浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

偉大なる光の王に導かれ
我が身は動き口は語らん

「御垂訓」

2022-11-14 23:58:28 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
  
 恩師のご著書「講演集」より


           講演集、 二

    東京・沖縄の旅にこと寄せて――幸せになる為には

先の続き・・・

帰りに水族館で海底の魚の見える所に連れていってもらいました。
自然というのは有り難いもので、
行く先々で学ばせてもらうことができますね。
海はあんなに広いと思いますけど、珊瑚礁の魚は、
そこで生まれて育ってそこで死ぬそうです。
よそへ行かず一生をそこで終わるそうです。
こんなに大きい鯛がいます。

餌の麩を岸から投げると、魚が取り合いをして食いついてきます。
鯛や細長い魚や透き通った魚などがよく見えました。
こんな所で漁師がその魚を全部獲ってしまったら後、
魚が育たないそうです。
「もう時間がありません」と言われて、
パーッと走って運動会のような旅でした。

しかし、
人さまの喜びを頂いて数えきれないほどのたくさんの方が喜び、
そして感激して下さいましたが、
特に沖縄では自分が分からない程抱きついて
ワンワン泣いておられて、それは大分長い時間でした。
何人も何人も抱きついて泣いておられました。
魂の触れ合いに恥じも外聞もありません。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御垂訓」

2022-11-14 00:25:40 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「講演集」より


           講演集、 二

    東京・沖縄の旅にこと寄せて――幸せになる為には

先の続き・・・

沖縄に行かせてもらった時、
あわよくばUFOの写真を撮ってきますと約束しましたが、
あまりに忙しくてUFOにお会いすることができませんでした。
私はタバコ一服、水一滴頂く暇がありませんでした。
東京でも汗を拭き拭きでしたが、沖縄はもっときつかったです。
部屋へ帰りますと、近くの部屋の方が来てくれまして、
休ませてもらったのは二時間半から三時頃、
朝は早く起きなくてはいけないし、
ちょっとしか寝ていない上に前日多くの方達の
治療をしましたので、
朝起きると瞼がこんなにたるんでいました(笑い)。
鏡を見てびっくりしまして、
「しっかりしなさい」と言いましたら、
スーッと消えてくれました。
「こんなことでは人の前に出られません。
調和して下さい」と言いますと、
普通の顔になってくれました。
しかし嬉しいことがあったのです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御垂訓」

2022-11-13 00:20:07 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「講演集」より


          講演集、 二

   東京・沖縄の旅にこと寄せて――幸せになる為には

先の続き・・・

こうしてこの子たちが手を降りますと、キラキラになるのです。
「もう一回振って」「もう一回振って」と、
大の大人が周りに寄って言いました。
この子供さんが手を開くと、
金がパアーッと出まして、家に帰られてからも
ずっと出ていたそうです。

この子供さんも神様のご用をしてもらうように、
また人さまを救うてもらうように、
大きくなったら頑張って下さい(笑い)。
こういう幼いお子さんは心に曇りが少ないのです。
ですから、素直に私のような者にも「のの様、のの様」と
慕っていただきますと、
そのような奇跡をあらわします。
信じるものは救われます。
そして神のご加護を頂けます。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御垂訓」

2022-11-12 00:04:20 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        恩師のご著書「講演集」より


          講演集、 二

   東京・沖縄の旅にこと寄せて――幸せになる為には

先の続き・・・

「過去世を開いた為に自分が偉いという増上慢となり、
そのために遠くへ去っていってしまった」と、
私にもそういう体験があります。
心の窓を私の縁によって開きながら、
私を非難、誹謗した人がありました。
私はその人を開かせておきながら、
私が自分自身開いていないことにしていますから、
開いた人は自分のほうが偉いと思ってしまって、
それでこういうことが起きます。

増上慢はまさに魔の餌食となってしまいます。
今日ここに来ていただいていますMちゃんと
お姉ちゃんと僕の三人は
おばあちゃんが高石におられるのですけど、
お孫さんたちは千葉に住んでおられます。
去年高石でお話をさせてもらいました時も、
この子らが来ていたのです。
お話のあと、金がいっぱい出てきましてね。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御垂訓」

