浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「御垂訓」

2022-04-15 00:12:06 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「講演集」より ~


       講演集、 一

   「善行のあと心を苦しめる」

人間はどれ程善い行いをしても、
その行いによって自分を苦しめてはなりません。
私の近くに住む非常に人の良い或る男の方の話しですが、
親切でやさしくて、人が困っていたら放っておけないという方です。
私の所に来られて、
「ここ三、四日腹が立って腹が立って夜も寝られない」と言われます。

何事があったのかと聞きますと、二月のこの寒い折り、
土砂降りの中で車がエンコして難儀しておられる。
ああこんな雨の中で可哀そうにと思って自分の車を後ろに止めて、
雨でボトボトに濡れながら、「私が押してあげるから、

あなたはギヤを入れてクラッチを踏み、車が動いたらすぐ離しなさい」
と言って車を押していた。すると、
うまい具合にエンジンがかかったのですね。
ああよかったなあと思ったら、
その車はスーッと走って行ってしまったというのです。

その方は寒い中でずぶ濡れになって、
ほんまにあの人は何という人かと、
思い出せば三、四日寝られないくらい腹が立ったというのです。
「まあ、そんなに眠れない程、よう腹を立ててくれましたね。
それはあなたに求める心があったから、

その苦しみを味わったのです」と言うと、
「私は何も求めていません。
でも一言お礼を言ってもよさそうなものだ」と言いますから、
「あなたはその一言を求めていたのです。

言葉の礼、或いは喜んで欲しいと思う、その喜びを求めているのです。
何も求めていなかったら、
そのまま走って行ってもああ良かったなあと思える筈です」と言いますと、
「本当にそうですね。アホらしくなった」と、
もう機嫌を直しておられました。

そういうもので、
善い行いをしても、あとで自分を苦しめてはならないというのは、
そこにあるのですね。
一言ぐらいお礼を言ってもいいのに、と思っているのです。
これは私達が日頃、大なり小なり他に尽くして、
報われなかった時の姿です。

裏切られた場合、私達はかなり苦しみます。
困った人を見て手を貸し助けるという行為は善い行いですが、
一言の礼も言わないといって、あとで腹を立てておりましたら、
これは悪です。
不調和です。

どれ程善い行いをしても、結果として自分を苦しめては、
心の大きな罪になります。
善に勝る罪を犯したことになるのですね。
調和をはかる為には、人の為に尽くさなくてはいけませんし、
人をお助けしなくてはいけませんが、その結果として裏切られたり、
自分に都合が悪い時には、私達は自分を苦しめます。


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「御垂訓」

2022-04-14 00:31:44 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
~ 恩師の「講演集」より ~


          講演集、 一

    「心に播いた善悪の種子、その収穫」

  種子を播けば芽が出て来ます。
  芽が出れば必ず生長し、時期が来れば花が咲き、
  そのあとには必ず実りがあります。
  同じように、
  自分の心の中に苦しみの原因となる種子を播いてしまったら、
  苦しみが芽生えて生長してきます。
  時間はかかります。

  今、種子を播いたからすぐ明日収穫するというわけにはいきません。
  自然界と同じように或る時間を要します。
  自然界では桃栗三年、柿八年、
  二十日大根は二十日経てば収穫できます。

  早く現れる場合と、時間がかかって現れる場合とがあります。
  しかし、自然界のものは、せっかく丹精こめて育てましても、
  心悪しき人がちょっと失敬しようかと持って行く場合がありますが、
  自分の心の中に播いた種子は、何者も盗むことはできません。
  全部自分が収穫しなくてはなりません。

  もし善なる種子を播きますと、
  それは必ず喜びとなって自分に収穫が回って来ます。
  これはまた、誰も盗めません。
  その代わり恐ろしいのは、悪い、苦しみの種子を播いてしまったら、
  誰も取ってくれないことです。



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「御垂訓」

2022-04-13 01:34:19 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

  ~ 恩師の「講演集」より ~


            講演集、 一

      「親の不調和は子供に影響する」

或るお嬢さんが先日喘息で苦しんでいるということで、
そのお母さんから電話をいただきました。
電話でお祈りをして、
治っていただきましたが、そのお母さんに話したのです。
「まず心の持ち方です。
子供さんにとって両親は神以上の存在です。

