メタエンジニアの眼シリーズ(119)
TITLE: 「カール・セーガン科学と悪霊を語る」
書籍名;「カール・セーガン科学と悪霊を語る」 [1997]
著者;カール・セーガン 発行所;新潮社
発行日;1997.9.20
初回作成日;H31.3.28最終改定日;H31.3
引用先;文化の文明化のプロセス Exploring
このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。
現代日本ではあまり有名ではないようだが、Carl Edward Sagan(1934年-1996年)は、アメリカの天文学者、作家、SF作家、元コーネル大学教授、同大学惑星研究所所長で、惑星探査や地球外生命体への通信の第1人者だった。
そのこは、Wikipediaには次のように記されている。
『セーガンは太陽系を解明するために打ち上げられた無人惑星探査機計画の大半に参与した。セーガンは、地球外の知的生命によって発見されれば解読されることを前提に、変形しない普遍的なメッセージを太陽系外に飛んで行く探査機に搭載することを考案した。その最初の試みがパイオニア探査機の金属板であった。セーガンはそのデザインをフランク・ドレイクらとの共同で改訂し続け、その集大成が、彼が鋳造に加わったボイジャーのゴールデンレコードで、ボイジャー1号とボイジャー2号に積まれた。火星探査機マーズ・パスファインダーの着陸地点は彼にちなんで「カール・セーガン基地」と名付けられた。』
この著書の帯には次のように書かれている。『宇宙物理学者からの最後のメッセージ! 人はなぜ似非科学に棚されるのか。』著者は、この本の翻訳中に若くして亡くなった。まさに、「最後のメッセージ」なのだ。なぜこれが、最後のメッセージなのかは、彼の生涯の記録を辿ってようやくわかったように思う。
原書の題名は、「the Demon-haunted world, Science as a candle in the dark」なんと科学はひ弱なことか。
全部で、438ページの大著で、しかも本文はすべて2段抜きになっている。
「はじめに」には、彼の成長の過程が、父親とその時々の先生の人物像から語られている。知識の詰込み教育に辟易していた。そして、
『シカゴ大学時代でもうーつ幸運だったのは、ロバート・M・ハブンズが考案した一般教育プログラムを受けたことである。このプログラムでは、人間がこれまで営々と織り上げてきた知識という貴重な織物のことが語られ、その織物の重要な一部として科学が提示されていた。向上心に燃える物理学者が、プラトンやアリストテレス、バッハ、シェイクスピア、ギボン、マリノフスキー、フロイトも知らないのは(ここに挙げたのはほんの一部だが)、とんでもないこととされていたのだ。
科学の入門講座では、太陽が地球のまわりを回っているというプトレマイオスの宇宙観が、きわめて説得力のある形で提示された。そのため学生のなかには、どうしてコペルニクスに肩入れするのかを考え直しはじめた者もいたほどだった。ハチンズのカリキュラムでは、教師のステータスは研究内容とはほとんど関係がなかった。今日のアメリカの大学の標準とはちがって、教師たちは、次の世代にどれだけのことを教えられるか、次の世代をどれだけ鼓舞できるかによって評価されていたのだ。』(pp.9)
第1章は、「いちばん貴重なもの」として、アインシュタインの言葉が引用されている。
『現実の世界にくらべれば、科学などはごく素朴で他愛のないものでしかない―それでもやはり、われわれが持てるものの中でいちばん貴重なものなのだ。』(pp.18)
この章では、ありとあらゆる歴史とその時代の科学が紹介されている。彼は、超博学の様だ。そして、本題に移る。
『似非科学は、誤りを含んだ科学とはまったく別のものである。それどころか、科学には誤りがつきものなのだ。その誤りをーつずつ取り除き、乗り越えてゆくのが科学なのである。誤った結論は毎度のように引き出されるけれども、それはあくまでも暫定的な結論でしかない。科学における仮説は、必ず反証可能なようにできている。次々と打ち立てられる新たな仮説は、実験と観察によって検証されることになるのだ。科学は、さらなる知識を得るために、手探りしつつよろめきながら進んでいく。もちろん、自分が出した仮説が反証されれば嬉しいことはないけれども、反証が挙がることこそは、科学的精神の真骨頂なのである。