2022-11-11 00:03:28 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

  恩師のご著書「講演集」より


          講演集、 二

   東京・沖縄の旅にこと寄せて――幸せになる為には

先の続き・・・

霊的に神の啓示を受ける場合、突然その人の心の状態によって、
神と悪魔とが入れ替わる場合が起きるのですね。
受信機のチャンネルを怒りの世界へ向けたら、
怒りの世界から入りますし、
増上慢になれば増上慢の世界から入ります。
喜び、安らぎ、愛のほうへ向けたら、光の天使が入ってくるのです。

安らぎ、喜び、愛の心の持続ということは、
我々にとって難しいことです。
しかし無償の愛の実践を通してのみ、安らぎと喜びが持続できます。
過去世に聞いたからといって、調和されている方は殆どありません。
腹の立つ時は腹を立てておられますから、
その時に悪魔がちゃんと入っています。
このB先生の本の中にもそのことが書いてあります。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御垂訓」

2022-11-10 00:03:20 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   恩師のご著書「講演集」より


          講演集、 二

      東京・沖縄の旅にこと寄せて――幸せになる為には

先の続き・・・

また、霊的現象で心の綺麗な方には天上界から光の天使が入ってくれます。
そして習ったこともない外国の言葉でお話をなさいます。
気を付けないと恐いのは、人は常に心の安定を保つことは難しいことです。
都合の悪い時には心が揺れ動きます。
もっと都合が悪ければ腹が立ってきますし、恨んだり謗ったりします。
いろいろとその時の人生の過程で出会いが始まり、
その出会いによって出来事が起きます。
出来事の都合がいい時は心が安定していますが、都合悪い時は心が波立ちます。
この波立った時が恐いのです。

例えば素晴らしい霊能力者の先生が亡くなられて間もない頃のことです。
先生の長女のA様に光の天使様が入ってこられて講演された時、何千人という
その場に集まっていた人たちは、ワンワンと大声を出して感激して泣きました。
まさに神の言葉が出てきたのです。
しかし、先生が亡くなられたあと十か月ぐらい経ってから、ボチボチと何やら
おっしゃることが正法から外れてきました。
二十歳そこそこの若いお譲ちゃんに光の天使長という天使が入られて、
もう周りも「天使様、天使様」と言って持ち上げ、ご本人もご自分の名前を使わずに、
天使の名を名乗っておられました。

今もその当時の月刊誌が残っておりますが、
そのうちに増上慢になれば恐ろしいことです。
同じように「私は天使○○でございます」と言って入ってきても、
それは悪魔とちゃんとすり替わっていることがあるのです。
しかし、これを見破ることができないのですね。
本人も分からないし、周りも分からないのです。
サタンというのは絶対にばれないようにして近づいてきます。
そして人の心を誘惑します。
ばれるようなことをしたら「ああ、サタンだ」と、すぐ分かります。
しかし本人も周囲も気付かない間にサッと入れ替わるのですから、
そこが霊的現象の最も恐ろしいところです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御垂訓」

2022-11-08 23:48:51 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「講演集」より


            講演集、 二

    東京・沖縄の旅にこと寄せて――幸せになる為には

先の続き・・・

また「伏見の山じゃ」と言って、入ってきたのがあるのですよ。
「どうして山が人間の体に入るのですか」と聞くと、
「それもそうじゃ」と言います。
そのうち「何が何だか分からないようになった」と言いました。
そんな分からなくなるような神さんはありません。
「南無観世音菩薩!!」と言って、
素晴らしい声を出して入ってくるのもあります。

「へえー観世音菩薩でございますか」と言うと、
「さよう!」と、高い声で言います。
いかにも有難そうに言うので、あれでだまされます。
「お名前は何とおっしゃる観音様でございますか」と聞くと、
ここでもう答えなれないのです。
「南無」と上に付けたらそれは偽もの、
南無とは帰依することですから、
観音さんが観音さんに帰依してどうしますか。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御垂訓」

2022-11-07 23:55:02 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
 恩師のご著書「講演集」より