その両親がヒステリーを起したら、子供さんは不安でたまりません。
そういう心の不安定が喘息となって現れる場合があるのですよ」
すると、「ほんとうにその通りです。

これからは親としてそういうことがないようにいたします」
と言っていただきましたが、両親の心の不調和は子供に影響します。
このように電話を通して喘息の発作が治りますし、
熱で身動きができない方でも、
受話器で応じていただいたら治っていただけます。


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「御垂訓」

2022-04-12 00:09:00 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 ~ 恩師の「講演集」より ~


            講演集、 一

      「心の罪は法律では罰せない」

さて、私達が腹を立てたり、愚痴を言ったり、
人を謗ったりするのは、これは不調和です。
まして憎しみや恨みを持ったら大変です。
全部不調和です。

この世の法律というのは人間が作ったものですが、
自然の法は自然界に定められているものです。
  
人間の法は人の思い、心の中までも罰することはできません。
行った行動に対して罰するのが人の作った法律です。
ところが、心の中で思ったことは法律では罰せませんが,
 
心の不調和は全部罪になります。
苦しみや不幸の原因となってきます。
案外、人はこのことに気付かないのですね。
人間は感情の動物だから怒らないと損だと言って怒っている、
これはとんでもないことです。



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「御垂訓」

2022-04-11 01:13:57 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
~ 恩師の「講演集」より ~


            講演集、 一

        「無神論者の目覚め」

世間には、神様を信じない無神論者がおられます。
これは、現実に神様の慈愛をいただいていながら、
それを自覚できないでいる方です。
自ら神様をお断りしているのですから、余り幸せとは言えません。
感謝することを知りませんからね。

一方、私ほど幸せな者はおりませんという方も、
こういう話しには耳を傾けませんが、
手を合わせることを知らずに苦しむことなしには、
なかなか一生は続きません。

無神論者も、五十、六十と年を取って、突然の苦しみに襲われて、
初めて苦しみから救われたい為に道を求めて来られます。
神様、自然は私達人間に対して、何とかほんとうの心に目覚め、
神を知りなさいといって、私達に土を被せて下さいます。
種子は光の中に置けば、いつまで経っても芽が出てきません。
これを母なる大地に帰して土を被せると、初めて芽が出て来ます。

闇の中に入れられた時、勿論水分も必要ですが、
光を求めて芽が出て来るのです。
人間もそれと同じで、苦しみとか、病気とかの土が被さって、
初めて光を求めて目覚めていくのです。

私の言います神様というのは、
私達を生きさせて下さっている大自然の力のことで、
種子を播けば必ず芽生えさせてくれ、又花を咲かせ実らせてくれる、
万象万物を生かして下さっている大自然の力、
それが私の言っている神様です。
ゴッド、大宇宙を支配する力こそ真の神様です。


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「御垂訓」

2022-04-10 00:15:58 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
 ~ 恩師のご著書「講演集」より ~


               講演集、 一

       「真の神の慈愛は地球全土に」

ある宗教の信者さんで、奈良県の山奥、十津川の方ですが、
足の両膝関節が痛んでもう地獄さながらの状態で歩くこともできない。
それで宗教関係の方のお世話で大手術をすることになったのですが、
その三十半ばの奥さんが、たまたまご縁があって、
御主人に抱きかかえられて私の所を訪ねて来られました。

聞けば多額の寄進をしてご指導を受けられたのですね。
「あなたはもっと本部へ足を運んでお参りをしなくてはいけません。
神様の場所に足を運ぶようにと、足にその印をみせて下さったのです。
もし手術をして足が治ったら、
もっとせっせとお参りしなさい」と指導されたそうです。

そして「これは本当でしょうか」と尋ねられるので、
私は「申し訳ないけれど、それは嘘です。
神様とは、今私の目の前にもすぐ来て下さいます。
そしてあなたの住む十津川の山奥にも神様の慈愛は満ち満ちています。
地球上のどこに行かなくてはおられないというような神様は正しくない。
地球全部が神のご神体で、ご神殿です。

