浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

我れ食べず人に施す母の愛
幼き我に布施教えらる

ご報告

2024-11-15 16:08:19 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

※ ご報告

ブログ名:垂訓 URL:http://blog.goo.ne.jp/hanatenzen 
当ブログの開設日より現在までのトータル訪問者数、

並びにトータル閲覧回数をご報告申し上げます。


開設日:(2008-11-11)から本日現在(2024-11-14)
までの5,848-195=5,653日間で:
(不可抗力で投稿できなかった日数を195日として計算しています)


トータル訪問者数:613,930名     一日平均:109名
トータル閲覧回数:1,505,675回    一日平均:266回


沢山の皆様の当ブログへの訪問ならびに閲覧ありがとうございました。

恩師「長尾弘」先生も天上界で大変喜んでおられることとご推察致します。
及ばずながら、小生も皆さまのご健康とご多幸をお祈りさせていただきながら、

日々当ブログの更新・管理をさせて頂いております。
今後とも宜しくお願い致します。
ありがとうございました。


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「垂訓」

2024-11-15 00:03:00 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「思いの中に生きる」より

    「先祖供養」について(その1)


ある宗教はご先祖様を大事にすることを

強調しています。
これはいいことですね。
ところが、仏壇の中へご先祖様の

とまっていただく位牌、先祖様のとまり木を
作らなければならないといっています。
これはご先祖供養の本当の意味が

理解されていないのです。
もし、私たちがこの世を去りまして、

仏壇の中の位牌のような所へ

とまってしまいますと、
成仏はできません。


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「垂訓」

2024-11-14 00:41:37 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

  恩師のご著書「思いの中に生きる」より

      「結構の源やん」


先の続き・・・

こんなに毎日しとしとと分けて

よう降らしてくれはったもんや」

と言って喜ばれたそうです。
世間の人は皆「かなわんなあ、

かなわんなあ」と言っているのに、
そのお方はさすがに「何と結構やなァ」と

言われたといいます。
やがて、その方は東大阪一番の

結構な人になられたそうです。
ものすごい結構な結構な、

まあ大金持ちになられたそうです。
大阪で有名な話です。


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「垂訓」

2024-11-13 00:16:03 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

  恩師のご著書「思いの中に生きる」より

       「結構の源やん」


先の続き・・・

「結構、結構やないか」というのは、

「有難いやないか」ということです。
「ああ結構やないか」。

「これだけ雨が降るのに何が結構や」

と聞きますと、
「お前らよう考えてみい。
これだけ毎日毎日降る雨を、

もし神さんが天で受けてくれはって、
そしていっぱいたまった三十日分を

バーッと一遍にぶっちゃけてくれはったら、
家も畑も田圃もみな流れてしまう。


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「垂訓」

2024-11-11 23:56:41 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「思いの中に生きる」より

   「結構の源やん」


先の続き・・・

一回何て言うか聞きに行こうか」

と言って、源やんの家に行ったそうです。
「源やん居てるかーッ」と言って行ったら、

「ハーイ」と出て来られたそうです。
「かなわんなァ、こんだけ降ったら」

と言いますと、その源やんが
「ああ結構やないか」

とおっしゃったそうです。


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「垂訓」

2024-11-11 00:08:20 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「思いの中に生きる」より

      「結構の源やん」

先の続き・・・

で、ある年、毎日毎日雨が降り続いたそうです。
一カ月ほども降ったそうです。
その時代、「土方殺すに刃物は要らぬ。

雨の三日も降ればよい」といって、
三日間仕事ができなければ、

もう日雇いの人は

食べられないような状態だったのです。
源やんの友だちの人たちが、

「さすがにあの結構の源やんも

これだけ雨が降ったら、
もう結構ってよう言わんやろなァ。


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「垂訓」

2024-11-10 00:00:57 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「思いの中に生きる」より

     「結構の源やん」


思い替えの方法で一番参考になるのが、

この『結構の源やん』の話しです。
今の東大阪に、名前は「源やん」、

渾名は「結構」という方がおられたそうです。
明治の初期だそうです。
この方はどんなことが起きても

絶対に不足を言われなかった。
何が起きても「アア、結構やないか、

結構やないか」とおっしゃったそうです。
だから、「結構屋さん」とか「

結構の源やん」という名前です。


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「垂訓」

2024-11-08 23:57:30 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      恩師のご著書「思いの中に生きる」より

          「感謝する」とは


先の続き・・・

この「法」とは、そういう真理、

隠された真理が現象に現れるのです。
ですから、思いはこのように持たなくてはならない。
常に他を生かす、あるいは喜び・感謝の心を持つこと。
これを今様の言い方をしますと、

プラス・マイナス、プラス思考あるいはマイナス思考。
常に心はプラス思考、プラスの考えの方に

向けておけばいいのですね。
マイナスの方に向けますと、

やがてすべてがマイナスになってしまいます。


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「垂訓」

2024-11-08 00:00:38 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「思いの中に生きる」より

     「感謝する」とは


先の続き・・・

感謝ということはものすごい功徳が

あるということですね。
この功徳を説きますと、

「ア、そりゃ現世利益や」と、

言われるかも知れませんが、
まあ何と言われようと構いません。
要は幸せになることです。
幸せになれない信仰、幸せに

なれない教えでしたらしない方がましですね。
そんな簡単なところに幸せになる「法」が

ちゃんと与えられていたのです。
それに気付くことができなかった。


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「垂訓」

2024-11-07 00:57:46 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「思いの中に生きる」より

      「感謝する」とは


先の続き・・・

何故かと言いますと、

「肉体の支配者は己の意識なり」と説いていただいています。
自分の肉体を支配するのは、自分の心だということですね。
肉体の支配者は己の心。


その心が「結構や、結構や」と言っておりますと、

支配者が「結構や」と言っているから、
その家来である肉体も結構になっていくのです。
また同時に、今度は環境が結構になります。
環境が結構になるということは、商売は繁盛する、

家の中はうまくいく、
そして人からかわいがってもらえる等です。


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「垂訓」

2024-11-05 23:56:20 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

  恩師のご著書「思いの中に生きる」より

          「感謝する」とは


先の続き・・・

そして、心が「結構や、結構や、ああ結構やないか」

といって結構に満たされておりますと、
その人の感謝を続けた時間だけ

幸せな時間が与えられるということですね。
そして、心が「結構や、結構や、ああ結構やないか」

といって結構に満たされておりますと、
こんどは肉体も結構になっていくのです。
肉体が結構になるということは健康になることです。
病気が消えていきます。


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「垂訓」

2024-11-05 00:20:19 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「思いの中に生きる」より

    「感謝する」とは


先の続き・・・

そして、そういうものを心の中へ

いっぱい詰めてしまいますと、心が重くなります。
ところが感謝しておりますと、

そういう砂が入ってこないのです、自分の中へ。
感謝で心を満たしている限り、

二つを同時に思えませんから、
ただ感謝だけですから、

他のものが入れないのです。
ということは、自分の心が曇る量が

少なくなるのです。
「有難い」「結構や」「何と幸せや」、

そういう思いを常に持ち続けたら
他の想念が入れませんから、
その人の感謝を続けた時間だけ

幸せな時間が与えられるということですね。


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「垂訓」

2024-11-04 00:01:32 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

  恩師のご著書「思いの中に生きる」より

          「感謝する」とは


先の続き・・・

腹立つことも人間の心の苦しみですね。
いつもお話しします『心の砂袋』、

私たちの心の砂袋、その砂袋の材料です。
怒りとか、妬みとか、そしりとか、

愚痴とか、あるいは恨んだり、憎んだり、
いらぬ取越し苦労したり、また不安とか恐怖。

不安・恐怖はあまり楽しくないでしょう。
あれは砂袋の材料です。


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「垂訓」

2024-11-02 23:57:11 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓


 恩師のご著書「思いの中に生きる」より


     「感謝する」とは


先の続き・・・


では、一時間「ああ結構やなあ、結構やなあ」

と言って感謝の念を持ち続けたら、
今日という日の一時間は幸せな

時間が保つわけですね。
じゃあ、もう一日中「結構や、結構や」

と言って暮らしたら、今日という日が、
幸せ以外の思いが入らないから、

幸せだったはずですね。
して、その積み重ね、今日一日

「結構結構」と言って暮らし、また明日も
「結構結構」と言って暮らしますと、

また明日も幸せな一日。
二つを同時に思えないのですから。
この積み重ねが幸せな人生になるはずです。


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「垂訓」

2024-11-02 01:23:45 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「思いの中に生きる」より

      「感謝する」とは


先の続き・・・

ということは、「ああ有難いなあ」、

「有難いなあ、結構やなあ」と思っておりますと、
その思いだけしかできないはずです。
それでは、もし一日のうちの十分間

「ああ有難いなあ、結構やなあ」
「ああ有難いよ」と持続できますと、
この十分間は、他の考えは入れないです。
ということは、今日という日の一日の中で

十分間が心安らかだったのです。


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