これと正反対なのが似非科学だ。似非科学の仮説は、どんな実験をしても決して反証できないように仕立てられている。つまり、原理的にさえ反証できないのだ。似非科学をやっている連中はなかなか用心深いので、懐疑的に調べようとしても妨害されてしまう。そして、似非科学の出した仮説を科学者が支持しなかったりすると、なんとかごまかす策謀がひねりだされるのだ。』(pp.37)
科学の歴史を古代ギリシャから辿れば、この結論は至極当然のこと。
以下は、様々な分野でのいわゆる「トンデモ話」が紹介されている。特に、空飛ぶ円盤や、宇宙人との邂逅、心霊現象、魔女裁判などについては、しつこいほどに詳細に語られ、反証を試みている。しかし、先に記されたように、世間一般には彼の反証でも完全ではない。
ここまで読んで、ほぼ半分なのだが、彼がなぜこれほどに、このような内容を最後のメッセージとして選んだかを疑問に思い、彼のもっとも有名な著書
「コンタクト」をあたってみることにした。新潮文庫で上下二巻になっているので、長編だった。
これは、全くの小説でテレビドラマにもなったらしい。若い女性天文学者が26光年先の惑星からの電波を受信する。その電波は、素数の連続だったが、諸国の専門家により、テレビ画像が隠されていることが発見される。それは52年前のベルリンオリンピックのヒットラーの演説だった。
これで、知的生命体からの通信であるとの確信を悟り、更にその奥に宇宙船の設計図が隠されていることにたどり着く。世界中の賛否両論の中で、各国が製造を始める。日本チームのみが完成に成功し、彼女以下数名が乗り込んで、旅が始まる。銀河系のほぼ中央まで到達し、宇宙の文明の進化と秩序を知るが、地球に還ると誰も信じてもらえなかった。
話は、彼の専門知識が散りばめられていて、非常に面白い科学小説になっている。
彼は、このような小説を何部も発行しているが、同時にNASAなどの責任者として惑星探査も成功させている。つまり、読者は、どこまでは科学でどこからが小説なのか、混乱をしてしまうというわけだった。そこで、その区別を明確にしようとの試みが、この著書のように思えた。
様々な似非科学を語り終えた後で、今度は科学者批判が始まる。第16章「科学者が罪を知るとき」だ。
『J・ロバート・オッペンハイマーは、マンハッタン計画の科学部門を率いた理論物理学者である。戦後、ハリー・トルーマン大統領と会談したとき、オッペンハイマーは沈痛な面持ちでこう語ったと伝えられている。「科学者の手は血にまみれてしまいました。いまや科学者は罪を知ったのです」。のちにトルーマンは側近に向かって、オッペンハイマーにはニ度と会いたくないと言ったそうである。科学者は、悪いことをしたために非難されることもあれば、科学が悪用されることに警鐘を鳴らしたがために非難されることもあるのだ。
しかし、それよりもさらに多いのは、科学や科学の産物であるテクノロジーは道徳的にうさんくさいとして非難されるケースだろう。つまり科学やテクノロジーは、良いことだけでなく悪いことにも使えるから悪いというのである。こういう非難には長い歴史があって、おそらくは、石を割って道具を作ったり、火を使いはじめたりしたころにまでさかのぼるだろう。テクノロジーは、人間が人間になる前の祖先の時代からわれわれと共にあった。人間という種は、テクノロジーとは切っても切れない仲なのだ。だとすれば、これは科学というよりも、むしろ人間の本性にかかわる問題というべきだろう。しかしこう言ったからといって、私はなにも、科学の産物が悪用されても科学には責任がない、などと言うつもりはない。それどころか科学には重い責任があるのだ。そして、テクノロジーが強大になればなるほど、その責任もますます重くなるのである。』(pp.283)
ここからは、私流にはハイデガーの技術論世界になる。
『もちろん、人間とテクノロジーとの関係は昨日今日のものではないし、新しいテクノロジーの開発はいつの時代にも行われてきたことだ。しかし、人間の弱点は昔も今も変わらないのに、一方のテクノロジーは今や空前の破壊力、まさに地球規模の破壊力をもつに至っている。そんな時代には、人間の方にも何かこれまで以上のものが求められるべきだろう。つまりわれわれは、空前のスケール―すなわち地球規模のスケールで、新たな倫理を打ち立てなければならないのである。』(pp.284)
これは、至極当然のことなのだが、私は「新たな倫理」で片付くような問題ではないと断言したい。人間の本性、つまり、ヒト族が人間たる所以がそこにあるのだと思う。現代文明において、テクノロジーのあくなき追及を倫理の力では止めることはできない。