そして隅々まで神の慈愛に包まれています。
ですから、ほんとうの神様の慈愛とはどんなものかを、
ここであなたに見ていただきましょう」と話して、
「どうかこの方に、神様の光をお与えください。
私達の日々の生活の過ちをお許しください。

どうかこの方に調和と安らぎをお与えください」と祈りましたら、
その足が、その場で治ってしまったのです。
来る時はご主人に抱かれて運ばれて来た方が、
帰りは自分の足で走るようにして帰られました。
ほんとうに神様の慈愛は地球全土に満ち満ちております。


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「御垂訓」

2022-04-09 00:23:54 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
~ 恩師のご著書「講演集」より ~


          講演集、 一

    「真の神様と人間が作った神様」

このような不思議な自然の力、それが神の力であり、
この地上を見た時、
万象万物すべてがお互いにお互いを生かし合いながら
生きているのです。
お互いが持ちつ持たれつの法則の中に生き、
又生かされています。

この大自然の力が私の言っている神様です。大宇宙を支配し、
この地球上にあらゆる生物を育ててくれる力、
これこそ真の神様です。

この偉大な神の御業の中に生かされているということを
自覚するだけでも、今までとは人生観が変わります。
どこそこの神様が有難い、
あそこの神様に参らなかったら罰が当たるなどと言いますが、
私達が神様と思っていたのは、

常識としまして神社、仏閣、或いはお社、
祠の中にお祀りした神様ですね。
あれは皆、人間が拵えた神様で、それに私達はお参りしているのです。
ほんどうの神様とは、
人間をお造りなったその力、その力こそがほんとうの神様です。
人間が作った神様ではありません。


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「御垂訓」

2022-04-08 00:07:53 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の御著書「講演集」より ~


             講演集、 一

       「太陽系に見る調和の姿」

太陽系では太陽を中心として九つの惑星が回っております。
地球をはじめ火星、木星など九つの惑星と、三万何千個の
小惑星とが寄って、一秒の狂いもなく太陽の周りを動いています。
私達は気付かずに地球に立たせてもらっていますが、
時速二万数千キロの速度で太陽の周りを回っています。
そして地球は自転して二十四時間で一回転します。

先日四国で港から船に乗りました時、
ちょうど日の出前で朝日が糸を引いたように出て来ました。
ああ有難いなあと見ているうちに、
太陽は躍り出るが如くに山の上に昇って来られたのです。

その時私はまざまざと地球の自転の早さを見せてもらいました。
あの昇って行くスピードだけ地球が回っているのです。
地球一つを見ても、
太陽の周りを地球は自転しながら回っていることを
見せてもらうことができます。
もしも太陽を壊して地球をこしらえたとしたら、
何と三十三万個ぐらいできるそうです。

それ程太陽は大きいのですね。
太陽が仮にドッジボールの大きさとしましたら、
地球の大きさはどのくらいかと言いますと、米粒か、
米粒の半分ぐらいで、その距離はドッジボールの十メートル先に
米粒があるというのが、太陽と地球との関係に当たるようです。

その地球が道もない宇宙を三百六十五回と四分の一回転した時に、
ピタッと元の位置に戻って来るのですね。
百年間に一秒の狂いもなしに回っております。

これは地球がひとりで動いているのではありません。
九つの惑星が動くことで他を動かしているのです。
他の動きによって自分が動かされているのです。


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「御垂訓」

2022-04-07 00:19:15 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 ~ 恩師のご著書「講演集」より ~


          講演集、 一

     生きる目的「調和」とは

私達は何の為にこの世に生まれて来ているのか、
そして一体どこからこの世に生れさせてもらったのか――――。
これはお母さんのお腹から生まれたのですが、なるほど、
肉体は両親の縁をいただいてこの世に生れて来ておりますが、

しかし私達の心、
魂は一体どこからこの世に招いて戴いたのでしょうか。
それは、すばらしく調和された光輝くあの世の世界(内界)から、
自分の魂を広く豊かにする為に、
この世に生れて来ているのです。
この世は、
私達の魂の研修会場と思って戴いたら間違いないですね。

では一体この世で何をするのかといいますと、
私達はこの世においてお互いに手を取り合って、
助け合い補い合いながら、
調和することを目的として生まれて来ております。
「調和」に背いたら、背いた分だけ、

