらうのです。
これが仕事の意義です。



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「御垂訓」

2020-01-07 00:28:43 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


講演 十四

先の続き・・・

私たちの日常生活も同じことで、
喧嘩していたら仕事もうまくいきません。
車に乗っていて何回もムチ打ちの目にあうのは、
ただ運が悪いからではなく、原因をその人が持っているからです。

私たちの心がすべてを表し、
すべてを形づくっているということに気付くべきです。
病気についても同じことで、
不可抗力で内臓が悪くなったり、怪我をするのではなく、

不注意であったり、たくさん食べて内臓に負担をかけているから、
それが病となって現れるのです。
足ることを忘れた結果として現れるのです。
もちろん、先天的な病気もありますが、
殆どの病気は自分で作ったものです。

どうかこの世にいる間に苦しみの原因を作らないように、
私たちはすばらしい世界から生まれてきていることを自覚して、
またすばらしい世界へ帰るのだということを心に思い描いて下さい。


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「御垂訓」

2020-01-06 00:07:50 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                  講演 十四

先の続き・・・

病気についても同じことです。
あなたは病気をしませんという約束はどなたも頂いておりません。
いつどんな病気が起こるか分からないのです。
人間の体は、
四百四病の病の詰まっている袋であるともいわれております。
いつどんな病気が起こってくるか分からないのです。

今、健全な時に何をなさなければならないかというと、
これはごく簡単なことです。
「過ちをできるだけ少なくし、そして善き行いを多くすること」です。
これが人として生きる上での修行です。
やさしそうなことであってまことに難しいことです。

あるバイオリンの先生が十分な練習をされた上で演奏会へ
臨まれたそうですが、その結果が良くなくて自信を失われたのです。
音楽というのはハーモニーであり、音階の調和が命です。

どれほどすばらしい技術を身につけましても、
演奏する方の心が不調和であれば人の心には伝わっていきません。
演奏会の失敗はご兄弟の間でいろいろともめごとがあって、
調和されていなかったことが原因だったのです。

やはり兄弟仲良くして親孝行することですね。
すばらしい音楽というのは調和された心から生まれるものです。



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「御垂訓」

2020-01-05 00:02:17 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                  講演 十三

「正しく仕事をなし」

先の続き・・・

また、イエス様は常に「あなたの隣人を愛しなさい」と言われます。
そういう言葉がたくさん書かれています。
なぜくどいほど「愛」をお説きになったかというと、
他を愛するが故に自分が愛されるからです。

隣人という対象を通して愛されるということは幸せなことだからです。
世界中どこへ行っても隣人はいてくれます。
その隣人を愛することによって、
私たちは地球上どこへ行っても愛されます。
愛する故に愛されるように、
自分が裁かれないために人を裁いてはいけないのです。
  ~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~

講演 十四

私たちが必ず体験しなければならない「死」とは何であるか。
その死が訪れた時、どのような心がけが必要か、
私たちはどこへ行かなくてはならないか、
死が訪れる前に何をなすべきか、
これらのことを学ぶのが私たちの勉強の目的の一つです。
生まれるということ死を約束されています。

この世を去るという一つの現実はどなたも避けることはできません。
お釈迦様はこのことを「たとえ山奥の洞窟に逃れても、
空に彼方へ逃れても、海の彼方へ隠れても、
死より逃れうるところはどこにもない」とおっしゃっておられます。
巡り合い、ご縁があるということは、
やがて別れるということであって、
これは避けられないことです。



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「御垂訓」

2020-01-04 01:05:46 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                 講演 十三

「正しく仕事をなし」

先の続き・・・

「心行」の中で「正しく仕事をなす」と書かれていますが、
これは、「正しく行う」ことで、お釈迦様の八正道では「正行」と
説かれています。

仕事ではなく、行いを正しくしなさいということです。
「行い」とは実践することです。
正しい実践をしなくてはいけません。
間違った実践をしたら間違った結果が出ますから、
法に従ったお日様の心を自分が行うことです。

太陽の御心を行ないに現した時、
正に私たちは神を体験させていただけるのです。
太陽こそ神ご自身のお姿ですから、太陽の思いを常に抱くことは、
神様の思いを常に持たせてもらっていることです。
 
神を体験するといいましても、
なかなかできるものではないとお思いになるでしょうが、
常に精進努力しましと、神はその人を通して、
つまりその人の言葉や行動を通して神ご自身がお働きになるのです。

神が人間を造られたのは、ご自身をこの地上に表現したいがために、
その道具として造られたのです。
その神様が何を望んでおられるかは、
私たち普通では知ることができませんが、
あの太陽を見せていただいた時、神様はあの太陽の思いと、
行いをして下さっています。



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「御垂訓」

2020-01-03 00:24:56 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                    講演 十三

「正しく仕事をなし」

先の続き・・・

同じ言葉がなぜこんなにも違うのか大変疑問に思って、
自分なりに一生懸命追求して、その謎が解けました。
それは先生が実践されているから、
実践という言葉が重い力を持って響いてくるのだということが
分かりました」と書かれていました。

実践をしない者がいくら実践、実践といいましても、
それは聞く者の耳を素通りします。
「私はこのように行いました」と、
行った者が実践という言葉を使った時は、
人の心の中に入り込んでいくのですね。
こういう面からみましても行うことがいかに
大事かということが分かります。


※ ご報告
2020年の新年になりましたので当ブログへの開設日より現在までの
トータル訪問者数、並びにトータル閲覧回数をご報告申し上げます。
ブログ名:垂訓 URL:http://blog.goo.ne.jp/hanatenzen 
開設日:(2008-11-11)から本日現在(2020-01-01)までの
      4,034-180=3,854日間で 
(不可抗力で投稿できなかった日数を180として計算しています)

トータル訪問者数:361,634名    一日平均:94名
トータル閲覧回数:1,089,876回    一日平均:283回

多くの皆様の当ブログへの訪問ならびに閲覧ありがとうございました。
恩師「長尾弘」先生も天上界で大変喜んでおられることとご拝察致します。
これを励みとしまして尚一層、皆様に喜んで頂けますようブログの更新を
頑張ってやっていかねばと心新たにしております。
皆様どうか今後とも宜しくお願い致します。


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「御垂訓」

2020-01-02 00:50:10 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                   講演 十三

「正しく仕事をなし」

先の続き・・・

同じ言葉がなぜこんなにも違うのか大変疑問に思って、
自分なりに一生懸命追求して、その謎が解けました。
それは先生が実践されているから、
実践という言葉が重い力を持って響いてくるのだということが
分かりました」と書かれていました。

実践をしない者がいくら実践、実践といいましても、
それは聞く者の耳を素通りします。
「私はこのように行いました」と、
行った者が実践という言葉を使った時は、
人の心の中に入り込んでいくのですね。
こういう面からみましても行うことがいかに
大事かということが分かります。

同じ言葉がなぜこんなにも違うのか大変疑問に思って、
自分なりに一生懸命追求して、その謎が解けました。
それは先生が実践されているから、
実践という言葉が重い力を持って響いてくるのだということが
分かりました」と書かれていました。

実践をしない者がいくら実践、実践といいましても、
それは聞く者の耳を素通りします。
「私はこのように行いました」と、
行った者が実践という言葉を使った時は、
人の心の中に入り込んでいくのですね。
こういう面からみましても行うことがいかに
大事かということが分かります。


※ ご報告
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多くの皆様の当ブログへの訪問ならびに閲覧ありがとうございました。
恩師「長尾弘」先生も天上界で大変喜んでおられることとご拝察致します。
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