このことについては、高校生や学生の忌憚のない意見が原文のまま紹介されている。その数も、数十に達している。例えば、『よその国みたいに賢こくないのは、かえっていいかもしれないと思います。どうしてかというと、私たちは製品を輸入すればよくて、そういう部品を作ることばかりお金を使わなくて済むからです。』(pp.336)
翻訳者の理学博士青木薫氏は、「あとがき」にこのように書いている。
『私がセーガン博士のはじめてのベストセラー「コスモス」を読んだのは、まだ物理の大学院生のころだった。(中略)
一般には、 多数の著作によって科学の啓蒙家として知られているようだが、何よりもまず、第一線の惑星科学者であった。
だからこそ、「核の冬」を警告するなど、社会的にも大きな影響力を持つことができたのだ。博士にはまだまだやりのこしたことがたくさんあったはずである。早すぎる死であった。
晴れた晩に空を見上げれば、赤い惑星、火星が見える。私がこれを書いている今、博士の名を冠した火星の「カール・
セーガン記念基地」では、探査車ソジャーナーがあちこち歩き回って調査を行っている。「ソジャーナー」とは、奴隷の身分に生まれながら、奴隷制廃止と女性の権利のために闘ったソジャーナー・トウルースというアフリカ系アメリカ人女性にちなんだ名である。 この名前を提案したのは、十二歳の少女だという。
「カール・セーガン記念基地」で活躍するソジャーナーの映像に、私は感動せずにはいられない。セーガン博士が全力を注いで伝えようとした夢と希望が、そこにあるような気がするのだ。セーガン博士は、マーズ・パスファインダーの成功を見ることはできなかった。しかし病床の博士には、活躍するソジャーナーの姿がありありと想像できたにちがいない。博士は科学を通して、「人間の希望」を実現しようとし続けた。そうして、その実現をさまたげる差別や不条理とも闘った。科学者としての力量のみならず、人間としての深みと広さをも兼ね備えた人であった。そんなセーガンの名を冠した基地に、ソジャーナーとはまた、なんとふさわしい名前だろう。本書は、そのセーガン博士から私たちへの最後の贈り物なのである。 』(pp.434)
博士のご冥福を祈る。
TITLE: 「カール・セーガン科学と悪霊を語る」
書籍名;「カール・セーガン科学と悪霊を語る」 [1997]
著者;カール・セーガン 発行所;新潮社
発行日;1997.9.20
初回作成日;H31.3.28最終改定日;H31.3
引用先;文化の文明化のプロセス Exploring
このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。
現代日本ではあまり有名ではないようだが、Carl Edward Sagan(1934年-1996年)は、アメリカの天文学者、作家、SF作家、元コーネル大学教授、同大学惑星研究所所長で、惑星探査や地球外生命体への通信の第1人者だった。
そのこは、Wikipediaには次のように記されている。
『セーガンは太陽系を解明するために打ち上げられた無人惑星探査機計画の大半に参与した。セーガンは、地球外の知的生命によって発見されれば解読されることを前提に、変形しない普遍的なメッセージを太陽系外に飛んで行く探査機に搭載することを考案した。その最初の試みがパイオニア探査機の金属板であった。セーガンはそのデザインをフランク・ドレイクらとの共同で改訂し続け、その集大成が、彼が鋳造に加わったボイジャーのゴールデンレコードで、ボイジャー1号とボイジャー2号に積まれた。火星探査機マーズ・パスファインダーの着陸地点は彼にちなんで「カール・セーガン基地」と名付けられた。』
この著書の帯には次のように書かれている。『宇宙物理学者からの最後のメッセージ! 人はなぜ似非科学に棚されるのか。』著者は、この本の翻訳中に若くして亡くなった。まさに、「最後のメッセージ」なのだ。なぜこれが、最後のメッセージなのかは、彼の生涯の記録を辿ってようやくわかったように思う。
原書の題名は、「the Demon-haunted world, Science as a candle in the dark」なんと科学はひ弱なことか。
全部で、438ページの大著で、しかも本文はすべて2段抜きになっている。
「はじめに」には、彼の成長の過程が、父親とその時々の先生の人物像から語られている。知識の詰込み教育に辟易していた。そして、