           講演集、 二

    東京・沖縄の旅にこと寄せて――幸せになる為には

先の続き・・・

しかし人の身体に乗り移ってくる神は、
もうすべて百パーセント偽ものと思って間違いありません。
拝み屋さんに拝んでもらって神が入って
喋っているのはあれは偽ものです。
もしこの中にそういう方がありましたら、
私が皆さんの前で正体を暴いて見せましょう。
正し法の前にはだましきることはできないのです。
最初はだましますが、
神理の光の前にはやがてボロが出てくるのですね。
或る時、六十歳ぐらいの女の方に三輪大神が憑ってこられました。
「三輪、三輪の山じゃ」と言って入ってこられました。

「へえー三輪さんでございますか。
あんな大きな三輪の山は人の身体に入りません」と言うと、
「そうかのう」返事されます。
「何故この方に憑いておられますか」と尋ねますと、
「この者を助ける為じゃ」
「ではこの方が足が痛くて難儀しておられますのに、
あなたはなぜこの方を
助けられないのですか」と言うと、
突然、「二十キロ痩せろ、二十キロ痩せろ、
痩せたら足が治る」と言われます。
「神様が痩せさせてあげたらいかがです」と聞きますと、
「勝手にせい」と言われました。
無茶苦茶な神様です。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御垂訓」

2022-11-07 00:23:01 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
    恩師のご著書「講演集」より


           講演集、 二

東京・沖縄の旅にこと寄せて――幸せになる為には

先の続き・・・

「あ、この方は知識を話しておられる」
「この方は智慧を説いておられる」と、
実体験、実践によってお話に差が出てきます。
これは或る先生が講演の中で話しておられたことです。
氏神様などの神様のことですが、
「自分の家を自分でよう建てない者、
自分の腹を自分でよう満たさない者、

自分の生活の保証が自分でできない者が、
どうして人の為に家を建て、
人の腹を満たすことができますか。
そのようなものは偽物です」と。
しかし神社仏閣の中にはほんとうの
諸天善神が下りてこられる場所もあるのです。
すべてを悪霊と決めたら間違いですね。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御垂訓」

2022-11-05 23:58:44 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   恩師のご著書「講演集」より


           講演集、 二

    東京・沖縄の旅にこと寄せて――幸せになる為には

先の続き・・・

体験ほど強いものはありません。
体験を通して自分が実際に掴んだものは
間違いなしに人の心に入っていきます。
あちらこちらの講演会に行きますと、
居眠りをしている人や、皆がワイワイお喋りしている場合があります。
立派な先生でいい話をしておられるのですけど、
頭で学んで知識として得たものを口で語られるから居眠りが出るのです。

一生懸命皆が聞いておられる場合のお話は、
講師の先生が自分の体験を語っておられます。
「私はこのようなことをして、このようなことがありました」というお話は、
全部の者が耳をそばだてて聞くものです。
聴衆の態度ですぐ分かります。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御垂訓」

2022-11-05 00:12:49 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「講演集」より


         講演集、 二

   東京・沖縄の旅にこと寄せて――幸せになる為には

先の続き・・・

かつて、十五、六年前ですが、
本当の教えを説く所はないものかと宗教遍歴をしたことがあります。
その時、S教に「入会はようしませんが、
その修業に参加させていただけますか」と伺うと、
「どうぞ来て下さい」ということで、何か月か通ったことがあります。
そこへ通っていた時に、K大学の体育館でT先生の講演会があり、
券を買って出かけたのです。
大きな会場ですし、集まった人も多いのですが、お話の間中、
皆がワイワイワイと大声で喋っているものですから、
全然講演を聞くことができないのです。
いや、これは法ではないと思いました。
法話の時は咳払い一つしてもならないと
お釈迦様の仏典の中に載っております。

ところが、前の演壇で大きなマイクを通して
話しておられるのですけれど、
話しの内容は全然聞くことができませんでした。
だから講演も、人の心を打たないような話しは真理ではないのです。
何故かというと、それは知識として話しをされるから
人の心の中に入ることなく、
皆がワイワイ話したり、居眠りしたりすることになるのです。
ただ、人の集まりだけのことになってしまうわけですね。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御垂訓」