苦しみを戴くようになっています。
病気も、貧乏も、不幸もすべて調和からはみ出した分だけが
苦しみとして現れて来るのですね。

「調和」というのは、お互いに相互依存する中で、
他を生かす行いをすることです。
キリスト教では「愛」といいます。

この自然の世界はすべて調和されております。
私達が幸せになるには三つの柱が要ります。
まず「調和された健康」、次に「調和された経済」、
そして「調和された心」です。


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「御垂訓」

2022-04-06 00:49:20 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師のご著書「講演集」より ~


           講演集、 一

       「強く願えば再び夫婦に」

質問

この世で成し得なかったことを、次に生れて来た時に
成し遂げたいという願いを持った場合、私どもの一念が
心を支配する力を持つでしょうか。

実はこれはあるのですね。
強く願いましたら、
自らの意識でそこへ生まれてくる場合があるのですね。
しかし、そのご本人がすぐ出られるには、
短い時間では無理です。

六つの意識を持って一人一人の人格を構成していますから、
どの方が出られても皆共通しているのですけれど、
名前が違います。

中国に生まれれば、李とか王とか、
日本では私はたまたま長尾ですけれど、
イスラエルでは又別の名前になります。
生まれ出た方達の名が皆違うのですね。

もしも自分が強く出たいと思われても、
順番として次の自分の守護霊をしていられた方が出て来られます。
そして六人の順番のあとに自分がつかれる場合もありますが、

一人七十年としても五人分三百五十年待たなくてはいけませんけどね。
強く願えば再び夫婦として、或る場合はこの世で母娘であったのが、
次には姑嫁の関係で生まれでることがあります。


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「御垂訓」

2022-04-05 00:06:21 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師のご著書「講演集」より ~


             講演集 一

        「自殺者さえ救われる」

これは本で読んだ話でなく、私の体験したことです。
まだ二十七、八歳の若い方が服毒自殺をされました。
青酸カリですからものすごくきついですね。
寝ている身体の下の部分はすぐに変色してきます。
二時間ぐらいで真黒になり、五、六時間もすると
全身が腫れあがって、
鼻、口など穴という穴から汁が出てきます。
もう見られた姿ではありません。

鼻、口に綿を詰めるのですが、細胞が腐っているから、
穴が広がっていよいよお化けです。
胸をかきむしって断末魔の苦しみのまま目をむいて
死んでおられたのです。

私が寄せてもらった時は、
池の底の泥といった状態に全身が変色していました。
紫色になり、身体は腫れあがり、目をむいて、
硬直していて指一本動きません。
石よりも堅い有様です。

余りの気の毒なお姿に、家族のご諒解を得てから、
「どうか神よ、この方の罪をお許し下さい。
どうか許して下さい」と私は泣きながら許しを乞いました。
それから、その方に向かって「あなたは、どんな事情があったのか
知らないけれども、何ということをしてくれましたか。
自らの命を自ら断つとは何事ですか。
神は生きよ生きよと言われます。

あなたはその神のご意志に背いて何ということをしてくれましたか」
「その過ちに気付けば、ほんとうの神様に心からお詫びを言いなさい。
私も共にお詫びします。
その過ちに気付いて、心からお詫びして下さい」
と話させてもらいました。

私も泣きながらだったのですが、目を開きますと、
真黒になって腐りかけたその方の顔が綺麗になっているのです。
白くなってピンクがさしてきています。
目は剥いていましたが、手で触るとさっと閉じてくれました。
一瞬にしてお化粧をしたような顔に変わっておられるのです。
家族の方も親戚の方も驚いておられました。

硬直していた腕が柔らかくなっていて指を組ませましたら、
今度は倒れてしまうので、座布団を二つに折って肘につっかいをして
合掌してもらいました。
もしも普通の宗教が言うように、神に背いて命を絶った者は
永遠に救われない、神が怒って救われないのだったら、
いくら私が泣き叫んでも祈っても救われる筈はありません。

この体験をさせてもらうことによって、
神は自分に対して最も背いた行為をした人にさえ、
救われなさい、自らに目覚めて救われなさいと、
慈愛を与えて下さったことが分かりますね、
なぜ、
その方の硬直がとけて観音様のようなお顔に
変わったかと言いますと、
その方が自らの過に気付いて、私が泣き叫んだように、
その方も神に泣き叫んでお詫びをされたからだと思います。
この現象を見せてもらうことによって、
神仏の御心をはっきりと自分が体得しました。

「神の名において許しません」という宗教がありますが、
あれは嘘です。
神は無限の許しです。
無限の許しの意識です。
罰は絶対に当てられません。

皆さんも時間があれば、心が落ち着いた時に、
或いは夜寝床に入った時でも結構です。
朝起きた時でも結構です。
「ありがとうございます」という感謝のひとときを持って下さい。
そうすれば心に安らぎをいただきます。
幸せとは心の安らぎです。

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「御垂訓」

2022-04-04 00:17:23 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師のご著書「講演集」より ~


           講演集 一

    「自殺は神に最も背いた行為」

宗教の中には、
自殺した者は救われないと説いている者が多いですね。
「自殺者は永遠に地獄へ落ちる」と言いますが、
自殺した者でも悔い改めたら救われるのです。

なぜかというと、
神の御心、仏の御心は無限の許しです。
私達がどんな過ち、
罪を犯してもなお許してあげようという、
その無限の許しこそ神仏の心です。

では、なぜ自殺したら救われないかというと、
自らの心が神仏の心に近ければ悲しみは少ないのですが、
もし神仏の心から一メートル離れたら
一メートルの苦しみを自ら
裁くようになっているのです。

「神様の罰が当たる」といいますが、
神仏は決して罰は当てられません。
それはあの太陽と同じです。
太陽は自らの身を燃焼させて他に熱と光、
慈愛を与え給うている。
それに対して何も報酬をお求めになりません。
ただ与え給うのみです。

神の心は幸せになれ、健やかに生きよ、
自らを苦しめてはいけない、己を大切にして、
己を大切にするが如く他を大切にせよとおっしゃいます。
自殺という行為はその神仏の心から最も離れてしまうのです。

だから、永遠の苦しみを味わわなくてはいけないのです。
しかし、神仏はそれでも救ってやろうとおっしゃいます。
その証拠を私は見せてもらいました。



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「御垂訓」

2022-04-03 00:35:57 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 ~ 恩師のご著書「講演集」より ~


             講演集 一

    「地獄の時間は長く天上界ほど短い」

質問 

地獄に落ちた場合は、
もう世界を代わることはできないのでしょうか。

先程も話しましたように、八百年も地獄におられる場合もあります。
地獄に落ちた場合、地獄では時間が非常に長いのです。
ピラミッドのように底が広がっていますので、
下の世界は時間が長いのですが、天上界に上がっていくにつれて
時間が非常に短くなってきます。

光の大天使がおられる所などは、一瞬の短さです。
時間そのものは、
つまり時計がコチコチと動く長さとしては同じことですが、
この時間が心で変わるのです。

例えば、若い時に好きな方があって、その方と会っている場合は
「もうこんな時間か、早く経ったなあ」とびっくりする程、
時間が経っていたという経験がおありでしょう。
家に帰って叱れて、今まで何をしていたと言われても、
何も話してはいないのに時間が過ぎてしまったなあ
ということがあります。

逆に、憎らしくて、嫌な人とここに一時間いなさいと言われたら、
それはもうたまりません。
十分でも何十時間にも感じられます。

また暑い夏にストーブを焚いて、
その中に十分間いなさいと言われた場合も、その十分間は
大変長い時間に感じられて、
「早く経たないかな」と思われます。
そのように時間は意識によって、長くも短くもなります。
辛い中では時間はものすごく長く感じられますし、
喜びの世界の中にいたら、
あっという間に時間は経ってしまいます。
だから地獄の世界に落ちたら、
無限に長い時間に感じられてしまうのですね。

この地上界の八百年というのは、地獄界の何万年、
何千万年にも相当します。
幸いこういうご縁をいただきましたら、
地獄に落ちている人でも

上に上がっていただけますけど、
なかなかこういうご縁はいただけないですね。
私にご縁のありました皆さんはご先祖様に語りかける言葉を
お仏壇の前で唱えてください。


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「御垂訓」

2022-04-02 00:37:09 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の御著書「講演集」より ~