『シカゴ大学時代でもうーつ幸運だったのは、ロバート・M・ハブンズが考案した一般教育プログラムを受けたことである。このプログラムでは、人間がこれまで営々と織り上げてきた知識という貴重な織物のことが語られ、その織物の重要な一部として科学が提示されていた。向上心に燃える物理学者が、プラトンやアリストテレス、バッハ、シェイクスピア、ギボン、マリノフスキー、フロイトも知らないのは(ここに挙げたのはほんの一部だが)、とんでもないこととされていたのだ。
科学の入門講座では、太陽が地球のまわりを回っているというプトレマイオスの宇宙観が、きわめて説得力のある形で提示された。そのため学生のなかには、どうしてコペルニクスに肩入れするのかを考え直しはじめた者もいたほどだった。ハチンズのカリキュラムでは、教師のステータスは研究内容とはほとんど関係がなかった。今日のアメリカの大学の標準とはちがって、教師たちは、次の世代にどれだけのことを教えられるか、次の世代をどれだけ鼓舞できるかによって評価されていたのだ。』(pp.9)
第1章は、「いちばん貴重なもの」として、アインシュタインの言葉が引用されている。
『現実の世界にくらべれば、科学などはごく素朴で他愛のないものでしかない―それでもやはり、われわれが持てるものの中でいちばん貴重なものなのだ。』(pp.18)
この章では、ありとあらゆる歴史とその時代の科学が紹介されている。彼は、超博学の様だ。そして、本題に移る。
『似非科学は、誤りを含んだ科学とはまったく別のものである。それどころか、科学には誤りがつきものなのだ。その誤りをーつずつ取り除き、乗り越えてゆくのが科学なのである。誤った結論は毎度のように引き出されるけれども、それはあくまでも暫定的な結論でしかない。科学における仮説は、必ず反証可能なようにできている。次々と打ち立てられる新たな仮説は、実験と観察によって検証されることになるのだ。科学は、さらなる知識を得るために、手探りしつつよろめきながら進んでいく。もちろん、自分が出した仮説が反証されれば嬉しいことはないけれども、反証が挙がることこそは、科学的精神の真骨頂なのである。
これと正反対なのが似非科学だ。似非科学の仮説は、どんな実験をしても決して反証できないように仕立てられている。つまり、原理的にさえ反証できないのだ。似非科学をやっている連中はなかなか用心深いので、懐疑的に調べようとしても妨害されてしまう。そして、似非科学の出した仮説を科学者が支持しなかったりすると、なんとかごまかす策謀がひねりだされるのだ。』(pp.37)
科学の歴史を古代ギリシャから辿れば、この結論は至極当然のこと。
以下は、様々な分野でのいわゆる「トンデモ話」が紹介されている。特に、空飛ぶ円盤や、宇宙人との邂逅、心霊現象、魔女裁判などについては、しつこいほどに詳細に語られ、反証を試みている。しかし、先に記されたように、世間一般には彼の反証でも完全ではない。
ここまで読んで、ほぼ半分なのだが、彼がなぜこれほどに、このような内容を最後のメッセージとして選んだかを疑問に思い、彼のもっとも有名な著書
「コンタクト」をあたってみることにした。新潮文庫で上下二巻になっているので、長編だった。
これは、全くの小説でテレビドラマにもなったらしい。若い女性天文学者が26光年先の惑星からの電波を受信する。その電波は、素数の連続だったが、諸国の専門家により、テレビ画像が隠されていることが発見される。それは52年前のベルリンオリンピックのヒットラーの演説だった。
これで、知的生命体からの通信であるとの確信を悟り、更にその奥に宇宙船の設計図が隠されていることにたどり着く。世界中の賛否両論の中で、各国が製造を始める。日本チームのみが完成に成功し、彼女以下数名が乗り込んで、旅が始まる。銀河系のほぼ中央まで到達し、宇宙の文明の進化と秩序を知るが、地球に還ると誰も信じてもらえなかった。
話は、彼の専門知識が散りばめられていて、非常に面白い科学小説になっている。
彼は、このような小説を何部も発行しているが、同時にNASAなどの責任者として惑星探査も成功させている。つまり、読者は、どこまでは科学でどこからが小説なのか、混乱をしてしまうというわけだった。そこで、その区別を明確にしようとの試みが、この著書のように思えた。
様々な似非科学を語り終えた後で、今度は科学者批判が始まる。第16章「科学者が罪を知るとき」だ。