2022-11-04 00:19:25 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
     恩師のご著書「講演集」より


         講演集、 二

   東京・沖縄の旅にこと寄せて――幸せになる為には

先の続き・・・

もう十年前のことですが、四国へお話に行きますと、ヘソ曲がりの方が、
「こりゃ一体何の話しや」とおっしゃるのです。
しかも見ると、サントリーのボトルを持ってきまして、酒を飲みながら私に
質問しますので、「この場所は酒を飲んで集まる場所ではありません。
あなたはどうぞ酒を飲んでいない時に来て下さい」と言ったのですが、
聞かないのです。
「ここ、何する場所や」と言うので、
「幸せになる場所です。人はすべて幸せを求めております」と答えると、
「いや、わしゃ幸せなんか要らんのや」と言っています。
「では、あなたのおヘソは大分曲がっています」と言いました。

その人はウイスキーを飲みながら法の話しを肴にしているわけです。
誰も追い出しなさいとも、外に出なさいとも言わないのに、私が話していますと、
その人の周りにおられた方が五、六人寄ってこられて、
その人の手や足を掴んでサーッと表に放り出されました。
誰か知らないけど寄って皆でかかえて放ってきたのです(笑い)。
お釈迦様がお説法なさった時は、
聴衆の中で咳払い一つしても周りの者が制したというほど真剣なものであったのです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御垂訓」

2022-11-02 23:57:53 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        恩師のご著書「講演集」より


            講演集、 二

     東京・沖縄の旅にこと寄せて――幸せになる為には

先の続き・・・

陰口を言ってごらんなさい、即、自分に返ってきます。
中には、こんなことを言えば喧嘩になるだろうなあと楽しんで、
告げ口する人があります。
自分が言いながら、相手の方がうっかり相槌を打つと、
「あの人はこの間このように言っていましたよ」と、
言いふらす人もありますね。
争いを起こさせる心は悪魔の心です。
そして神への冒瀆であり、神へ挑戦をしているのですから、
そんな人は幸せになれるはずはありません。
簡単なことです。

人さまを褒めたらいいのです。
その人の良いところを見付けて褒めればいいのです。
良い所以外は一切見えないようにすれば
今度は自分が褒められます。
幸せを求めていない人は、この世に一人もありません。
「いや、私は不幸でいいのです」という人は
大分おヘソが曲がっております。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御垂訓」

2022-11-02 03:07:57 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
    恩師のご著書「講演集」より


            講演集、 二

     東京・沖縄の旅にこと寄せて――幸せになる為には

先の続き・・・

ところが、
私たちは人の素晴らしい面を見落として汚い面を見ようとします。
見落とすのではなく、
人の素晴らしいところを貶しにかかる人が多いのです。
立派な行いをされる方がありますと、
「いや、あんなのはだめだ、だめだ」と言って、
その方の素晴らしいところを消しているのです。

神社仏閣にお参りして、
「神よ、神よ、どうぞ福をお与え下さい」と言って祈っても、
神様が福を下さるはずがありません。
自分は神を冒瀆しているのですから。
家の中で喧嘩し合いましたら、これも又神への冒瀆です。
或いは人と喧嘩し、人と争い事をしても神を冒瀆しています。
又、人の陰口を言ったり悪く言ったりするのも、
それは人さまのことと思うから言えるのです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御垂訓」

2022-11-01 00:08:58 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
  恩師のご著書「講演集」より


            講演集、 二

     東京・沖縄の旅にこと寄せて――幸せになる為には

先の続き・・・

神を遠くに求めても、
姿を見ることはできないものです。
どこにおられるか分からない神様を
教会に行って讃美しなさいとか、
或いは祈りなさいとか、
見えない神に懺悔しなさいとか言いますけれど、
この一人一人見える皆様こそ神の御子です。
また自然界のすべては神の御姿です。
神を賛美するのだったら、
人々を讃美して良きところを褒め称えることです。
しかも自分の隣人の良きところを褒め称えることです。
「あの人はこんな素晴らしいところを持っておられます」と言って、
褒めて下さい。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする