地震考古学
書籍名;「地震考古学から考える21世紀の巨大地震」[2020]
著者;寒川 旭 発行所;中央公論
発行日;2020.3月号.
初回作成日;2021.10.13 最終改定日;
引用先;様々なメタ
「地震考古学」は、1998年に誕生したが、2011年の兵庫県南部地震で普及が始まった。考古学の遺跡で地震の痕跡を調べるのが主だが、平安時代以降の文献(貴族の日記等)との併用により、より詳しい具体的な被害状況が分かる。
東日本大震災時に「想定外」という言葉が乱立した。しかし、著者は、『これは間違えである。なぜなら、同じ様な地震が869年に起きていたからである。よって正しくは、1142年前のような地震が、また起きたというべきであろう。』(p.62)と明言をしている。これは、貞観地震と呼ばれて、仙台平野では少なくとも4km津波が内陸に遡上した記録がある。
兵庫県南部地震については、この地域の野島断層は2000年程度の間隔で活動を繰り返すことが分かっているのだが、1596年の慶長伏見地震では連動しなかった。もし、この時に連動していれば、兵庫県南部地震は起きなかった。
869年の貞観地震の18年後の887年に南海トラフ全体で巨大地震がおきたという記録がある。単純に計算すれば、2011年から18年後は2029年である。南海トラフ地震発生の地震考古学からの推測になっている。
9世紀中ごろに起きた日本全国の12か所の地震分布図が示されているが、この図と2000年前後に発生した、日本全国の比較的大きい14か所の地震の分布図は、奇しくも一致している。
純科学的な地震予知会議が、地震予知をあきらめたように伝えられているが、地震考古学との融合(連携ではなく、結合して一つの結論を導く)がなされれば、より分かり易い情報が伝えられるのではないだろうか。
エンジニアの世界では、異分野との融合がなされなければ、何も新たなものを生むことはできない。しかし、学問の世界は融合せずに、専門を深めるだけで新たな学説を生む(つまり、論文発表ができる)ことになる。そのことが、人類の文明を危うくするように思えてならない。
書籍名;「地震考古学から考える21世紀の巨大地震」[2020]
著者;寒川 旭 発行所;中央公論
発行日;2020.3月号.
初回作成日;2021.10.13 最終改定日;
引用先;様々なメタ
「地震考古学」は、1998年に誕生したが、2011年の兵庫県南部地震で普及が始まった。考古学の遺跡で地震の痕跡を調べるのが主だが、平安時代以降の文献(貴族の日記等)との併用により、より詳しい具体的な被害状況が分かる。
東日本大震災時に「想定外」という言葉が乱立した。しかし、著者は、『これは間違えである。なぜなら、同じ様な地震が869年に起きていたからである。よって正しくは、1142年前のような地震が、また起きたというべきであろう。』(p.62)と明言をしている。これは、貞観地震と呼ばれて、仙台平野では少なくとも4km津波が内陸に遡上した記録がある。
兵庫県南部地震については、この地域の野島断層は2000年程度の間隔で活動を繰り返すことが分かっているのだが、1596年の慶長伏見地震では連動しなかった。もし、この時に連動していれば、兵庫県南部地震は起きなかった。
869年の貞観地震の18年後の887年に南海トラフ全体で巨大地震がおきたという記録がある。単純に計算すれば、2011年から18年後は2029年である。南海トラフ地震発生の地震考古学からの推測になっている。
9世紀中ごろに起きた日本全国の12か所の地震分布図が示されているが、この図と2000年前後に発生した、日本全国の比較的大きい14か所の地震の分布図は、奇しくも一致している。
純科学的な地震予知会議が、地震予知をあきらめたように伝えられているが、地震考古学との融合(連携ではなく、結合して一つの結論を導く)がなされれば、より分かり易い情報が伝えられるのではないだろうか。
エンジニアの世界では、異分野との融合がなされなければ、何も新たなものを生むことはできない。しかし、学問の世界は融合せずに、専門を深めるだけで新たな学説を生む(つまり、論文発表ができる)ことになる。そのことが、人類の文明を危うくするように思えてならない。
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