第3話 設計パラメータのトレードオフ
2012年新年特別号「文藝春秋」の「日本はどこで間違えたか もう一つの日本は可能だったか」という記事は、30人の識者が、それぞれ戦後処理、経済政策、官僚主導など具体例を挙げ、持論を語っており読み応えがあったが、そこで感じたことは、まさに藤井清孝氏の指摘「本質的にトレードオフになる論点を議論せず、いいとこ取りをした聞き心地の良い言葉を信じるような風潮」が近代日本の歴史の多くの重要な場面に当てはまってしまうということだった。
しかし、これは日本文化の根底にあり、美徳とも言えるようなことでもあり、一般社会では良いとされることが少なくない。これが日本社会から消えることはなかなか考えにくいのだが、世界を相手に競争をする場合には、これだけではやってはいけない。技術が優れている、品質が良い、サービスが良いなどといううたい文句だけでは間違いなく負けてしまう。
「トレードオフ」と云う題名の本がプレジデント社から発行されている。著者は、Kevin Maney,翻訳者は有賀裕子で2010年に出版されている。前者の記事とは観点が全く違い、イノベーションの秘訣の様なものの記述に終始している。勿論、失敗例も列挙されているが、原因の多くをトレードオフ判断の間違えか、中途半端さにあったと指摘をしている。代表的な文章は、
「卓越した人々は、慎重に考え抜いたうえで難しい選択をする勇気を持ち合わせているうえ、「何もかもできる」という錯覚に陥ることなく、自分が抜きんでる可能性のある分野にだけ力を注ぐのだ。(中略)その概念とは、「心を鬼にして上質さと手軽さのどちらかひとつに賭けようとする者は、煮え切らない者よりも大きな成果を手にする」というものだ。」
明暗を分ける者は、トレードオフにおける選択の適否にあり、と断言をしている。
ジェットエンジンの新機種の設計に際しても、まずここが検討のポイントとなった。使用者、すなわちエアラインにとってのライフサイクルにおける総コストが「設計のトレードオフ」との関連で定量的に明示され、その上で評価されたものでなくては厳しい勝負に勝つことはできない、との概念である。
かつてジェットエンジンの新機種の設計を開始する時点で、市場開発部門と設計部門が協力し、エアラインの直接運航費(DOC : Direct Operating Cost)に関するデータを基に以下のような表を作成した。
この表を使って基本設計の方針や大きな設計変更などについて検討し、判断を下すわけである。
この表の項目でエアラインが最も興味を示すのは、燃料消費率(TSFC=Thrust Specific Fuel Consumption)である。
http://en.wikipedia.org/wiki/Components_of_jet_engines
圧縮機やタービンの効率を上げれば燃料消費率は下げられるが、そうすると圧縮機やタービンの段数を増やさなければならないなどでエンジン重量が増加してしまう。そして、それだけ搭載許容重量・乗客数が減少してしまう。またエンジン重量を抑えるために特殊材料を多用すれば、エンジン原価が上がり、それはエアラインの直接運航費(DOC)を引き上げてしまうことにつながる。
そうした関係を定量的に示したのが先の表で、これによって燃料消費率を1%引き下げるためにXXXポンドまでの重量増は許されるが、それ以上の重量増は直接運航費(DOC)を引き上げてしまい、本末転倒となる。軽量化のため特殊材料を用いると、今度は製造コストが上がってしまう。燃料消費率を1%引き下げのためにX.XX×104ドルまでのコスト増は許されるが、それ以上のコスト増となると、直接運航費(DOC)を引き上げてしまい、意味がなくなる。こういったことが分かる。
実際には、重量増加とコスト増加を組み合わせによって燃料消費率向上を実現させている。そして、それをどのような組み合わせにするのかの設計変更の方針が決められる。このようにエアラインの直接運航費(DOC)の観点から「設計のトレードオフ」が行われるのである。
さて、このような定量的な判断基準はどのような背景から実現が可能であろうか。通常のエンジニアの専門知識だけでは、不充分であることは自明であるが、同時にエンジニアでなければ定量化できない数値である。エアラインがその機種の入手からはじまり、長期間の運用中にどのようなことが起こるのか、最後に中古機市場に売却するときはどうであろうか、といった事柄を知らなければならない。このようなことは、経済学ばかりではなく、広く社会科学にまで及ぶので、一般的にはLiberal Artsと呼ぶことができるであろう。そこでは、Liberal ArtsとEngineeringの合体(LA&E)が求められるわけである。