             講演集 一

     「一瞬一瞬を満たされて生きる」

私達は生きている間に悲しみや苦しみをたくさん体験します。
しかしそれも私達の魂を磨く学びの材料として体験させて
もらっているのです。
だから過ぎた悲しみ、苦しみにいつまでも囚われてはいけません。
苦しみは見方を変えて早く捨て去り、
しかもまだ来ていない未来を思い煩ってもいけません。
先はまだ来ていないのです。

現在の一瞬一瞬の積み重ねが一時間となり二十四時間となり一カ月、
一年となっていきます。
その今の一瞬を満たされた時として生活を積み重ね、
人生を笑って過ごされる方はやがて満たされた一生を終って、
その時必ず上に昇って行かれます。

今を大切にしたいと思います。
今に感謝し、今を安らいで生きた時、
私達は必ず幸せになれると思います。
ここまでの話で納得していただけなかった点について、
ご質問がありましたら受けさせていただきたいと思います。


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「御垂訓」

2022-04-01 02:36:23 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師のご著書「講演集」より ~


              講演集 一

         「守護・指導霊」について

この世に生れてある時期は母親の慈愛を戴いて育ててもらうのですね。
特に母親の愛がなくては生きられません。
その愛を戴いてやがて成長しましたら伴侶を得ます。
これからが本当の修行になります。
子供を授かりますと、これで更に修行が厳しくなります。

やがて子供を独立させまして、うまくいったらこの世の執着駅です。
ここに至ってうまく天上界に行けたら、しめたものですが殆どの方は
地獄のほうへ行かれます。
ワット数がないのです。
「私は三十ワットですけど、五十ワットに高めてきます。

安心して下さい」と言ってこの世に生まれてくるのですが、
生まれた瞬間に全部忘れてしまって、だんだんワット数が減って
真黒になって終着駅に着いた時には、
停電して天上に帰ることができなくて、
地獄のほうへ行ってしまうのです。

この時、私達は気が付きませんけれど、
常に感謝しなくてはいけないことは、
私達の側には守護指導霊が必ず付いていて下さるということです。
皆さんにも全部付いて下さっています。

私たちを守りながら、
やがて自分がこの世で生きる為に現象の世界に馴れる
勉強をしておられる私達の魂の兄弟が五人おられます。
魂の本体(自分)があり、
太陽と同じようにその周りに五人の分身があり、
自分を含めて六人をもって「私一人」の人格を構成しています。
この中から選抜されて、皆さんの分も頑張って来ますといって、
この世に魂の修行をしに生まれてまいります。

わたしは或る時、肉体を持ちながらにして、
ふるさとである天上界へ帰らせてもらったことがあります。
するると五人の者が迎えに来て下さいました。
五人の服装はさまざまです。
中国服の方や、或いは布を纏っておられる方、
洋服の方などいろいろな姿の方が出迎えに来て下さって、
ほんとうに懐かしいというか、もう泣けて泣けて仕方がないのです。
「この地上に出られて、その間よくぞ私達の所に帰って来て下さいました」
と迎えて下さいました。
大変すばらしいことです。

さて私達の兄弟五人を仮にABCDEとしますと、
私がこの五人から離れて地上界に出て来ました時、
次の順番の方Aが私の守護霊として付いて下さるのです。
そして私を守りながら、この現象界に出る準備をして、
やがて私がこの世を去ります時、私がこのAにバトンタッチをして、
Aがこの世に出て来られます。

するとまた次の順番のBが、Aの守護霊となって付いて下さるのです。
このようにして順番に誰にも皆守護霊が付いていますので、
守護霊に対いて感謝しなくてはいけません。
例えば、交通事故に遭って車がぺちゃんこになっても、
かすり傷一つ受けていないという記事を見ることがありますね。

また五階、六階から落ちたのに傷がなかったという場合もありますが、
あれは目に見えない守護霊のお守りがあるのです。
しかし、私達はその記事を見て「ああ奇蹟がなあ、良かったなあ」
ぐらいにしか思いません。

そこでこの世を去ります時には、下の世界に行きませんように、
少しでもワット数を上げて天上界へ行きますように、
その為には現在の生活が大切になってきます。
今をいかに生きるかです。
過ぎ去った過去は帰ってきません。


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