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その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアの眼(167)ポスト資本主義社会と知識のあり方(ドラッカーの教え 06)

2020年02月19日 14時44分44秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼(167)
TITLE: ポスト資本主義社会と知識のあり方(ドラッカーの教え 06)
書籍名;「ポスト資本主義社会」[1993] 
著者;P.F.ドラッカー
発行所;ダイヤモンド社  本の所在;蔵書
発行日;1993.7.22
初回作成年月日;H28.11.18  最終改定日;R2.2.18 
引用先;文化の文明化のプロセス  Implementing


この著書は、企業の進化の研究の際の参考です。『』内は引用部分です。

 副題は「21世紀の組織と人間はどう変わるか」で、この書はもはや古典的と言われるかもしれない。しかし、発行から30年近くたっても、中身は今も日本の凋落状態に当てはまっているように思える。それは、日本におけるImplementingのスピードに問題があるようだ。
 
 「日本語への序文」には、多くの指摘事項が書かれているが、どれも時代遅れのものとしていて、新たな時代のニーズには答えられないであろうと言っている。それらは、大学が「学歴の高い人たちの継続学習のための機関」になっていない、大企業が「主に1920年代にルーツを持つ産業である」、組織が「階層的なトップダウンによる指揮命令型の組織構造を範とする」ままになっている、などである。組織は、「大規模組織の原型たる19世紀の軍隊」から「指揮者すらいない小編成のジャズ・バンドに似たようなものになる」べきとしている。(pp.2-3)
 また、グローバル時代の前触れとも言うべき、ヨーロッパのEUや、アメリカ大陸における北米自由貿易協定のような、地域協定がない。巨大市場である中国との関係が不明確だとしている。(pp.4)

 彼は、「過去の転換期」を13世紀(この時はイスラムルネッサンス時代)以降、200年ごとに社会の大転換が起こっており、今回は1960年頃からのコンピューター社会としての転換期としている(pp.22-23)
 ポスト資本主義社会の全体像はまだ見えないが、「価値、信条、社会構造、経済構造、政治概念、世界観」などは大きく変わるであろう。それらの課題は見えつつある。(pp. 25)

ポスト資本主義社会は、非資本主義社会ではない。資本主義の主要機関は生き残るが、「社会の重心、社会の構造、社会の力学、経済の力学、社会の階層」が大きく変わるであろう。(pp.31)

 この時の経済的な課題は、「知識労働と知識労働者の生産性の問題である」と断言をしている。(pp.32)
この、もっとも基本的かつ最大の課題が、日本ではこの半世紀以上にわたって、全く実行されていない。しかし、日本でも同じ指摘だけは常に叫ばれ続けている。私は、その原因の一つは「拙速」という言葉にあるように思っている。何事においても、改革に対しては「拙速」という言葉が付きまとう。改善を積み重ねれば、それでよいとの文化が強すぎる。

この書の構成は、第1部「社会」、第2部「政治」、第3部「知識」になっている。つまり、全ては知識のあり方と、使い方の問題になってくる。だから、「知識社会」なのだ。


 「知識の意味の変化」の項では、次のことを述べている。
 『知識は資源となり、実用となった。知識はつねに私的な財だった。それが一夜にして、公的な財になった。最初の段階として、100年間にわたって、知識は「道具」、「工程」、「製品」に適用された。そして「産業革命」がもたらされた。』(pp.50)
 次に、19世紀前後に、『知識は装いを新たにし、「仕事」に適用された。この結果、「生産革命」がもたらされた。』(pp.50)
 そして現代は、「知識は、資本と労働をさしおいて、最大の生産要素」となって、「マネジメント革命」を起こしている。
 
 このようなことが二十数年前に断言されているのだが、「知識を、資本と労働をさしおいて、最大の生産要素とする」というImplementingは、大部分の企業でようとして進んでいないように見受けられる。そして、著者は、日本におけるその原因は、高等教育と大組織の在り方が問題だと断言をしている。
 私は、1979年から1990年の間に、RR社、P&W社、GE社と次々にエンジンの共同開発プロジェクトを共にして、この感覚を大いに味わった。当時の彼らの会社は、組織も教育も、知識を中心に考えられて動いていた。それは、様々なランクの秘書嬢の人事制度にまで及んでいた。

知識の「意味と機能」は、ソクラテスやプラトンの時代の自己認識、一般教養から、「行為能力」になった。(pp.61-62)
「知識」を仕事に適用すると、生産性はぐんぐん上がる。つまり、これがトヨタの考え方の基本だった。それが、彼のいう「マネジメント革命」のようだ。彼はそれを「知識の知識への適用」と言っている。(pp.87)そして、マネジメントは企業に限定されない、あらゆる分野で有効に働く。つまり、『経営管理者とは、正しくは、「知識の適用と、知識の働きに責任を持つ者」と定義されなければならない。』(pp.91)

 組織の章では、彼が云う3つのチーム形式の説明がある。(pp.158-160)
野球型、サッカー型、テニスのダブルス型である。ダブルス型が最強で、少人数でポジションは固定しておらずに、互いの領域をカバーしつつ、強みと弱みを即時調整することができる。

 「知識」については、「知識を応用する努力」、「知識を道具として使う」、「知識を結合させる」、「知識の結合について学ぶ」などが挙げられている。 (pp.316-318)

 最後に「教育」と「学校」についての諸論を述べている。最も重視しているのは、知識を役立てる(つまり、生産物にする)ための方法論で、そのための「過程、概念、分析、技能」が学ばれなければならないとしている。(pp336)
 ポスト資本主義は、資本主義の発展型であり、それは知識の価値が著しく向上することによる大変革であり、日本は、部分的な単なる改善の積み重ねに留まっていては、永遠に達成できない。 


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