2012年新年特別号「文藝春秋」の「日本はどこで間違えたか もう一つの日本は可能だったか」という記事は、30人の識者が、それぞれ戦後処理、経済政策、官僚主導など具体例を挙げ、持論を語っており読み応えがあったが、そこで感じたことは、まさに藤井清孝氏の指摘「本質的にトレードオフになる論点を議論せず、いいとこ取りをした聞き心地の良い言葉を信じるような風潮」が近代日本の歴史の多くの重要な場面に当てはまってしまうということだった。
しかし、これは日本文化の根底にあり、美徳とも言えるようなことでもあり、一般社会では良いとされることが少なくない。これが日本社会から消えることはなかなか考えにくいのだが、世界を相手に競争をする場合には、これだけではやってはいけない。技術が優れている、品質が良い、サービスが良いなどといううたい文句だけでは間違いなく負けてしまう。
「トレードオフ」と云う題名の本がプレジデント社から発行されている。著者は、Kevin Maney,翻訳者は有賀裕子で2010年に出版されている。前者の記事とは観点が全く違い、イノベーションの秘訣の様なものの記述に終始している。勿論、失敗例も列挙されているが、原因の多くをトレードオフ判断の間違えか、中途半端さにあったと指摘をしている。代表的な文章は、
「卓越した人々は、慎重に考え抜いたうえで難しい選択をする勇気を持ち合わせているうえ、「何もかもできる」という錯覚に陥ることなく、自分が抜きんでる可能性のある分野にだけ力を注ぐのだ。(中略)その概念とは、「心を鬼にして上質さと手軽さのどちらかひとつに賭けようとする者は、煮え切らない者よりも大きな成果を手にする」というものだ。」
明暗を分ける者は、トレードオフにおける選択の適否にあり、と断言をしている。
ジェットエンジンの新機種の設計に際しても、まずここが検討のポイントとなった。使用者、すなわちエアラインにとってのライフサイクルにおける総コストが「設計のトレードオフ」との関連で定量的に明示され、その上で評価されたものでなくては厳しい勝負に勝つことはできない、との概念である。
かつてジェットエンジンの新機種の設計を開始する時点で、市場開発部門と設計部門が協力し、エアラインの直接運航費(DOC : Direct Operating Cost)に関するデータを基に以下のような表を作成した。
この表を使って基本設計の方針や大きな設計変更などについて検討し、判断を下すわけである。
この表の項目でエアラインが最も興味を示すのは、燃料消費率(TSFC=Thrust Specific Fuel Consumption)である。
http://en.wikipedia.org/wiki/Components_of_jet_engines
圧縮機やタービンの効率を上げれば燃料消費率は下げられるが、そうすると圧縮機やタービンの段数を増やさなければならないなどでエンジン重量が増加してしまう。そして、それだけ搭載許容重量・乗客数が減少してしまう。またエンジン重量を抑えるために特殊材料を多用すれば、エンジン原価が上がり、それはエアラインの直接運航費(DOC)を引き上げてしまうことにつながる。
そうした関係を定量的に示したのが先の表で、これによって燃料消費率を1%引き下げるためにXXXポンドまでの重量増は許されるが、それ以上の重量増は直接運航費(DOC)を引き上げてしまい、本末転倒となる。軽量化のため特殊材料を用いると、今度は製造コストが上がってしまう。燃料消費率を1%引き下げのためにX.XX×104ドルまでのコスト増は許されるが、それ以上のコスト増となると、直接運航費(DOC)を引き上げてしまい、意味がなくなる。こういったことが分かる。
実際には、重量増加とコスト増加を組み合わせによって燃料消費率向上を実現させている。そして、それをどのような組み合わせにするのかの設計変更の方針が決められる。このようにエアラインの直接運航費(DOC)の観点から「設計のトレードオフ」が行われるのである。
さて、このような定量的な判断基準はどのような背景から実現が可能であろうか。通常のエンジニアの専門知識だけでは、不充分であることは自明であるが、同時にエンジニアでなければ定量化できない数値である。エアラインがその機種の入手からはじまり、長期間の運用中にどのようなことが起こるのか、最後に中古機市場に売却するときはどうであろうか、といった事柄を知らなければならない。このようなことは、経済学ばかりではなく、広く社会科学にまで及ぶので、一般的にはLiberal Artsと呼ぶことができるであろう。そこでは、Liberal ArtsとEngineeringの合体(LA&E)が求められるわけである。
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