『J・ロバート・オッペンハイマーは、マンハッタン計画の科学部門を率いた理論物理学者である。戦後、ハリー・トルーマン大統領と会談したとき、オッペンハイマーは沈痛な面持ちでこう語ったと伝えられている。「科学者の手は血にまみれてしまいました。いまや科学者は罪を知ったのです」。のちにトルーマンは側近に向かって、オッペンハイマーにはニ度と会いたくないと言ったそうである。科学者は、悪いことをしたために非難されることもあれば、科学が悪用されることに警鐘を鳴らしたがために非難されることもあるのだ。
しかし、それよりもさらに多いのは、科学や科学の産物であるテクノロジーは道徳的にうさんくさいとして非難されるケースだろう。つまり科学やテクノロジーは、良いことだけでなく悪いことにも使えるから悪いというのである。こういう非難には長い歴史があって、おそらくは、石を割って道具を作ったり、火を使いはじめたりしたころにまでさかのぼるだろう。テクノロジーは、人間が人間になる前の祖先の時代からわれわれと共にあった。人間という種は、テクノロジーとは切っても切れない仲なのだ。だとすれば、これは科学というよりも、むしろ人間の本性にかかわる問題というべきだろう。しかしこう言ったからといって、私はなにも、科学の産物が悪用されても科学には責任がない、などと言うつもりはない。それどころか科学には重い責任があるのだ。そして、テクノロジーが強大になればなるほど、その責任もますます重くなるのである。』(pp.283)
ここからは、私流にはハイデガーの技術論世界になる。
『もちろん、人間とテクノロジーとの関係は昨日今日のものではないし、新しいテクノロジーの開発はいつの時代にも行われてきたことだ。しかし、人間の弱点は昔も今も変わらないのに、一方のテクノロジーは今や空前の破壊力、まさに地球規模の破壊力をもつに至っている。そんな時代には、人間の方にも何かこれまで以上のものが求められるべきだろう。つまりわれわれは、空前のスケール―すなわち地球規模のスケールで、新たな倫理を打ち立てなければならないのである。』(pp.284)
これは、至極当然のことなのだが、私は「新たな倫理」で片付くような問題ではないと断言したい。人間の本性、つまり、ヒト族が人間たる所以がそこにあるのだと思う。現代文明において、テクノロジーのあくなき追及を倫理の力では止めることはできない。
このことについては、高校生や学生の忌憚のない意見が原文のまま紹介されている。その数も、数十に達している。例えば、『よその国みたいに賢こくないのは、かえっていいかもしれないと思います。どうしてかというと、私たちは製品を輸入すればよくて、そういう部品を作ることばかりお金を使わなくて済むからです。』(pp.336)
翻訳者の理学博士青木薫氏は、「あとがき」にこのように書いている。
『私がセーガン博士のはじめてのベストセラー「コスモス」を読んだのは、まだ物理の大学院生のころだった。(中略)
一般には、 多数の著作によって科学の啓蒙家として知られているようだが、何よりもまず、第一線の惑星科学者であった。
だからこそ、「核の冬」を警告するなど、社会的にも大きな影響力を持つことができたのだ。博士にはまだまだやりのこしたことがたくさんあったはずである。早すぎる死であった。
晴れた晩に空を見上げれば、赤い惑星、火星が見える。私がこれを書いている今、博士の名を冠した火星の「カール・
セーガン記念基地」では、探査車ソジャーナーがあちこち歩き回って調査を行っている。「ソジャーナー」とは、奴隷の身分に生まれながら、奴隷制廃止と女性の権利のために闘ったソジャーナー・トウルースというアフリカ系アメリカ人女性にちなんだ名である。 この名前を提案したのは、十二歳の少女だという。
「カール・セーガン記念基地」で活躍するソジャーナーの映像に、私は感動せずにはいられない。セーガン博士が全力を注いで伝えようとした夢と希望が、そこにあるような気がするのだ。セーガン博士は、マーズ・パスファインダーの成功を見ることはできなかった。しかし病床の博士には、活躍するソジャーナーの姿がありありと想像できたにちがいない。博士は科学を通して、「人間の希望」を実現しようとし続けた。そうして、その実現をさまたげる差別や不条理とも闘った。科学者としての力量のみならず、人間としての深みと広さをも兼ね備えた人であった。そんなセーガンの名を冠した基地に、ソジャーナーとはまた、なんとふさわしい名前だろう。本書は、そのセーガン博士から私たちへの最後の贈り物なのである。 』(pp.434)
博士のご冥福を祈る。
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