~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~
講演 十三
「正しく仕事をなし」
先の続き・・・
とてもいいお話をされる女の先生を知っています。
「まあ、すばらしいなあ」と思うような話をされるのですが、
その方の日常生活を親しい方から聞きますと、出すのは大嫌い、
貰うのは大好きで、
貰ったものは腐っても出さないという生活ぶりだそうです。
そういう人が法を説いておられるのです。
法を説く者の実践面がいかに命であるかということを感じます。
或る場所へ招かれて、普通のお宅でお話させていただきました。
二、三十人も集まってくれたらいいと思っていたのですが、
百数十人も来て下さったので家に入れなくて、
階段も廊下もいっぱいとなり、雨縁の外に立って
聞いていただいた方もあったのです。
その時、一生懸命勉強なさっているご夫婦の方が来られたのですね。
外で聞いていただいたのですが、
休憩時間にちょっとお話をさせてもらいました。
その後手紙を下さったのですが、
「今まで実践という言葉を耳にたこができるほど聞いてきました。
いろんな先生が実践が大事であると聞いて、なるほどそうか、
実践をしなくてはいけないのだなという程度に受け取り、
こちらの耳から入ってこちらへ抜けていました。
ところが長尾先生の口から実践という言葉を聞いた時に、
胸の中にぐさっと突き刺さりました。
同じ言葉がなぜこんなにも違うのか大変疑問に思って、
自分なりに一生懸命追求して、その謎が解けました。
それは先生が実践されているから、実践という言葉が重い力を持って
響いてくるのだということが分かりました」と書かれていました。